逢いたかった理由
「ゆりさん」
私の姿に気付くと、泉が軽く手を挙げた。
会社の前で待っていた私は、女性達の視線を独り占めしながら近付いてくる泉に、少しだけ誇らしくて…少しだけ嫉妬した。
「仕事、お疲れさまでした。今日はこのままどこかで食事しませんか?」
「あ、うん」
泉はにこやかにそう言うと、歩き出した。
でも、いつも繋ぐはずの手を、繋ぐことなく泉は少し先を歩く。
(なんか、素っ気ない気がするのは…気のせい?)
「今日来ると思わなかった。講義終わってすぐに来たの?」
会社と家のちょうど中間地点ぐらいにあるレストランに入った。
注文した料理を待ちながら、私はそう言いながら向かいに座っていた泉をちらりと見る。
「はい、迷惑でしたか?」
いつものように、泉が微笑んで訊ねる。
「そんなわけないでしょ」
照れながら、水を飲む私に泉がクスリと笑う。
「…ですよね…」
でも、微笑みながらそう呟いた泉が、少しだけ寂しそうな表情になったのを私は見逃さなかった。
「どうしたの?なんかあった?」
「いえ、ゆりさんに逢いたかっただけです」
(そういうこと、サラッと言うのやめてよね…)
私はそれ以上何も突っ込めずに、赤くなって水を飲む。
「ゆりさんも、前にありましたよね?」
ちょうど料理が運ばれてきて、テーブルの上が賑やかになった時、泉が言った。
「…へ?」
何のことか分からずに、手を止めて私は首をかしげる。
「突然、大学まで逢いに来たことあるじゃないですか」
「あ、あれは…」
確か誤魔化したはずなのに、泉にはバレているのが恥ずかしくて私は焦って否定する言葉を口にしようとした。
「“仕事で、たまたま近くまで来てたから”?」
泉が私の台詞を先に口にした。
その言い方は決してからかっているわけではなくて…私は泉が本当は何を言いたいのかを聴くために黙ったまま彼を見つめた。
「本当は、何か悩んでたんじゃないんですか?」
泉が少しだけ、責めるような口調で言った。
あの日、どうして泉に逢いに行ったのか…理由を話さないでいる私に苛立っているようだった。
「泉…?」
(悩んでた?私が?)
「陽子さんから聞きました、前の彼氏にプロポーズされたこと」
泉が、私を真っ直ぐ見返して、ハッキリと言った。
「あ…」
途端に手から体温が冷えていくような感覚に襲われた。
知られたくなかった。そんな顔を、させたくなかった。
「僕に知られたら、嫌な思いすると思って黙っていたんですよね?分かってます」
泉が寂しそうに微笑みながら、私を優しく庇うようにそう付け加えた。
「…ごめん。でも私断ったし―――」
だから疚しいことなんて何もないし、わざわざ言う必要はないと思った。それは本当。
私がそう言うと、泉は私のテーブルの上にあった手に、手を重ねる。
そして、ゆっくりと言った。
「―――僕からのプロポーズも、断るんですよね?」
私は、改めて答えを聞かれ、ドキンドキンと胸の音が激しく早く打つのが分かった。
「泉のことは、好きだよ。でも私、まだ結婚は考えられない…」
震える声で、私はそれを伝えた。
現在の私が答えられる、泉への正直な気持ち。
「―――そう、ですか」
肩を落として、泉が呟いた。
泉を悲しませるつもりはなかった。だけど、今の私は…――――。
申し訳ない気持ちと、彼がそんな私をどう判断するのかが怖くなって、私はテーブルから手を引くとスカートの上でぎゅっと拳を握る。
(…そうしたら私達、別れることになる?泉は結婚を急いでいるの?)
そう考えたら、目の前が涙で滲んだ。
ぎゅっと唇を噛み締めて、涙を落とさないように下を向く。
(イヤだ…別れたくない…―――――)
そう思いながら私は、泉からの言葉を待った。




