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賢者の迷宮  作者: うにどん
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彷徨う旅路

 あそこは迷宮だったのではないか。

 おぼろげな記憶の中、幼少の頃暮らした夢のように美しいあの場所。迷宮について調べれば調べるほど、そうなのではないかと私は疑念を深めた。


 幸せな暮らしの記憶は唐突に終わっている。私はある日突然、見知らぬ街にいた。直前まで何をしていたのかは曖昧だ。あるいは、当たり前の日常の終わりなどそんなものなのかもしれない。

 それまで私が知る人物といえば、あの黒く大きく物静かな庇護者だけだった。わけもわからぬまま、知り合い一人いない街をあてもなく泣き歩いた。不思議と寒さに凍えたり、飢えたりすることはなかったが、それでも身一つで放り出されて生きていく力などあるわけがない。道行く人に帰り方を訪ねても、困惑した表情とともに返されるのは知らないという言葉だけ。

 数日を経てたどり着いたのは、路地裏の寂れたスラム街だった。ボロボロのテントが広く張られる隅に陣取り、すぐに辛い気持ちを紛らわすために眠った。一日中気を張りながら彷徨ったことで体はあちこち痛かったし、とてつもない疲労感に目眩すら覚えていたが、地べたに座り込んだ姿勢での睡眠は酷く難しかったように思う。

 翌日は、金持ち学生で構成される慈善団体による炊き出しで久しぶりの暖かな食事にありつけた。この街の裕福層が通う学園では、一部の学生たちが自主的に活動し、いくあてのない人々へわずかでも食べ物を配るのだという。私は黒いあの人以外のの人間と交わした初めてのまともな会話に感動する間も無く、胃の中を質量で満たせたことに泣いた。

 スラムの住人たちは様々な種族が入り乱れていたが、一様に他者に無関心で、突然ふらりと現れた私にも、誰一人関心を寄せることはなかった。私の話し相手といえば、不定期でやってくる学生たちだけで、私は彼らに簡単な読み書き計算を習った。知識がなければ生きていけないと、掃き溜めの中で痛感していた。街中ですれ違う人にいくら帰り道を聞こうにも、私はここがどこなのか、元いた場所はどっちにあって、距離は幾つで、なんと言う名の土地にあるのかも知らなかったのだ。

 そのうち、地べたで寝起きし道端のゴミを漁り家畜の餌を横取りする生活に慣れると、私はスラムの住人にも知識を乞うた。大半の人間が面倒そうに無視を決め込んだが、何人かは面白がってさまざまなことを教えてくれた。中でも私が夢中で通ったのは、元冒険者だと言う老人の元だ。彼は若かりし頃の冒険譚から、冒険者に必須の薬草の知識、ナイフや縄の使い方に冒険者同士の合図の取り方など、さまざまな話をカビたパン一切れと引き換えに聞かせてくれた。

 今思えば、老人はうだつの上がらない低級冒険者だったのだろう、あの時聞いた話を思い返してみれば、さして珍しい依頼内容ではなかった。それでも誇りを持って勤め上げた職を足の怪我で失い、失意に暮れた挙句にあんな場所にいたのかもしれない。片足を引きずりながら足音をたてない歩き方を言葉足らずな説明で教えてくれた彼は、たしかに冒険者という職業を誇っていた。私は、そんな彼が好きだった。

 老人から一通りの話を聞き終えた頃には、私はいくつかの言語の読み書きと計算、近隣の国々の大まかな地理や歴史を知識として蓄えていた。私は物覚えがとてもよく、学生たちなどは学園でも通用するだろうとのお墨付きを押してくれたものだ。そうして、やっとの思いで知り得た情報のなかからなんとか故郷の場所を探そうとしたが、しかし結局不可能なまま帰り道は分からなかった。この小さなスラム街にいては、見える景色はあまりにも限られている。

 私が世界を旅する冒険者を目指すことを決めた翌朝、老人の元に行くとその姿はなかった。彼はそれからずっと帰って来ず、別れも言えぬまま私はスラム街を旅だった。私が彼の死を知ったのは、念願叶って街の冒険者ギルドに登録してからしばらく経ってからのことだ。彼は失職した時に別れた妻と娘の元へ帰る途中、暴走した馬車に轢かれたのだという。なぜ今更、老人が帰路を選んだのかは知る由もない。まさか、スラム街などで思わぬ後継を見つけ、無念が晴れたからなどとは言わないはずだ。彼は、愛する人のもとへ帰りつくことはできなかった。


 私は今も、探している。

 あらゆる知識をかきあつめ、最愛の人の隣へ帰るために。


 珍しい迷宮の噂を聞いた。境界内に街があり、住む人間を守るのだという。

 私の疑念が、欠けていたピースを得て一つの絵になった。

 記憶の中の小さな街。あれは、迷宮の中に作られた、人のための住処だった。

 頭の奥が燃えるように熱くなった。

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