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~Lion Kiss~  作者: 友崎沙咲
episode2
4/18

I'm in

***


「あー、今日は独りかあ」


その日の定時後、私はトボトボと大通りを歩いた。

会社を出る前、治人さんからのLINEに気付いてスマホをタップしたら、


『明日、早く終われそうだからデートしない?』


今朝の件に対する気遣いだ。嬉しい。

けれど、なんて間が悪いんだろう。

明日は、自分の仕事プラス私と同じ輸入担当の中川君の仕事を手伝わなきゃならない。

銀行手続きと、新しい取引先との交渉に伴う数種類の資料作成を、明日中に完了させないとならないのだ。


《ごめんなさい。明日は残業で無理なの》

『そうか。じゃあ、また改めて』


……まあ、一緒に住んでるし、埋め合わせはいつでも出来るよね。


***


大通りを左にそれるとすぐ左手に宮代が見えてくる。

時間は午後六時前。

治人さんの帰りが遅いのは淋しいけど……独りでご飯は気が楽だ。大好きなツクネとビールが待ってる。

私は思わずニヤリと笑った。


「いやらしい顔すんじゃねーよ」


反射的に顔をあげた私は、心の底からガッカリした。來也だ。

……なんなんでしょう。ここは東京ですよ。人なんて腐るほどいるのに、どうして出逢うのかしら、二足歩行のライオンに!なんなのよ、もう!


「女豹ちゃん、真朝ちゃん、あ、間違えたマヒルちゃん、今から独り呑み?それとも彼とデート?」


無駄にデカイ男が私を頭の上から爪先まで見た後、ニヤリと笑った。

迫った眉の下のクッキリとした眼がこっちを見ている。

よく見ると、いやよく見なくても見えたけど、來也の隣にはこれまた見上げるほどの長身の男性が立っていて、私を見て軽く頭を下げた。

類は友を呼ぶってやつなのか。なんだ、この男前二人組は。


「お前もしかして、宮代行く気なの?」


私は來也を見上げて社交的に微笑んだ。


「相澤さんは?」

「俺達はもち宮代。こいつが彼女にフラれたから、元気付けてやろうと思ってさ」


マジか、くそっ!

私は内心イラッとしたが來也の友達の手前、さぞお気の毒だといった表情でその彼を見上げた。


「こんなにカッコ良くて素敵な方なのに……フラれたなんて信じられない。気を落とさないで下さい。あなたは凄く素敵です」


私は彼を見てフワリと微笑んだ。

するとその彼はポカンと口を開けたまま眼を見開いて私を見つめ、やがて口元を片手で忙しなく擦りながら小さく頭を下げた。

そんな彼を見て、何を思ったのか來也が焦ったように口を開いた。


「こら総二郎、コイツにときめくのはよせ!なんたってこの女はとんでもない女豹……いって!!」


余計なこと言うんじゃねえよ!私は素早く來也の脇腹に肘鉄を食らわせ、


「じゃあ、私はこれで」


何もなかったかのようにニッコリと微笑み、踵を返した。途端に腕を素早く掴まれて、グラリとよろめく。

背中と後頭部が來也の体にぶつかり、私は思わず彼を振り仰いだ。


「お前、独りで焼鳥食べに来たんだろ?どうせなら俺らと飲もうぜ。総二郎元気付けるの手伝って」


切れ長の綺麗な眼が私を見下ろし、清潔そうな唇がやたらと魅力的だ。


だが!!なんでそうなるのよっ!

私は総二郎とかいう人から見えないように來也だけを睨んだ。

それから來也のネクタイをグイッと引っ張り、至近距離からドスの効いた声で呟く。


「なんでそうなるのよ。私は独りで呑みたいのっ。焼鳥は絶対譲れない!近付かないでよね!」


言い終わって凝視する私を來也はマジマジと見つめていたが、やがてフーンと一言発すると総二郎とやらに声をかけた。


「おい総二郎、男子会を邪魔したくないんだって、この女豹……じゃない真朝でもなかった、マヒルちゃんは」


ほんとにイライラするわ。


「どれでもいいけど、呼び名を統一してもらえるかしら」


私がそう言うと、來也は唇を引き結んでこっちを真っ直ぐに見た。


「……じゃあ……マヒル……マヒルって呼ぶ」


僅かに精悍な頬を傾け、何故か眩しそうに眼を細める。


「呼び捨てすんな」

「いーじゃん、俺も下の名前で呼び捨てでいーか」

「じゃあね、相澤さん」


話し終わってない來也にクルンと背を向けて、総二郎とやらに軽く頭を下げると私は宮代の暖簾をくぐった。


*****


「マヒルさん、相澤さんが来てますよ」

「知ってるよ」


私はカウンターでジョッキを傾けながら翔吾くんに返事をした。


「間宮さんもご一緒ですが……行かなくていいんですか?」


あの総二郎とやらの名字は間宮ってのか。……と思いつつ、ハッと気付いた。


「あのね翔吾くん。私、相澤さんとはなんでもないんだよね。相澤さんがふざけてただけなの」

「え、付き合ってるんじゃないんですか?」

「まさか!」


あんなライオンみたいな派手派手しい男、一緒にいて落ち着かないわ。


「ふうん……」


何だか納得がいかないというような翔吾くんを見て、私は眉をひそめた。


「なに」

「いや……じゃあ俺の見間違いです。昨日の夜、代官山で相澤さんとマヒルさんが腕を組んで歩いてるのを見たんですけど」

「うん、見間違いだね、私じゃないよ」


「それが相澤さんといた女性、背の高さもスタイルも髪型もマヒルさんっぽかったんで。相澤さんは横顔が見えたんだけど、女性の方は後ろ姿だけしか見えなかったんですよね。けどてっきりマヒルさんだと」

「他人の空似ってやつだね。翔吾くん、ビールおかわり」


翔吾くんがビールのお代わりを運んできてから、私はツクネにパクついて考えた。

……そりゃモテるでしょーよ、あの長身にあのスタイル、おまけにイケメン俳優並みの美形だ。

……あれで引っ掛けた女とすぐに寝ようとしなけりゃイイ男なのに。私には関係ないけどな!


「勝手にしろ」


私はポツンと呟くと、ジョッキを持ち上げた。


**


一時間ほどで宮代を出ると私はタクシーを拾い、六本木を目指すことにした。治人さんの超高級マンションは六本木だし、私のお気に入りのショットバーも六本木だ。

うん、一杯だけ飲もう。

その時、首尾よく拾えたタクシーに乗り込もうとした私を誰かが押すようにして後部座席に乗り込んできて、私はもう少しで悲鳴をあげるところだった。


「おっとマヒルちゃん、叫ぶんじゃないぜ」


声の主は素早く私の肩を抱くと、瞳を覗き込んで笑った。

またライオンかよっ!


「なにすんのよっ、ビックリして死ぬとこだったわ!」

「ははは、怒った顔、可愛いー」

「てか、何で乗ってくるのよっ!総一郎はどーしたのよ!?」


私が怒りながら問うと、來也はブッと吹き出して流すように私を見た。


「総一郎じゃなくて、総二郎だけどな」

「どっちでもいーわ!」


すると來也はひでぇ!と言って白い歯を見せた。


「総二郎は帰ったよ。もう一度彼女と話してみるってさ」

「あっそ」

「あ、運転手さん、六本木まで」


こらー!!


「なんであんたが行き先言うのよ」

「いーじゃん、どーせ合ってるだろ」


……合ってるけど。私はツンと來也とは逆の方向を向いた。


「なあ、こっち向けよ」


來也の低くて優しい声に、やけにドキッとする。

……何よ、艶っぽい声出したって無駄だからねっ。

私は多少なりとも動揺した事を恥じながら、息を整えた。

それからゆっくりと來也に視線を移して、さも余裕たっぷりに微笑む。


「なに?」


來也は一瞬眼を見開いてから、私を無言で見つめた。

吸い込まれそうな綺麗な眼。間近にある男らしい口元。無駄に男前だ。本当に無駄に美形だ。

何も言わない來也を見て、私は思わずため息をついた。


「なんだよ」


それはこっちの台詞だ。私の微笑みを返せ。


「あんたがこっち向けって言ったんでしょ?なによ」


來也は小さく咳払いしてから口を開いた。


「お前さ、アルバイトする気ないか?」


……は?


「アルバイトする暇ないし、そもそもそんなの禁止なの」

「一度限り、しかもほんの10分で5万出してもいい」


なんですって?5万!?10分で5万円!?

それって、もしかして。

私はキッと來也を睨んだ。


「あんた、ヤバイ奴なんでしょ!私を変なオッサンとかに斡旋して、性的サービスとか……」


やだ、汚らわしい!だからあんな一等地のタワーマンションなんかに住めるのね!

こんなシックなビジネススーツなんぞ着やがって、猫っ被りが!いや、ライオンが!

私が運転手さんに停めてと言おうと口を開きかけた時、來也が私の口を大きな手で塞いだ。


「騒ぐな」

「んぐぐー!」


それから來也は私の耳に唇を密着させると、囁くように話し出した。


「……あのさ、ちょっと困ってる事があってさ」

「ふ、ふははははははっ」

「なんだよ、気でも狂ったのかよ」

「だって、こそばいんだもん!」

「いてっ!蹴るなよ」

「だって、やだ離して、ふふふふ!」


耳に息吹きかけんじゃねー!

ケラケラと笑う私に若干イラついた來也が少し距離を取り、それを合図に私は大きく息をついて乱れた髪を整えた。


「で、なに」

「やるかやらねーか、どっち?」

「……やらしい事じゃないでしょうね!?」

「誓って言うが、違う。ほんの10分俺といてくれるだけでいい」


……10分程度……。


「犯罪に加担とかじゃないでしょーね?ヤクを波止場まで運ぶとか……」

「アホか!そんなこと10分で出来るわけねーだろが」


私は大袈裟に眼を細めて來也を凝視したけど、來也は真剣な眼差しで、その瞳に曇りはなかった。

5万は確かにおいしい。しかも私は金欠だ。


第一の理由は、治人さんと付き合うようになって高価な服を買うようになった事だ。

靴は昔から大好きで、高くても長く履ける質の良いものしか買わないから、長い眼で見たら大したことない。

けど美容院には最低月1か月2で通うし、貴金属もバッグも買ってしまった。


だって、有川物産の御曹司である治人さんが恋人なのだ。私が安物に身を包んでたら、彼まで恥をかく。それにもうすぐ治人さんの誕生日だ。何か気の利いたプレゼントを贈りたい。


そこに、この話はまるでナントカホイホイだ。

10分間來也といるだけで5万。しかもエロい事じゃないし、犯罪でもない。

ああ、どうしよう!

押し黙って悩み続ける私に、來也が追い討ちをかけた。


「俺の側に10分間立ってるだけで即金5万。乗るか?」


……よし。


「I'm in」


瞬間、來也がニヤリと笑った。


「決まり」


それから私の左手に自分の指を絡ませた。


「もうっ!手は繋がなくていいでしょ?!」


來也は握った私の手を自分の膝に置きながら、フウッと笑った。


「逃げそうだからな、この女豹は」


走ってるタクシーから逃げる女なんてそうそういないわ。

私は無言で窓の外を眺めた。

タクシーを降りると、來也は私の手を引いて歩いた。


「逃げないってば」


來也は無言だった。

暫く歩いて、けやき坂通りのとあるビルの前で來也は足を止めた。

高級感漂うデザインの入り口を見ると、どうやらそこはバーらしかった。

それから來也はスマホを取り出すと、画面をタップした。

操作を終えたスマホをスーツのポケットにしまうと、彼は私を見て声をかけた。


「さあ、仕事だ」

「なんだか嫌な予感がするんだけど」

「いいから打ち合わせ通りにしてろ」


その時だった。


「……相澤さん」


重厚なドアから、一人の華奢な女性が現れた。

上品なベージュのスプリングコートに、有名ブランドのハイヒールを履いている。因みに私が欲しかったやつだ。

コテで毛先をゆるく巻いていて、可憐な顔立ちを一層際立たせている彼女は申し分のない美人だった。


「緑川さん」


來也が彼女に声をかけた。


……緑川、緑川。私は名を忘れないように心の中で呟いた。

緑川さんは、そんな私を凝視して押し黙った。


「この方が恋人なの?」

「そうです。ですから僕はあなたのお気持ちにはお答えできません」


緑川さんは品定めするかのように、上から下まで私を見た。


「この方とは長くお付き合いされているのですか?」


來也は私の手を握り直して口を開いた。


「いえ、まだほんの三ヶ月ほどですが僕はマヒルを愛しているんです」


うわ、本名勝手にばらすなっ。

まるで電信柱のように突っ立ったままの私に不信感を抱いたのか、彼女はクッと私を見つめて口を開いた。


「私は緑川冴子と申します。……あなたは、相澤さんと真剣にお付き合いをされているのですか?」


來也が繋いでいる手にキュッと力を込めた。どうやら、何とか上手くやれという合図らしい。ええい、5万円の為だ。

私は申し訳ないと言った表情を作ると、一瞬だけ彼女を見つめて視線を落とした。


「……はい。來也さんを深く愛してます。他の人じゃ代わりにならない。來也じゃないとダメなんです」


そう言って苦し気に眉を寄せると、私は愛しくてたまらないといったように來也を見上げた。

そんな私を見下ろして、來也が僅かに瞳を見開く。


……笑ったら殺すからな!

しかしなんだこの芝居は。

内心、今すぐにでも立ち去りたい気分だった。でもだめ、5万円だから!五万円を足しにして、治人さんにプレゼント買うんだから!

そんな私を見て、來也は私を抱き寄せた。


「マヒル、マヒル」


荒々しく私の後頭部に手を回すと、來也はグッと私に顔を寄せた。

は!?

その直後、突然來也の唇が私の唇と重なり、驚きのあまり私は眼を見開いた。

ち、ちょっとっ……!

來也はチラッと私を見ると構わずにキスを続け、さりげなく身体の向きを変えて緑川さんから私を隠した。

一方私はといえば、彼の舌の感覚に心臓が跳ね上がり、全身の血が逆流しそうになっていた。

離れようとしても來也の力は強く、身をよじることも出来ない。


「……っ、來……」


僅かに離れた唇の隙間からやっと名を呼ぼうとした時、


「もういいわ」


カツンとヒールの音が響き、彼女が私たちに背を向けたのが分かった。

足音が遠退き、それがやがて完全に消える。

そ、それなのに……いつまでやってんのっ。

來也は私を抱き締めたまま、唇を離さない。荒々しい仕草とは裏腹な、優しい、誘うようなキス。

ちょっと、待って。な、んで……。

なんだか、身体の芯が熱くなるような感覚に自分自身驚く。やだ、ダメだ、私……!


「來也、ダメだよ」


やっとの思いで声を出すと、來也はゆっくりと顔を離した。

それから端正な顔を僅かに傾けたまま、彼は私の瞳を見つめる。


「來也ってば」

「ああ、悪い。つい」


つい、じゃないわっ。


「ついこんな風なキスするなんて、どこまでタラシなんだよあんたは!」


私が睨むと、來也はふてぶてしくも言い放った。


「お前だってウットリしてたじゃねーか。案外、俺に惚れたんじゃねえの?」

「死ねっ」

「いって!」


私の拳が來也の胸に命中すると、彼は大袈裟に痛がった後ニヤリと笑った。


「そんなに怒るなってマヒルちゃん。10分5万円だぜ、キスのひとつくらい想定内だろ」


來也の発言に、通りすがりのサラリーマン風の男性がギョッとして私を見た。


「ちょっとっ!大きな声でそういうこと言わないでよっ」


私は腹立たしさのあまり來也に背を向けて歩き出した。


「おい、待てって!報酬払うし一杯おごるからさ」


一杯だけかよ、セコいヤツめ。


「二杯」


私がギロリと睨むと、來也が弾けるように笑った。


「わかった!俺、腹へったわ!総二郎が通夜みたいな顔するからさ、まともに食ってねーんだわ」

「私もなんか食べたい」


來也がニコッと笑った。


「行こ」


言うなり、またしても私の手を握る。

……もう起こる気にもならんわ。


「もっかい焼き鳥?」

「やだ、お刺身に日本酒」

「オッサンか、お前は!」

「こんな女子力高いオッサンがいるわけないでしょ」

「晩飯二回食う時点で女子力低いっつーの」

「うるさいっ」


私達はまるで仲の良い親友同士のようにハシャギながら歩いた。

緑川さんには申し訳ないと思ったけど、なんだか楽しかった。


****


翌日。


「治人さん、もうすぐお誕生日でしょ?何か欲しいものとかある?」


私がそう言うと、治人さんはコーヒーを飲みながら笑った。


「マヒルがプレゼントしてくれるなら、なんでも嬉しいよ」


あはは……模範解答頂きました。私は苦笑しながら治人さんに言葉を返した。


「……言ってくれた方が助かるんだけどな」


治人さんは暫く考えた後に、


「じゃあ……銀座の和食の店を予約するから、一緒に食事してくれる?

それから帰って二人でゆっくりしたいな」


……普通じゃん。


「プレゼントはマヒルがいい」

「わかった」


私は諦めて再び笑った。

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