聖女ヒメリア、波乱の冒険を予見する
ファムルタールの迷宮に関する知見は、豊富な経験則に基づくものであろうとヒメリアは感じていた。
亜人種も含めて様々な人種が存在するこの世界でも、ファムルタールはまれに見るような超長命種だ。最も数の多い人種でいえば、歳の頃十代後半といった外見で、その実は百年を生きた凄腕の冒険者である。底の見えない魔力量に、どん欲に培ってきた幅広い知識。加えて、凡百の冒険者すらも攻略を可能にしてしまったという迷宮への深い造詣。
そんな大きすぎる看板を背負う存在だからこそ、あらゆる権力から逃れるようにレイフやヒメリアと旅をともにするようになったのは必然といえるのかもしれない。
レイフは、さる国の地下組織による非人道的な実験で聖魔法のための魔力を人工的に植え付けられた作り物の「勇者」。ヒメリアは、白魔法の素養を見込まれ高額取引されていた元奴隷で、いくつもの戦地を連れ歩かれた飾り物の「聖女」。どちらも縁あって冒険者ギルドによりその身を救われ、一度は諦めた日の下へと戻る事が出来た。冒険者として生きられるような教育まで受けて、こうして人々に歓迎される存在となり得たのだ。
ギルドの中でもとくに冒険者ギルドは横のつながりが強く、どのような国にあっても左右されない確固たる運営基盤がしかれている。その加護を一身に受けたといっても過言ではないレイフとヒメリアは、その大恩を返すために各所の依頼を請けて旅をしながら暮らしていた。
レイフは迷宮が生み出す魔物に圧倒的な優位を持ち、ヒメリアはそれらの魔物による被害を最小に抑える事が出来る。自然、魔物が関連する事が多い迷宮に関した依頼が割り振られる割合が高くなった。そんなさなか、とある街の領主が切迫した表情で請うてきたのは、領内で新たに発生した小さな迷宮が、その規模に見合わない魔物を大量発生させてスタンピートを起こしかけているので助けてほしいという依頼。地元の冒険者によって街への被害は抑えられているものの、魔物の数は増え続けているという。このままではいずれ対処しきれなくなるのは明白だった。
そのとき、生まれたての迷宮の案内人として紹介されたのが、ファムルタールだった。
新旧さまざまに存在していた迷宮に関する豊富な知識により、ヒメリアたちは難なく迷宮の中心部へと案内された。迷宮主の調伏もレイフの魔法によりあっけなくなされ、身ぎれいなままで帰還した一団を領主は間抜けな顔で迎えた。朝、悲壮感あふれる顔色で彼女たちを送り出した、その昼である。ほんの庭園程度の広さしかない迷宮を、魔物の発生地点を避けて通る事が出来たから実現した信じがたいスピード攻略であった。
魔物を発生させていた迷宮主はひどく臆病で、土地を豊かにしたりその範囲を広げる事よりも、己を守る盾を欲していたのだという。調伏によって、レイフの指示に従い以降魔物を生み出す事はなかった。今は小さな迷宮で数えるほどの魔物とともにバラ園を営んでいるはずである。バラ園にしたらいいと言ったのはファムルタールだ。ある種のバラは魔力によって育った場合のみ花びらを美しい青色に変じさせる。古い迷宮で偶然に発見されたと言うそれは、今では世界の一部上流階級で人気の品種となっている。一般的な迷宮攻略で得られる財に比べれば雀の涙ほどである収益は、彼らの旅費とギルドの運営費に充てるように手配した。
それから、国家政府からの干渉をギルドを使ってうまくかわす勇者と聖女の旅に、賢者が加わるようになった。迷宮に関する依頼はほとんどレイフとヒメリアによってこなされる一方で、獣害対策や流行病への防疫に関する依頼についてはファムルタールの知識が大いに役立った。ある国の歴史ある古城に竜が住み着いたという依頼では、三人でどうやって竜の気をひき巣を移させるか、さまざまな案を出し合って協力し解決した。
ファムルタールと彼女たちの間にはいつしか友情が芽生え、使命感ではじめた旅はやがて楽しいものへと変わった。
「勇者さま、使節団の出立は予定通り明日になるそうですわ。使節団のメンバーには領主のブラドレイク公も含まれるそうです。十分な準備をお忘れなく」
冒険者ギルドで受け取った書類のひかえを昨日と同じ食堂の座席でくつろぐレイフに渡し、ヒメリアは使節団のかかげる名目をうろんな目で読み取る。今日の昼食はハーブとベリーをつかったパイだ。
「“領地に近接する豊かな土壌をかかえる迷宮街と交易を開き、我が領と迷宮のさらなる発展を図る”……ですか。迷宮の街の長は迷宮主自身と聞きます。交易するより調伏した方が自領の発展につながる、と裏に描いてあるかのようですわね」
「安全と言われる迷宮にわざわざ勇者と聖女と賢者を連れ立っていきたいだなんてあからさますぎるけどな。それだけブラドレイクの立場が追い込まれてるんだろ」
香草茶に口をつけながら束ねられた書類を流し見て、レイフは苦笑した。自身の力を利用しようとする輩には慣れている。依頼の範囲を超えた範疇の働きをいくら言葉の裏で期待されようが、応える気はなかった。
「俺たちの仕事は迷宮内の危険を回避し、護衛することだけ。それ以外にまで手を回すほど厚い報酬は受け取ってない。だいたい領が迷宮主を調伏するのは条約違反だろ」
「この要件は、そういった外野からの目隠しと、賢者さまを頷かせるものだったのでしょう。迷宮主の調伏まで含めたら絶対に関わろうとしませんもの」
「賢者どのが俺たちのパーティに加わった最初の理由も、そういう依頼の選り分けができるから、だったもんな。バラ園のときですら別に俺たちに調伏依頼を出して都合良く案内だけさせたギルドに怒ってたし…」
当時の様子を思い出して顔を見合わせた彼女たちは、やれやれと嘆息する。迷宮の調伏が出来る勇者とその案内が出来る賢者がそろっていて、あえて他の冒険者に調伏を頼んで案内だけをさせる依頼など誰もしない。そして、素直に出されるようになった調伏の依頼を、決してファムルタールは請けなかった。
ヒメリアは、迷宮を迷宮のままのこしておきたいという想いを語っていたファムルタールの横顔を思い出した。心の底から迷宮という世界を愛しているのだと、普段見せない柔らかな表情が物語っていた。
「……ひとつ、不安なのは、この街に立ち寄ろうと提案したのが賢者さまという点です」
「そういえばそうだったな」
しばらく前に行った次の目的地を決める話し合いで、ファムルタールが提示したのが現在いる領地だった。
「賢者さまがこの地の迷宮を知らなかったとは思えません。むしろ、迷宮を目的にしていたのでは?」
「確かに、それは考えられる。表向きとはいえ、調伏が明記されない依頼に厳しすぎる態度だとは思ったんだ。個人的に迷宮を訪れるのなら、依頼者は邪魔だからな」
レイフの言葉に頷きながら、ヒメリアはざわつく胸をそっと押さえ込む。迷宮はファムルタールの領域だ。勇者や聖女として様々な地での冒険を経験した二人にとっても、迷宮内には未知が多い。
人の住まう迷宮で、いったい何をするつもりなのか。
「案外、迷宮好きが講じて移住の下見にきただけだったりしてな」
「……そうだといいんですけれど……」
彼女は、依頼の先行きに波乱を感じることを禁じ得ないのだった。




