ぶつかる気持ち
水曜も木曜も、
帰ったらもう夜遅くて、クタクタで、
せっかく泉が作ってくれたごはんも翌朝にして、
私はシャワーを浴びて寝るだけの日々だった。
だからやっと今日の仕事が終わったことで、私は油断してた。
早く泉に会いたい一心で、油断してたんだ。
「やめて、泉…」
(―――どうしてこうなるの?)
私は勝手に溢れ出ていた涙を拭い、泉と春田くんの間に立つ。
「ゆりさん…」
私の言葉に、泉が掴んでいた春田くんの胸元から手を離す。
(こんな泉…初めて見た)
いや、私がさせたんだよね。私のせいで泉が…―――。
「こいつが、今のゆりの彼氏?」
春田くんが泉を睨むようにして、言う。
「学生だっけ?お気楽だな。」
「春田くん、」
ケンカを売るような口調にヒヤッとして、私はやめてもらおうと声をかける。
以前に二人で呑んだときも、春田くんは泉のことを『納得いかない』とか『別れろ』とか…言っていた。
私が騙されてるんじゃないかと心配していた。
(でも、だからってそんな言い方しなくてもいいのに。だいたい泉はそんな男じゃないし…ーーー)
「そうですね、僕は来年から社会人ですが今はただの学生です」
泉が春田くんに向かって話し出した。
先程掴みかかっていった時の勢いはなく、いつも通りのマイペースな雰囲気に戻っていた。
「ですが、」
泉の目が、春田くんをとらえる。私は泉の隣でそれを見ていた。
「それがなんですか?」
「は?」
苛立つような声で春田くんが聞き返す。
「ゆりさんは僕の彼女です。貴方がしたことは許せません」
春田くんをじっと見据えながら、泉が私の腰に腕を回して引き寄せる。
「チューしたくらいで騒ぐなよ、大人気ねーな」
学生だから子供だとでもいうように挑発的にそう言って笑ってみせた春田くんを、泉は表情ひとつ変えずに言う。
「肩に手を回すことすら許した覚えはありません」
それは、私にも『手を回すことすら、されないでよ』と言われている気がした。
「泉、ごめんね」
私は泉を見上げて謝ると、正面に立っていた春田くんに言う。
「春田くんがふざけてこんなことする人だと思わなかった」
(キスが、どうして“お礼”になるのよ…っ)
からかうのが好きな春田くんに、酔っていたからとはいえ悪戯が過ぎると思った。ショックだった。
「ふざけてねーよ」
(怒っていたのは私だったはずなのに、なんで春田くんが怒るの?)
「俺帰るわ」
春田くんが私の言葉に、さらにイラついたように帰っていった。
「―………」
(春田くん?ふざけてなかったら、なんなの?)
もうロクに働かない頭で考えてながら春田くんが歩いていってしまうのをボーッと見ていると、
「…帰りませんか?」
と、静かに泉が言った。
いつのまにか、腰に回された腕は離されていた。
「…うん」
(見られたんだ…私。泉以外の人にキスされるところ…)
今更それを意識して、私は青ざめる。
(本当に、嫌になる…。)
仕事に追われて、泉がいるのに泉との時間を過ごせずにいたこの三日間も。
やっと仕事に解放されたと思ったら、同期だと思っていた春田くんにキスされるところを泉に見られた今も。
(やり直したい…。――――どこからやり直せばいい?)
「泉、迎えに来てくれてありがと」
様子を窺うように、私は隣を歩く泉に言う。
上手く笑えている自信はない。
「いえ」
いつもなら私の顔を見て微笑んで返してくれるのに、泉は目も合わせずに素っ気なく言った。
ズキンと胸に痛みが走る。
「怒ってる?」
「いえ」
「…怒ってるじゃん」
二度も同じように返されて、私は拗ねて呟く。
(こんなの嫌だ。泉が隣にいるのに…すごく遠く感じる)
「そう思うなら聞かないでください」
泉が冷たくそう言った。
前を向いたまま、こちらを見ることもなく。
「…―――」
(取りつく島もない…)
いつも優しい泉が、私を軽蔑するように目も合わせずに言う。
(嫌われた?私、…あきられた?)
泉が居たから私は今日まで頑張って来れた。
――――だから…、泉に拒絶されたら急に疲れがこんなふうに後から一気に襲ってくるとは思わなかった。
「ゆりさん…?」
フラりとよろついて、私は地面に手をつく。
「ごめんなさい…」
(重荷になりたくないのに…ーーーー)
泣きながら謝るくらいしか出来なかった私は、本当に無力だと。
自分の甘さに自己嫌悪して、また落ち込んだ。




