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~Lion Kiss~  作者: 友崎沙咲
episode6
13/18

ライオンの事情

****


女という女にうんざりしていた時に、マヒルに出逢った。

彼女を部屋に連れ込んでソファへ押し倒した時、見ず知らずの俺とセックスしたがってるこの女も、今までのヤツと一緒だと思ったんだ。

だからその数分後、俺は独りで大笑いした。


バスルームから戻ると彼女は消えていて、テーブルには大きく黒字で『バァカ!』と書かれていたからだ。

他でもない、俺に向けられた言葉だと言うことは明白だ。


彼女は聞いていたんだ。ショットバーでの俺の言葉を。

あの誘うような眼差し。潤んだ茶色の大きな瞳。どんな風にすれば男をその気にさせることが出来るか、彼女は知っているようだった。自分の魅力を最大限に引き出す仕草も。


俺を気に入ったと思わせる、あの妖艶でありながらどこかあどけない甘い表情。

とびきりの美人といったわけじゃないが、それはあくまで俺が遊んできたモデル達に比べればの話だ。小柄だが綺麗なのは確かだった。

無駄な脂肪のない身体に絞り上げたような腰、素材をいかしたメイク。卒のない立ち居振舞い。


……完全に一杯食わされた。

悔しいのに無性に嬉しいというか、胸が踊るような気持ちが心の中に芽吹き、瞬く間に枝葉を広げる。

マヒル……あの時は真朝と名乗ったが……とにかくまた会いたかった。

彼女なら俺の見た目じゃなく、相澤ホールディングスというブランドじゃなく、俺の中身をちゃんと見てくれるんじゃないだろうか。

そしてなにより、彼女自身を知りたかった。彼女はどんな女なんだろう。……趣味は?好きな食べ物は?

好きな……男のタイプは?


俺は眼を閉じて彼女の顔を思い返した。

忘れたくなかったんだ。再会した時、ちゃんと分かるように。

もしも再会してきちんと向き合えることが出来たら、俺はどうするだろう。


真冬だというのに、じんわりと汗ばんだ自分の身体に俺は苦笑した。

彼女との出会いに高揚した自分に、呆れたのだ。


********


三ヶ月後、彼女に会えた俺は尋常でない喜びを覚えた。

実はこの再会は、100パーセントの偶然じゃないんだ。

焼鳥屋宮代の店長、篠山さんとは昔からの飲み友達で、ある日俺が『真朝って女が忘れられない』と言うと、篠山さんがこう言ったんだ。

『真朝は知らないけど、マヒルなら知ってるよ』って。

朝とヒル。おれのシックスセンスが言った。

あの時逃げる気でいた彼女が、真剣に向き合おうとも思わない俺に本名を名乗る確率は低い。彼女かもしれない。


俺が海外出張で参加できなかった『宮代オープン10周年記念』の飲み会の写真を篠山さんに見せてもらった時は、思わずガッツポーズをしてしまった。ビンゴだ。

ビールを片手に、満面の笑顔の彼女を見つけて、俺は胸が踊った。

俺は恥も外聞もなく篠山さんに彼女がよく店に来る曜日を聞くと、開店間際から居座り、彼女を待った。


写真を見せてもらった日から一週間で、俺はマヒルに会えた。

彼女は会社の同僚らしき女の子と夢中で話していて、まるで俺に気づかない。

しかも会話の内容に、俺は落胆した。

彼女が有川物産の息子、有川治人と恋人同士だというではないか。

しかも出会ったのは三ヶ月前で既に同棲しているなんて。

三ヶ月前っていや、俺とマヒルがショットバーで出逢った頃だ。

なんだよ、ちきしょう。俺は彼女との出会い方に後悔を覚えた。


『金持ちで品も良く、見た目も地味で誠実で安心できる男』とかたや、『女を軽視し、誰彼構わず引っかけてヤりまくりの軽い男』


勝ち目なんかねえじゃねーか。

有川治人はスイスの大学で二年先輩だが、金持ちという以外はどこにでもいるような男だった。

だが、マヒルはそういう、地味で安心できる男がいいと言う。安全パイなだけだろ?俺を選べよ。

そんな気持ちがムクムクと頭をもたげたが、まさかそんなこと言えるわけがない。

さて、どうしたものか。なんとか、彼女の心に入り込みたい。

うまい具合に同僚が去りマヒルだけになった時、俺は意を決して話しかけた。


「ほんとにフシダラな女だぜ」


俺の言葉に反射的にこちらを向いたマヒルが一瞬ギクリとした後、あからさまに嫌そうな顔をした。

その表情に俺の気持ちと彼女の心の温度差を感じて、些かショックをうける。仕方がない。出逢いが出逢いなだけに。けれど俺は、食い下がった。


つくづく、あのテーブルの『バァカ!』を消さなくて良かったと思った。

俺と再会してこんなに嫌そうな女は見たことないし、そんな女を家に誘う口実なんか普通には考えられなかったからだ。

結局、彼女を部屋に入れたが何の進展もなかった。


『二度と会うことはないと思うけど、お元気で』


ぞんざいな眼差しを俺に向けた彼女に俺は目一杯、余裕の笑みを見せた。


「じゃあまたな、マヒルちゃん」


悪いがこれっきりにするつもりなんか更々ない。確かめたいんだ。

彼女との会話から、俺が外見だけしか取り柄のない男だと思われているのは分かってる。

なら逆に、こいつは俺の見た目だけで判断しないって事だろ?

じゃあ、お前は?あの日俺をその気にさせて、スルリと抜け出していってしまったお前はどんな女?


腹黒くズル賢いというのとはまた違う。……多分、俺みたいなヤツを裁く事を自分に課しているんだ。

……無性に知りたい、彼女の事を。

靴を履くマヒルを見つめながら俺は思った。絶対、俺とこいつはこのままじゃないって。


********


『來也っ!あなた緑川冴子さんとのことどうするの?!いい加減に返事をしなさい!』


爆睡中だった俺は、耳元で鳴り始めたスマホを反射的に手に取り、後悔した。

……朝っつっても、早すぎだろ。午前五時だぜ。


俺は、こんな早朝からこんなでかい声が出る母親……相澤理沙子の顔を脳裏に描き、目眩がした。

と同時に、誰に咎められるわけでもなく天真爛漫に育ち、自分の思うままに人生を歩んできた母親を羨ましく思った。


……全く親父も物好きな男だ。

いまだに親父は母親を溺愛中で、息子の俺としては二人を見て呆れるばかりだ。

普通の家庭に育ち、世間一般の常識を教育されて育ったなら、朝の五時に電話をかけて叩き起こした相手を責めないだろう。

……ああ……。


「おはよう、母さん……見合い相手には断っといて」


元々、好きで見合いした訳じゃない。

どこでだったか忘れたが……俺を見かけて気に入ったと仰っているお嬢様がいるから、一度会ってやってくれと言われた相手の事だ。

冗談じゃねえ、そう言ってムッとした俺に母親は、


「ダメ。何故かと言うと相手のお嬢さんは緑川グループのご令嬢だからよ。お祖父様同士が親友だし、彼女はあなたに一目惚れですってよ」


嘘つけ。しかも何人目だよ。先月は大病院の院長の孫、その前は超有名ホテル王の娘だったじゃねーか。


相澤ホールディングスの傘下にある企業は何千とある。

俺とどうにかなったら多大な恩恵にありつけ、ライバル企業を出し抜けるとでも考えてんだろ。


案の定、緑川冴子もつまらない女だった。

儚げに微笑み、よほど話し方を意識しているのか一言一言噛み締めるように話し、マニュアルに従っているのか俺が話すとしっかりと相槌を打ちながら目を見つめる。

………人形かよお前らは。見た目はどの女も綺麗だが、長く覚えてはいられない。個性がないからだ。

記憶にあるのは漂う香水の香りと有名ブランドの服、バッグ、貴金属。


「お付き合いする気がないなら、あなたがご本人に直接お断りしなさい!」


思わず舌打ちした俺に、母親は大きくため息をついた。


「……來也。あなたもう28歳でしょ?いつになったらうちを継ぐの?

いつになったら結婚して落ち着くの?!」


……出た。俺は両目を閉じた。


「今時、28で独身なんて珍しくもなんともねーんだよ」

「好きな人はいるの?真剣にお付き合いしている人とか」

「あー……」


俺はパチッと眼を開けた。そうだ、このうるさい母親をおとなしくさせるには。


「惚れた女がいるんだ」


案の定、電話の向こうで息を飲んだように黙り込む母親。

俺はニヤリと笑った。


「マジなの、來也」


マジって……若者かよアンタは。


「ああ。俺は惚れてるがむこうは脈なし。てか、嫌われてる。しかも相手は別の男と同棲中」


俺はマヒルを思い浮かべながら呟くように言った。


「片想いってヤツだ」


母親はよほどビックリしたのか、


「それって……人間?」


……どんな質問だよ。


「当たり前だろーが」

「そ、そう……あの、頑張ってね」


プチッと音がして、通話が切れた。時計を見ると午前5時10分。二度寝するとダルくなる。今日はオリジナルジュエリーの選考日だ。

俺はスマホをポンと放り投げると、バスルームへと向かった。


****


それから約一週間後、俺は幸運にもマヒルとバッタリ出逢った。

仕事が早く終わり、女に振られた総二郎を慰めてやろうと二人で宮代へと出掛けたところだった。

トボトボと歩き、下ばかり向いているマヒルは俺たちに全く気づかない。


「総二郎、マヒルだ」


信号待ちをしているマヒルを見て、総二郎は少し眉をあげた。


「イイ女だな」


マヒルは声をかけた俺に、相変わらず嫌な顔をした。そのクセに振られた総二郎には気遣いを見せ、優しい言葉を口にする。

マヒルの眼差しに、総二郎が動揺したのが分かった。待ってくれよ、親友と女の取り合いなんてゾッとする。


咄嗟の俺の悪態に、マヒルは案の定ムッとした。一緒に飲みたくて誘うが、当然の如く断られた。

踵を返し、先に店に入ったマヒルの背中を見つめていると、総二郎が呆れたように俺を見た。


「なんか……ニュータイプだな。しかもお前、嫌われてないか?お前にあんな顔する女もいるんだな」

「今は、な。確かに嫌われてる」

「俺もしつこくいこうかな、お前を見習って」

「そうしろ」


俺は総二郎を見てニヤリと笑った。


「お前、女豹で頭がいっぱいだな。……俺、玲奈にもう一度会って話してみるわ」

「そーだな。俺と飲むよりそっちのがいい」

「お前も女豹を誘え。ここ、お前のおごりな!」


笑いながら手をあげて去っていく総二郎を見送った後、俺は店員の翔吾を呼び止めた。


「マヒルが帰る時、俺に声かけて」


翔吾は意味あり気に口角を上げた。


「狙ってるんですか?」

「まあな」


俺はジョッキを傾けるとそれを飲み干し、スマホをタップした。緑川冴子には悪いが、彼女と付き合うつもりはない。


「相澤です」


スマホを耳に当てると、俺はゆっくりと話し出した。


******


緑川冴子は顔に似合わずしつこかったが、恋人を見せるなら諦めると言い出した。すぐに俺はマヒルを恋人役にしようと考えた。

マヒルなら、願ったり叶ったりだ。

僅かな時間でも恋人役を演じて、彼女が俺を意識するきっかけになればいいと思った。


なんとかマヒルを説得すると、俺は緑川冴子の待つバーへと向かい、彼女にマヒルを会わせた。

マヒルは俺の為……というか、10分間5万円の為に必死で恋人役を演じていた。

緑川冴子がマヒルに、俺と真剣に付き合ってるのかと尋ねた時、


『來也さんを深く愛してます。他の人じゃ代わりにならない。來也じゃないとダメなんです』


そう言ったマヒルの言葉と眼差しに、不覚にも俺の鼓動は跳ね上がった。

一心に俺を見つめて、切な気に瞳を揺らすマヒルにグラッときたんだ。

おい、マジかよ?思わず心の中で、自分にそう問いかけた。

これがマヒルの演技だということを頭では理解しているのに、どうしようもなくこの瞬間、俺はマヒルに惹かれた。


……キスしたい。殴られてもいい。キスがしたい、マヒルと。もしもこのキスでこいつの人生を変えてしまったしても俺は……。

考えたのは一瞬だった。

俺はマヒルを抱き寄せて彼女の唇に口付けた。信じられないが身体が震えた。

俺が抱き寄せてキスをするとマヒルはもがいた。

案の定彼女は俺を制したが、唇を離した時には緑川冴子は立ち去った後だった。

俺はマヒルを見つめた。形のよい輪郭に大きな瞳。さっきまで口付けていた、ふんわりと柔らかいピンク色の唇。


探したかったんだ。彼女の表情に少しでも俺に対する好意が浮かんでいたらと。

けれどそんなものはどこにも見つけられないまま、俺達は互いに悪態をついた。

俺はマヒルとこのまま別れたくなかった。ダメ元で飲みに誘うとマヒルはムッとしながらもOKした。

手を繋いだ俺を、呆れたように見上げたマヒルが可愛くてついついからかってしまう。

……まるでガキみたいな自分に、俺は内心失笑した。

ほんの僅かな時間だったがマヒルと酒を飲んだその夜を、俺は心に刻み付けた。


******


ある日の夜、俺は総二郎と家飲みしていた。場所は六本木にある総二郎のマンションだ。仕事やプライベートをゆっくり語る時は家飲みに限る。

総二郎も俺も酒には強い方で、言わば二人とも『ザル』だ。

その日もチビチビと飲み始め、ふと時計を見るとすっかり深夜だった。


「俺、コンビニ行ってくるわ。ロールケーキが食べたい」

「はあ!?女子かお前は」


総二郎はカラカラと笑いながら出ていった。

俺は今流行りの芸人が出ているバラエティーをボケッと見ていた。

やがてエンディングが近づき、リモコンを手にしようとテーブルを見た時、俺のスマホが鳴り始めた。……総二郎だ。


「どーした?ロールケーキなかったのか?」


俺の質問に答えることなく、総二郎は話し出した。


『あ、來也?いま大通りで女豹ちゃんと出くわしたんだ。それがさ、泣いてるんだよね。女豹が仔猫に変身し』


そこまで聞いて、居ても立ってもいられなかった。どうしてこんな真夜中に、マヒルが街で泣いてるんだ。痛いくらい心臓が激しく脈打ち、身体がカアッと熱くなった。


エレベーターを降りてマンションを出ると、俺は走り出した。

大通りを右、左と見渡すと、総二郎が手を上げたのが見えた。すぐそこだ。

俺ははやる胸を抑えながら、二人の元へと急いだ。


泣きはらしたマヒルが俺を見て顔を背けた。

唇は切れて血が滲み、白い両頬には指で掴まれたようなアザが出来ていた。

胸元は引っ張られたのか不自然なくらい布が伸び、明らかに誰かに手荒な真似をされたのが見てとれた。

……有川治人だ。ヤツの家は六本木の超高級マンションだ。

マヒルはどう見ても部屋着で、荷物といえば片手で束ねるように持っているスマホと財布、足元はミュールだった。


あいつ……ふざけたマネしやがって!

マヒルの頬に触れると、怒りが炎のように胸の中に渦巻いた。

思わず抱き締めたくなる衝動を必死で抑え込むと、俺は総二郎に告げた。


『総二郎、俺、コイツ連れて帰るわ』


総二郎と短くやり取りした後、俺はマヒルの手をしっかり掴んで歩き出した。

タクシーを拾い、俺の部屋へと入ったマヒルはシャワーを浴びるとポツポツと話し出した。やはり有川治人だった。


理由も分からないまま、有川治人はマヒルに乱暴を働いたようだった。

有川治人は大学時代、大人しく目立つタイプではなかった。どちらかというと気が小さく、自己主張する事もなかった。

ましてや誰かに危害を加えるような荒々しい性格ではなく、地味で穏やかだった。目立たないが友人には恵まれていたし、語学も堪能だった。


その有川治人が、なぜ女に手を上げたんだ。しかも相手は愛する恋人だ。

マヒルは身体に受けた傷の痛みより、普段優しい有川治人の豹変さにショックを受けたようだった。


つくづく俺は、有川治人と同じ頃にマヒルに出逢ったのにも関わらず、彼女と恋人関係になれなかった自分の運命を呪った。

……マヒルを帰したくない。アイツのもとに帰したくない!

俺はしばらくの間ここにいろと引き留めたが、彼女はそれを拒んだ。


『治人さんがいるのに、他の男の家に転がり込んじゃまずいでしょ』


初対面の時の、あの小悪魔めいたマヒルはどこにもいなかった。

こいつは……恋愛に対してしっかりとした道徳心を持っている女なんだ。

けどそれが俺を無性にイラつかせた。同時にますます惹かれていく。

結局、マヒルは次の日、俺のところに帰ってはこなかった。


朝、無理矢理聞いた携帯番号だけが、俺とマヒルを繋いでいた。

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