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賢者の迷宮  作者: うにどん
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理想郷

 ブラドレイクが数人の従者を連れて冒険者ギルドを訪ねると、まだ約束の時間には早いというのに、すでに勇者と聖女が彼を待っていた。

 二人のことは、街の小さな子供でも知っている。様々な英雄譚は娯楽書や劇として民に貴族に親しまれていた。彼らを利用しようと目をつけたブラドレイクも、実際に物語に聞く偉人たちと会うことをひそかに楽しみにしていた。

 簡単な挨拶を交わして、ロビーで依頼の段取りを確認する。勇者レイフは、力強い黒髪を一つに束ねた美丈夫だ。ここらでは見ない質の良い防具をかっちり着込んだ隙間から伺える肉体は逞しく、言葉の端々には海千山千を乗り越えてきた説得力がある。真摯な瞳は強い光を灯して、依頼の完遂を明るく請け負った。彼の隣に座る聖女ヒメリアは、優雅で隙のない金髪の少女である。煤けたギルドの机や椅子が全く似合わない、浮世離れした美貌が周囲の視線を集めているのが見て取れる。熟れた果実のような唇から発せられる言葉は理知的で、彼女の的確なサポートこそが彼らの冒険を支えているのだとしれた。

 二人のそばに、賢者はいない。必ず迷宮主にたどり着くため、なんとしてもブラドレイクは賢者を雇いたかったのだが、かの人は迷宮好きの変人と名高い。調伏を匂わさない依頼だとしても、なにかしら気に入らなかったのだろうと諦めるしかなかった。むしろ、賢者を引っ張り出す条件にした金銭面を勇者と聖女が飲んだことは僥倖といえるだろう。厳しい領の財政で彼らに支払う報酬は決して安くない。彼ら二人とて、迷宮主を調伏した実績を持つ数少ない人間なのだ。賢者の不在は痛くはあるが、ブラドレイクは早々に意識を切り替え、この千載一遇の好機を逃さぬよう決意した。


 冒険者ギルドが位置する下町から、魔道自走車で半日。特にこれという問題も起きることなく、ブラドレイクの一団は目的とする迷宮の姿を前方に認めた。


「話にはきいていたが、本当にデカいな」


 勇者レイフは、快適な車内から地平線を覆うような広大な光壁を仰ぎ見て、間延びした声で言った。迷宮の有り様はその土地によりさまざまではあるが、一様に言えるのはその周囲を虹色の淡い光が覆う性質を持つこと。光の内側は迷宮主の支配する領域であり、その力の恩恵が芽吹く土地となる。


「その昔、この辺りは戦の影響で見渡す限りずっとひどい荒地がつづいたそうで、そこをまるっと飲み込む形でこの迷宮が生じたそうです。もう100年以上拡張はされていませんが、広さだけならやはり世界でも類をみない規模なのではないでしょうか」

「そうだろうな。賢者どのでもこれだけ広い迷宮は見たことがあるかどうか…」

「そうそうこのようなものが現れては、はた迷惑にもほどがありましょう。面積で言えば、我が領地の二割ほどが迷宮にあたります」


 ブラドレイクは忌々しい気持ちを推しも隠さず、その広さを説明する。聖女ヒメリアがそれにつづいた。


「元の領地の、二割ほどということですわよね。迷宮は発生した土地が力をなくしていればいるほど大きく発展すると言われています。力ある迷宮主がこのような場所に生まれたのは、運命のいたずらだったのでしょう」

「しかもそこが人の住む街になるなんて、相当変わり者の迷宮主なんだろうな」


 レイフの楽しげな態度に、ブラドレイクは言葉を返さず魔道自走車の速度を速めるように従者へと指示した。日暮れ前には着くように出発したが、その姿を捉えて仕舞えば一刻も早く迷宮を自分のものとしたい気持ちが強まる。ほとんど揺れを感じない車内で、落ち着きなく目線をさ迷わせた。


 それからほどなく、魔道自走車は光の壁を抜けて迷宮へと進入した。街まではいましばらくあるために移動は続くが、窓から見える景色は確かに常世のものとは違っていた。

 なだらかな平地は青々とした草が生い茂り、ところどころに季節を無視した花が乱れ咲いている。かと思えば空はまだ明るいのに星を見ることができ、それを鏡のように写す小さな池は凍っていた。めちゃくちゃなその光景は、いま彼らがいるこの地が迷宮であることの証に他ならない。


「まずは街の視察でしたわね」

「はい。いくら安全といわれる迷宮と言えども、これからやりとりをしていくのに本当に危険性がないのかを実際に確かめる必要がありますから」

「迷宮街、楽しみだな。こんなところに人が暮らせるなんて、思っても見ないだろ、普通」


 興味深げにレイフは目を細めた。彼もまた、この迷宮に惹かれるものを見つけたのだろう。ブラドレイクとしては、そうして迷宮中をひっくり返して好奇心を満たしてくれれば、その最中で迷宮主とまみえる可能性も高まる。探索に意欲的なのは好都合だ。


 街をぐるりと囲む土壁の近くで魔道自走車を降りると、等間隔で開いた門のひとつへ向かった。門といっても番をする兵士の姿などはなく、長く閉められた様子もない、形だけのものであるようだ。

 ブラドレイクはそこをくぐり抜けて顔を上げた途端、唖然とした。



(まるで、王都ではないか……)


 門の先にあったのは、真っ白な建築物が美しく立ち並ぶ、大きな街だった。

 王都の歴史ある建築物が煌びやかに並ぶ風景とは異なるが、それでも足元の石畳ひとつ取っても均一な石材の切り出しや凹凸のない舗装に高度な技術が使われていることがわかった。しかも、ここは街の端であるにもかかわらず、整備が行き届いていることもブラドレイクには驚愕だった。迷宮の外で同様のことを行えば、どれほどの金と人が時がかかるか分からない。

 やはりここは人が富を掴むことができる地、迷宮なのだとブラドレイクは実感した。この街を支配できれば、これまでの損失を補って余りある価値を彼の領は得ることができるはずだ、と。


「理想郷のようだ…」


 ブラドレイクが思い浮かべたその一言を、彼の一歩先を歩んでいたレイフが口にした。大きく見開いた目は爛々と輝き、口角はわずかに上がっている。

 そんな気持ちになるのも致し方ないと、ブラドレイクもまた笑んだ。ここは、たしかに可能性の地なのであろうから。

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