ずるい言葉
その夜、僕は寝付けなかった。
先輩を抱き締めた腕が…顔を埋めてきた胸が…ー――どうしようもなく熱を帯びて…。
これ以上いたら、先輩の部屋に入って無理矢理にでも抱いてしまう気がした。
だから夜中のうちに、僕はそっと家を出た。
(漫画喫茶で眠ろう…ーーー。)
そして初めて東京の漫画喫茶で夜を明かした僕は、
結局二度寝して、起きたのは昼過ぎだった。
「大学の講義…間に合わなかった」
別にいいんだ、講義なんて。
夏休みが終わったから帰るだなんて、そんなのただの口実だったから。
本当は、僕のことを好きになってもらう前に…僕の理性が持たなかっただけだ。
先輩は…抱き締めたときも、僕を拒絶しなかった。
(期待…しても、良いのだろうか…ーーー)
その日、悩んで悩んで…やはり一目先輩の姿を見たくて、会いに会社まで行ってしまった。
「先輩?」
通り過ぎそうになった先輩に、僕は声をかける。
「ふ…吹成…――――?」
幻でも見るかのように、驚いた先輩が呟いた。
「そう言えば先輩からまだ例の言葉貰えてなかったなと思いまして」
僕が、意地悪な微笑みを浮かべて言うと、
「……好き…だから帰るな、バカ!」
先輩が潤んだ瞳でそう言って、僕の元へと駆け寄り、胸を叩こうとする。
「いえ、約束通り帰りますよ」
僕の胸に手を伸ばした先輩の手首をそっと掴んで、僕は優しく言った。
その途端、先輩の目から涙が溢れた。
(あぁ…離れたくないな…ーーーー)
せっかく長年の想いが届いたのに…このまま帰るだなんて、やっぱり出来ない。
そう考えながら先輩の涙をそっと拭い、愛おしい頬に優しく触れる。
「―――でも、お互い“別に好きなら関係ない”んですよね?“距離とか”?」
それは、以前僕が「遠距離をどう思うか?」と聞いた時に先輩が言った言葉を敢えて使う。
可愛い先輩を、いじめたくなったから。
先輩は、また涙を流した。
(なんて、愛おしいんだろう…)
「…遠距離でも、僕はあなたを諦めたくない」
僕が真剣に言い直すと、先輩は涙を流しながらフッと笑った。
「夏海…ゆりさん。僕と付き合ってください」
僕は、先輩を抱き締めて耳元で囁いた。
「…―――はい…」
すると先輩が、背伸びして僕の耳元でそう返事をしてきた。
ドキンと胸が高鳴る。
――――…ずるい…やっぱり先輩は…僕より上手だ。
(…とりあえず今日帰らないことはまだ言わずにいよう。先輩の反応が楽しみだから…ーーー)
―――会社の男性社員に夏海先輩をとられないように、
僕はあえて、この場で先輩にキスをした。
夏海ゆりさんは僕の彼女だと、知らしめるために…―――――。




