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賢者の迷宮  作者: うにどん
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勇者の夢

 明日の打ち合わせを終えてぞろぞろと部屋に戻ったレイフとヒメリアは、視察中にこっそり市で買い込んだ軽食を広げた。向き直って座り、迷宮街の恵みに舌鼓を打つ。


「このパン美味しい。小麦の香りがすばらしいですわ。それにこっちの果実煮も。しつこくない甘さでいくらでも食べれそう! あら、勇者さま、そっちのお魚頂いても? 衣に香辛料をいれているのかしら? 食感も素敵。その腸詰めも一口頂ける? ソースの香りがちょっと独特よね。クセになる味っていうか----」

「ヒメリア」


 しばらくの間止まらなかった彼女の食道楽ぶりを遮って、役職を脱ぎ捨てた名をレイフが呼んだ。

 二人は、仕事中に名を呼び合うことをあえて避けている。最初に二人で冒険者としての活動をするときめたとき、長い間ともに時間を過ごすのに必要以上にお互いへの情をもつのを避けようと協定した。恋仲でともに活動している冒険者も居ないではなかったが、関係性に名を付けることになるのを二人は嫌った。

 しかし今、それをあえて破りよびかけてきたことに、ヒメリアは方眉をはねて返事を返す。


「……なんですの。まだ仕事中ですわよ」

「そんなにはめを外しておいてよく言えるな。まあいいだろ、ちょっと聞けよ」

「……わかりましたわ、レイフ」


 こくりと白い喉を鳴らして口の中身を飲み込んだのを確認し、レイフはこの街に来てずっと思っていたことを切り出した。


「この街はすばらしい。世界中の虐げられる立場にいるものが理想とする世界だと思う。こんなに様々な人種が何の衝突もなく暮らしている街はそうないだろう。ヒメリアもそう感じたはずだ」

「そう、ですわね……。私が幼い頃こんな街に生まれていれば、というのは……正直、感じざるを得ませんでしたわ」

「ああ、俺もだ。俺はこの街のあり方をもっと世界に訴えかけるべきだと思う」

「それは…難しいですわよ。この街が理想郷として在れるのは、迷宮主の莫大な恩恵の庇護下だからですわ」


 それは、理想。幸薄い生まれと育ちの中で胸に抱いてきた夢の芽だ。

 けれどだからこそ、瞳の色を陰らせてヒメリアは否定した。その言葉を予想していたように、レイフは首を振る。


「いきなりは無理だ。だから、ここを閉じた世界で終わらせずに、ギルドを通して交易を作る。街を大きくし、世界への影響力を強めるんだ。市を見てきただけでもそれは難しくないとわかった」

「……」


 目の前の真摯な男の口から出る言葉を吟味するように彼女は無言でその先を促した。


「そして、力を蓄えたら、この街を俺たちのような弱者の受け皿とする。彼らに高い技術力や教育を与えれば、また故郷に迎えられるだろう。それをくり返せばやがて無知による差別は減るし、技術の進歩で飢える人間も減るはずだ。世界中の溝を均一化するための人を受け入れ、育てる環境が必要なんだ」

「確かにここももとは流民が寄り集まって出来た街。技術を発信し、また知識を教えるには格好の地でしょうが…」

「ここを置いて他にない、と俺は思う。迷宮の底のない恵みがなくては、むしろ達成できない。最初は難しいだろうが、俺たちの名とともに人々に理想郷のあり方が伝われば、皆がそれを目指して努力できるはずだ」


 簡単に言葉にはしても、様々な苦難が待ち受けることはレイフにも十分分かっていた。ヒメリアも同様に現実的に困難であろういくつかの問題を思い浮かべたのだろう、何かを考えるようにしばらく目を閉じていたが、すぐに顔を上げた。


「……レイフを支持しますわ」


 厳しい指摘をされるものと思われた彼女の言葉は、想定外にやわらかい響きだった。思わずレイフが下げていた目線を彼女の大きな瞳にあわせると、まっすぐな視線が彼を射抜く。嘘のない言葉が紡がれることがわかった。


「難しいことはあなたが一番わかっているでしょう。けれど、勇者たるもの、理想を追い求めるべきだと私は思う。それに、あなたのことだから…きっと不思議な幸運でちゃっかりやり遂げるんじゃないかと希望的観測も抱いてしまったの。あなたが成す理想の世界を、私は見てみたい」

「ヒメリア……ッ!」

「抱きつくのはおよしになって」


 思わずわき上がった想いのままに強く彼女を抱きしめたレイフをにべもなくはがし、ヒメリアは冷たい声でぴしゃりと尻を叩く。浮かれるのは未だ早い、とあえて厳しい声色を作った。


「まず、これを実行するには領主の思惑を達成される訳にはいきません。あなたの力頼りということも考えられますけれど、何か裏の手を隠し持っていると考えた方がいいでしょう。動かれる前に、迷宮主から引きはなす必要が有りますわ」

「そうだな。ブラドレイクのことは警戒しておく。俺と迷宮主二人きりの時間が作れるのが一番良い」


 冷静な彼女の指摘に、レイフの頭に上った血も冷めた。頷き、明日の予定を頭に思い浮かべる。

 何度かしたことがあるそれも、強いカードの一つとして手のうちにある。


「迷宮主と直接交渉し、頷いてもらえればよし。拒絶されれば----俺が、調伏しこの迷宮を手に入れる」

「賢者さまが怒りますわね、きっと」


 ヒメリアがからかうように美しく笑った。

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