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~Lion Kiss~  作者: 友崎沙咲
episode1
3/18

幸せの中の不安

***


週明け。


「マヒル、おはよ!」


給湯室でコーヒー片手にスマホを見ていた私に、菜穂さんが微笑んだ。


「おはようございます、菜穂さん」

「なーにー?彼とライン?」


いたずらっ子みたいな瞳で、菜穂さんが私を見る。


「今晩、彼が出張から帰ってくるんです。で、手料理でも作ろうかなって」

「有川物産の王子様ね」


照れ臭くてぎこちなく笑うと、菜穂さんは肘で私を小突いた。


「出逢って一ヶ月目で同棲するなんて、マヒルってばやるわねー。やっぱスレンダーなのに出るとこ出てる美人は特だわー!」

「そんなんじゃないですよー、えっとですねぇ」

「はいはい、もう聞きましたぁ」


菜穂さんはニコニコ笑ってコーヒーを淹れ始めた。

私と有川物産の御曹司である有川治人さんは、会社関係のパーティーで知り合った。

私が勤務しているこのセネカ貿易株式会社と有川物産とは、東南アジアの農業開発を軸とした共同事業を展開している。


詳しいことは……海外開発部ではなく、輸入担当の貿易事務をしている私にはよく分からないんだけど、うちの会社は昔から輸入だけでなく、海外に技術者を派遣して生産段階から介入しているため、農地や化学肥料に詳しい。

多分その関係で有川物産から声がかかったんだと思うんだけど……。


****


ある日うちの社長が急に、


「藤吉、藤吉っ!共同開発事業設立三周年記念パーテーへ、一緒に出席してくれ!」


は?


「社長、早口言葉ですか?パーテーって……まあ、パーチーって言うよりマシですけど」

「頼む!」

「社長、嫌です」

「お願いだ!!ドレス買ってやるから!」

「結構です」


だって、ドレスなんて他に着るときないし。

ツンと私が横を向くと、社長は人目も憚らず私の正面に回り込んで目の前で手を合わせた。


「お願いだ、藤吉!八木がインフルエンザで寝込んじゃったんだよぉ!」


八木麻里め、逃げやがって!私は内心舌打ちした。

脳裏に、八木麻里のバッサバサした扇子みたいな睫毛が蘇った。


『来週、彼と温泉旅行なんだあ!』


とか言ってたよな、確か。ちきしょう、あのアマ。

仁王立ちで空を睨み据える私に、恐る恐る社長が問う。


「なあ、そんな般若みたいな顔しないでさあ。今回はアメリカから農地開発の視察団が来るんだよ。俺、そんなに英語が得意じゃないし」


ウソつけっ。毎日英字新聞読んでるでしょーがっ!

私はぞんざいな眼差しを社長に向けて口を開いた。


「社長。わが社はショボいながらも貿易会社ですよ?」

「こら、ショボいとか言うな!」


私は社長の抗議をスルーして続けた。


「したがって、英語話せる社員なんていっぱいいるじゃないですか。なんで私なんですか」


すると社長は満面の笑みで答えた。


「だって藤吉ほど演技派というか……こう、見た目も麗しく中身もふてぶてしい女性社員はそういないからさ。あとお前は中国語も話せるし。とにかくお前を連れてると俺は安心してパーテーに出席出来るんだ。頼むよ!」


パーテーて。ああ、もう!!

社長は私より12歳年上で、社長の奥方は私の大切な大学の先輩、花音さんだ。

花音さんはアメリカで暮らしていた時からの大親友で、私が断れないの知ってて……くそ。

私は社長を睨んだ。

それから、オフィス全員に聞こえるように声を張る。


「皆様ー、私が開発部のパーティーに嫌々参加する見返りは、忘年会の会費ゼロ円でーす!今年の忘年会は全額社長のおごりに決定しましたー!」


言い終えて社長を見上げる。


「いいですか?」

「わ……分かった!分かった!だから助けてくれ!」


社長の言葉にオフィス中の社員が歓声を上げた。


「やったーー!」

「藤吉、頑張ってきてくれ!」


妥当なご褒美でしょ。


「俺は小遣い制なんだぞ……」


呟きながら去っていく社長の背を見つめて、私はニヤリと笑った。


***


社長に連れられてというか、私が社長を連れていた感も否めなかったが、とにかく私は社長の通訳係などをつとめながら卒なく使命を全うした。

……とまあ、そんなこんなで参加したパーティーに、当然ながら有川物産の御子息である治人さんもいたわけで、私達はそこで初めて顔を合わせたのだった。

パーティー当日は確か三時間後、午後十時を過ぎたところで社長と私は会場を後にしようとしていた。


「藤吉、今日は助かったよ、ありがとう」

「……社長。中国語はだめでしたが、英語はバリバリだったじゃないですか」

「ダメってハッキリ言うなよー」


社長に満面の笑みを向けられ、返事を返そうとした時だった。


「飯島社長」


私は社長と並んでいたが素早く一歩下がった。有川治人だ。

パーティーの間、幾度となく有川治人と社長は会話していたが、もうお開きの時間なのに……なんだろう。


「ああ、有川さん!今日は大変有意義でありながら、非常に楽しい時間を過ごせました。ありがとうございます」


社長は、取引先の社長の息子である有川治人に向かって白い歯を見せた。


「私もです、社長。ありがとうございました」


にこやかに言葉を交わし、私達はでは、と頭を下げてエレベーターへと足を向けた。

その時だった。


「藤吉……さん!」


有川治人が突然私の名前を呼んだ。


「……は、い……」


凄く驚いた。

名刺交換はしたけど私は開発部じゃないし、こうして名前を呼ばれるなど予想してなかったから。

けど、驚いているのは私だけじゃなかった。

そっと隣を見ると、社長も不思議そうな表情でチラリと私を見た。

けれどそれはほんの一瞬で、社長は直ぐに少し大きめの声でこう言った。


「藤吉、悪い!送ってやれなくなった!奥さんに用事を頼まれてたのをすっかり忘れていた!」


……は?

もう十時過ぎてますよ?てか、パーティーと分かっていて花音さんが、社長に用事なんか頼むわけないじゃん。

彼女は物凄く良く気が付く、素敵な女性なのだ。

旦那がパーティーと言えど仕事で遅くなるとわかってて用事なんか頼むような人じゃない。

……何を考えてる、社長。

私が訝しげな顔をし、口を開きかけた時である。


「もしよければ、僕に藤吉さんをお送りさせて頂けないでしょうか」


は?

社長は急に生き生きと瞳を輝かせた。


「それは願ったり叶ったりだ!有川さんさえ宜しいのでしたら、藤吉をどうぞよろしく御願いします!こう見えても一応女性ですし。歳はいってますが」


何が願ったり叶ったりだ。しかも一言多いわ!

27歳は、そりゃ四捨五入したら30だけれど!そこは言わなくていいだろ!

社長にしか見えない角度で眉を寄せる私にニターッと笑うと、彼は有川治人に爽やかな笑みを見せた。


「有川さん、よろしく御願いします。じゃあ藤吉、週明けな!」


颯爽とエレベーターに乗り込み消えてしまった社長に、私は呆気にとられた。なんなのよ、もう……。

大きなため息を漏らした私に、有川治人は遠慮ぎみに話し掛けてきた。


「あの……」

「あ、大丈夫です、私は!有川さん、どうぞお気になさらず」


有川治人は困ったように首を横に振ると、やがてフワリと笑った。


「僕、あなたと話がしたいんです、藤吉マヒルさん」

「へ?」


最初は全く意味が分からなかったんだけど、有川さんの赤くなった頬を見て思った。これって……もしかして……。


「少しお時間いただけますか?」


私はコクンと頷いた。



****



「ニヤついちゃって!早く現実世界に戻ってこいっ!」


菜穂さんにバスッと背中を叩かれて、私はハッと我に返った。

やだ、治人さんとの馴れ初めを思い出したら……ニヤケちゃった。

パーティーを境に、私と治人さんは交際を開始した。


治人さんは柔和な顔立ちで、これといって背が高いわけでもない。

けれどお金持ち特有の品のよさが際立っていて、性格も優しくて穏やかだ。

癒される。凄く癒される。


「ほーらまたニヤケてる!」

「あっ!」


ダメだ、早く治人さんに会いたい。


****


「ただいま」

「治人さんっ」


午後九時。

私は急いで玄関に向かうと、出張から帰ってきたばかりの治人さんに飛び込んだ。開いていた彼の両腕が、私を抱き止める。


「マヒル、ただいま。会いたかったよ」


私は身を起こして治人さんを見上げた。彼の優しい、黒い瞳を見ると安心する。


「うん、私も!治人さんに会いたかった」


お互いの唇が重なり合い、私は治人さんをギュッと抱き締めた。


「治人さん、治人さん」


治人さんは、しがみつく私に苦笑した。


「全く、マヒルは……」

「だって……あっ」


どさりと荷物を床に下ろすと治人さんは私の二の腕を掴み、壁に背を押し付けた。


「……どうして欲しいの、マヒル」


熱を孕んだ治人さんの瞳に、たちまち期待が高まる。そんな私の瞳を覗き込むと、治人さんはクスリと笑った。


「可愛いな、マヒルは」


頭にポンと手を乗せられて、少し眼を閉じると治人さんは続けた。


「今すぐマヒルを抱きたいけど……実は腹ペコなんだ。イイ匂いだね」

「あ、うん、クリームシチュー作ったの。あとはローストビーフとサラダ」


やだ、私ってば恥ずかしい。


「じゃあ、急いでシャワー浴びるから」

「分かった。用意するね」


治人さんは私の唇にチュッとキスをすると、ネクタイに指をかけながらバスルームへと消えていった。

二時間後、私は治人さんの寝顔を見ながら少し微笑んだ。

……寝ちゃった……治人さん。

今すぐマヒルを抱きたいけどなんて言ってたけど、私を抱く前に彼はソファで眠ってしまった。


心の中に、一抹の淋しさがスパイスみたいに香る。

優しくて穏やかな治人さんとの同棲生活は、フワフワとした綿に包まれたように幸せだ。なのに、どうしてこんなに胸がザワザワするんだろう。

ねえ、治人さん。あなたはあの日、どうして私を選んでくれたの?私のどこがいいの?


『マヒルの全てを愛してるよ』


ううん、多分彼は私の全てを知らない。本当の私を知らない。だって、治人さんは……。

グッと喉の奥が痛んだ。そっと治人さんに手を伸ばして、私はその髪に触れる。


「治人さん、ベッドで寝ないと風邪引くよ」


治人さんは少し睫毛を震わせて、うっすらと眼を開けた。


「……ん……分かった……おやすみ、マヒル」

「おやすみなさい」


春と言えど肌寒い夜。

窓から見える月はとても静かな輝きを放っていたのに、なんだか私の胸の中は騒がしく、変な感じだった。


****


「治人さん、今日仕事、何時に終わる?」


私は治人さんにお味噌汁を運びながら遠慮がちに訊ねた。

治人さんは和食派。

彼は私の声に、持っていたお茶碗をテーブルにおいた。それからお箸もキッチリと箸置きに戻す。続いてお茶を一口飲むと、ティッシュで口を拭いた。

……遅っ。

いやダメ、そんな事思っちゃダメなのよ、彼は上品でイイところのお坊っちゃまなんだから。


「……今日は多分、遅くなると思うなあ。どうしたの?」


私は少し笑った。


「ううん、何でもないの」

「そう?ああ、夕食は先にすませといて。何時になるか分からないから」

「うん……分かった」


私はガッカリした気持ちを胸の中に押し込めて微笑んだ。


****


「ダメ。なんかねえ、ダメなんだよね」


私のどうしようもない言葉に、柚希は眉を寄せて首をかしげた。


「なに、どうしたの?」


私は昼休憩で出た会社近くのカフェで、ランチプレートの中をボーッと見つめながら溜め息をついた。


「治人さんと一緒に暮らし始めて二ヶ月が経つんだけど、なんか調子出ないんだよね」

「調子出ないって?具体的には?」

「……柚希はさ、裕太君に言いたい事とか言えてる?」

「もちろん。ある程度はね。言っちゃいけないことは黙ってるけど」


クルクルとプレートの中のナポリタンをフォークに巻き付けながら、柚希は軽く頷いた。


「……なに、マヒルは治人さんに思ってること言えないの?」


グッとつまる私を見て、柚希はフォークを持つ手を止めた。


「おっと……肉食系女子のマヒルも、乙女だった訳だ」


お、乙女って、おい。


「てか、なんで言いたい事が言えないの?」


なんでって……嫌われたくないし……。


「昔はさ、付き合ってた彼氏に何でも言えてたの。今日は料理したくないから外食がいいとか、掃除は明日するとか、今晩シたいとか」


柚希は一瞬眼を見開いてからトントンと自分の胸を軽く叩き、急いでレモン水の入ったグラスを傾けた。


「喉詰めるとこだったわ!」


それから紙ナプキンで丁寧に口元を押さえて続けた。


「シたいって……まあ、あんたなら当然か、肉食系女子だもんね」

「そこはいいから」


柚希はテキパキ食べ続けながら、その合間にピシャリと言ってのけた。


「同棲してるのに自分をひた隠しにしてどーすんの。しんどいだけじゃん。そんなの今日限り止めな」

「それがさ、治人さんには何故か自分を出せないんだよね」


私はプレートのサラダを少しだけ口に運んだ。柚希が小刻みに頭を振る。


「ありのままのマヒルはとても可愛いわよ?なのに、猫被ってどーすんの」

「……治人さんってさ、すごく上品だし温厚で穏やかな人なの。そんな治人さんに料理したくないとか自分から抱いてほしいとか言うと、引かれるっぽくない?」


柚希はしばらく私を見つめていたけど大きく息を吐き出して口を開いた。


「まだ付き合って三ヶ月でしょ?マヒルだけじゃなく治人さんだってマヒルに遠慮してる部分があるんじゃないかな。これから徐々に、『素の自分』を彼に見せていけば?」


言い終えて、柚希はニヤッと笑った。


「いやー、ほんと、こんなマヒルにお目にかかれるなんてねぇ。治人さんのお陰ですっかり草食女子ですなあ」


けど、これまでの恋愛がことごとく長続きしなかった私としては、不安で仕方ない。


「ありのままの自分でいなくちゃ、長続きしないよ?」


そこも問題なんだよ、柚希ちゃん!だって今まで、ありのままを見せすぎてダメになっちゃった気がするんだよ。それも数ヶ月で。

自分を出せないのも嫌。

けど、ありのままの自分を見せて、嫌われるのも怖い。

ああ、もう!どうすりゃいーの。とにかく私は治人さんが好き。別れるなんて考えられない。

私は最後のミニクロワッサンを平らげるとペリエを傾けて、小さく溜め息をついた。

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