写楽の「ちょうネクタイ柄巻(つかまき)」〈2〉
そんななか、写楽のえがいた柄巻は、かなりめずらしい鑑賞用の柄巻でした。
写楽のえがいた柄巻は、蛇腹糸絡組上巻と云います。
ふつうの柄巻にもちいる組糸よりもほそい蛇腹糸とよばれるものでまいてあり、技術的な難易度もたかく、1本まくのに数日かかるそうです。
写楽のえがいた柄巻は、マンガ絵のちょうネクタイがならんでいるようにみえるので、ここではとりあえず「ちょうネクタイ柄巻」とよぶことにします。
それでは、いったいなぜ、写楽はわざわざとくべつな「ちょうネクタイ柄巻」をえがきいれたのでしょうか?
そのひみつはむすび目にありました。……と云っても、絵をみただけではわからないのですが。
写楽はむすび目をシンプルにえがいていますが、じっさいの蛇腹糸絡組上巻にできる「ちょうネクタイ」のむすび目は、かたくむすばれた「淡路むすび」なのです。
「淡路むすび」とは、水引などにもちいられるかざりむすびのことで、むすびかたを長寿の象徴であるアワビにみたてて「アワビむすび」とか「葵むすび」とも云います。
つまり、写楽のえがいた「ちょうネクタイ柄巻」は、慶事を祝うとても縁起のよい柄巻なのです。
歌舞伎界がんばれ限定特別企画だった『曾我祭』写楽プロジェクトにおいて、写楽は「ちょうネクタイ柄巻」をえがきいれることで、歌舞伎界のさらなる発展を祈念していたのです。
写楽のほかにここまで柄巻にこだわってえがいた浮世絵師はいません。
豊国は写楽にえいきょうをうけ(もっとも、その意図は把握していなかったようですが)、写楽と同時期の作品である「役者舞台之姿絵」シリーズで、それまでの浮世絵師にはみられない凝った柄巻のえがきかたをしています[図1]。
写楽がすがたをけした翌年の、寛政8[1796]年にえがかれた『二代目市川高麗蔵の佐々木厳流(大判)』と云う大首絵では、もうしわけていどに「ちょうネクタイ柄巻」のむすび目をえがきいれたりしています。
ほかでは、文化末年に豊国のえがいた武者絵『巴御前の奮闘』、おなじく文化文政年間にえがかれたとされる勝川春亭の武者絵『荏柄平太』ほか数点、歌川国貞(三代豊国)『東海道五十三次の内 袋井 忠信』ほか数点に散見できるにとどまります。
写楽がすがたをけしてから10年以上たって、ようやく「ちょうネクタイ柄巻」のまねをする絵師があらわれたわけですが、その意図までくみとった浮世絵師はひとりもいなかったようです。
そして〈第2期〉からあらわれる〈写楽工房〉のエセ写楽(代作者)たちも、写楽の緻密なこだわりには気づいていませんでした。




