写楽、5月デビューのなぞ!〈2〉
蔦屋重三郎のねらいはこうです。まずは5月はじめに奇抜な写楽絵で歌舞伎にたいする興味をたきつけます。
そして『曾我祭』のハデな無料パレードで、ふだん劇場へ足をはこばない大衆に役者のすがたをみせつけるのです。
写楽絵が「あまりに真を画かん」としていることに気づいてもらえれば、写楽絵はますます売れますし、写楽絵の評判があがれば、歌舞伎をみにいく人もふえるはずです。
写楽が歌舞伎界全面協力のもと〈第1期〉の役者絵をえがいたであろうことはそうぞうにかたくありません。
ろうそくのあかりにてらされた舞台を客席からいちどみただけで、あれほど写実的にえがくことは不可能です。
写楽はおおくの歌舞伎役者とひざをつきあわせてデッサンする時間をえていたはずです。云いかえれば、じっさいにデッサンしていない役者はえがいていません。そう推察できる根拠もあります。
〈第1期〉の役者絵では、ほかの役者絵ではえがかれることのない下位の役者まで大首絵でえがかれているのに、当時、男役で最高評価をうけていた六代目市川団十郎などがえがかれていません(六代目市川団十郎がえがかれたのは〈第2期〉以降)。
それは『秘密戦隊ゴレンジャー』のメインであるアカレンジャーだけえがかないようなものであり『クレイジーキャッツ』の植木等、『SMAP』の木村拓哉だけをえがかないようなものです。
商業第一主義でかんがえるなら、六代目市川団十郎をえがかぬわけがありません。しかし、ほぼほぼ無名のチョイ役まで〈第1期〉の大首絵でえがいた写楽が、六代目市川団十郎をえがいていないと云うことは、よほど写楽が六代目市川団十郎を毛ぎらいしていたか、六代目市川団十郎が写楽にえがかれることをことわったかのどちらかでしょう。
無名の新人である写楽に「団十郎はえがいてもつまらねえし」と云える権限があるともおもえません。だとすれば、えがかれるのをことわったのは団十郎のほうです。
ふだん浮世絵にえがかれることのない下位の役者たちは、大判の大首絵にえがかれる栄誉に歓喜雀躍したことでしょう。しかし、写楽の画風は、よくもわるくもクセがつよいのです。
当時、最大年俸をとっていた三代目瀬川菊之丞や沢村宗十郎などは、写楽のクセをよろこんだかもしれませんが、事前にえがかれたほかの役者絵をみた六代目市川団十郎が「こんなふうにえがかれたくない」と、写楽絵のモデルをことわらなければ、写楽が団十郎をえがかないはずがないのです。
写楽が歌舞伎界や役者の気もちを忖度しなければ、じゆうに六代目市川団十郎をえがいていたはずです。ぎゃくに云うと〈第1期〉では、歌舞伎界全面協力の極秘プロジェクトだったからこそ、写楽は団十郎をえがけなかったのです。




