安全な迷宮
その地は、人類が初めて出会う「安全」な迷宮だった。
発生したのは数百年前にもさかのぼると言われている。加速度的な早さでその境界を広げた迷宮は、早々に現在の形を成し、成熟をはじめたという。
人類史でいえば差別と悪政がはびこった時代。領内の資料を遡ると、自他を含む複数の領から相当数の人種が放逐されたとされる。彼らは先祖からの土地を失い、居場所を求めて彷徨った末に生まれたばかりのその迷宮へと流れ着いた。はじめはいくつかの種が寄り添うように暮らし、まるで寄る辺を失った彼らを守るように迷宮内には豊穣の土地が広がった。その話をききつけてさらに多くの流民が集い、そうして迷宮はあたかも一つの大きな街のように育った。迷宮主が何を考えてそのような支配を行ったのかは謎のままであるが、かの地は人に仇を成さないひどくめずらしい迷宮として認識されていった。
迷宮は治外法権特区である。それは古くから定められる世界条約に担保された強い力を持つ共通認識だ。
条約が結ばれたきっかけは、複数の国家が接する地に迷宮が出現したこと。迷宮主の調伏により莫大な富がもたらされる事を知った各国が、やっきになって自国内の迷宮攻略をはじめた時分である。曖昧な場所に位置する迷宮の攻略権は、あっというまに隣接する国家同士を紛争状態へと陥らせた。
また他方では、迷宮主を個人の力で調伏した冒険者から、強大な武力で迷宮の権利をとりあげようとした国があった。これに対し冒険者は、迷宮主を殺めその恩恵を無に帰した上で、自害した。迷宮主とともに消えた迷宮では豊かな食料が産出されており、それは国にとって自らの懐に治めたい大きな利益であると同時に、飢饉で食糧難にあった複数の国の台所を支えるものだった。莫大な損失を避難されたその国は国力を失い、食糧難だった国は多くの民を失った。
これらの問題がほぼ同時期におこったことで、迷宮の利益を一国が独占しようとすることの危険性を訴える声が大きくなった。
迷宮は世界の財産であり、誰もが挑戦できるべきである。
そして、迷宮主を調伏したものにこそ利は認められ、それを奪い合う事は許されない、と。
そういった認識が広まれば、やがてたがいの攻略を牽制し合うように国家間で協定が結ばれ、やがては世界条約が結ばれるまでに至った。現在では、迷宮から産出されるものは条約でみとめる流通ルートによって世界中に行き渡り、たとえ迷宮が国の王都に出現したものであろうとも国家政府としてその地に干渉する事は禁じられている。
もっとも、これには抜け穴が有るのだ。迷宮主を調伏したものとうまい具合に取引さえ出来れば、ルートを通さずに都合良く自国を潤す利益を得る事が出来る。迷宮の富の采配は、調伏したものの意思ひとつに一任されるからだ。迷宮の完全攻略という快挙を国を挙げて祝福し英雄視することでうまく持ち上げ、より有利に恩恵に預かれるようおだてる。どの国も、そうやってそつなく迷宮とのつきあい方を構築してきた。
我が領の安全な迷宮は、他所の迷宮と違い多くの冒険者からはあまり人気がなかった。その昔は広大な荒れ地だったと言うそこも、今では人間が住まうことにこそ適した環境だ。迷宮であるが故に税もなく、国家からの保証はなくとも豊かな大地がある。しかし、価値あるものが生み出される宝箱、というわけではない。それならば砂金で輝く河川を要した迷宮や、魔力鉱石の豊富な迷宮など、ここより足を伸ばした近郊の迷宮に行くいくというのが冒険者の心理だろう。
あえてこの地の迷宮主を調伏してうまい目を見る事ができるのは、領主であるこの私や、国王くらいなものである。歴代の領主は古い昔に迷宮として切り取られてしまったあの地をなんとか自領に取り戻すため、さまざまな手で冒険者を送り込んでは失敗してきた。大事にすれば迷宮の民に反発を受け、秘密裏に動いては迷宮主の力に阻まれ領域外へと追い出される。住まうものを擁護し、侵すものの前にはことごとく分厚い壁を築くのが安全な迷宮の有り様だった。
自領には目立った産業もなく、私が領主に就任してからは人口の流出も抑えられなくなってきていた。落ち目の地方貴族、そう社交界で陰口を叩かれている事も承知だ。けれどそれも、迷宮主を私が「個人的に」調伏できさえすれば挽回できる。攻略者の権限で迷宮の民を我が領民とし、落ち込んだ税収を取り戻すのだ。迷宮内の豊穣な土地であればあらたな産業を一から興すことも可能だろう。冒険の心得がない一般人にも安全に楽しめる迷宮として観光資材とするのもいい。
そうして、私の代でそれが叶わなければ、一族が取り潰しになることももはや避けられないほど追いつめられた立場に私はいた。
そんな折、私は知った。
対魔物においては兵器ともいわれる聖魔法を使いこなし、人々に英雄と讃えられる勇者レイフ。
幼い頃からどんな傷や病をも自在に白魔法を用いて治療する、救世の美女と名高い聖女ヒメリア。
そして、あまたの迷宮を知り尽くし永き時を知識を蓄え生きているという、迷宮の賢者ファムルタール。
彼らが、領内を訪れているという事を-----。




