忠犬
…―――もうすぐ6時になる。
僕は、朝ちらりと見えた先輩の社員証から、会社名を知り、インターネットで調べて自分で会社の前にまで辿り着いていた。
忠犬ハチ公は、いつもこんな気持ちで主の帰りを待っていたのだろうか?
僕は、内心ソワソワしながら彼女が出てくるのを待った。
「先輩?」
会社を出て来たスーツ姿の彼女は、やはり素敵だった。
昨日泣いていたのに、そう感じさせないほどしゃんとしている。
「え!!吹成…―――」
なぜここに、と驚いたまま先輩が立ち止まった。
周りの目が気になるのか、恥ずかしそうに声を潜めて、
「何してるの?」
と先輩が言った。
「夏海先輩を待ってました。昨晩のお礼もろくに言えませんでしたから。あのまま会えなくなるのは忍びなくて」
「ちょっと…っ!」
僕の言葉を、なぜか焦りながら止めようとする。
(必死な表情…すごく可愛いな…ーーー)
そう思いながら、僕は先輩に微笑みかける。
「今日、晩ご飯でもどうですか?ご馳走させてください」
先輩のイメージにぴったりの、お洒落な雰囲気の居酒屋に入った。
「っていうか、彼女とは仲直り出来たわけ?」
先輩はとりあえず生ビールを飲みながら尋ねる。
(先輩、ビール飲むんだ…)
未成年の彼女しか知らなかった僕は、そんな先輩が新鮮に見えた。
「あぁ、はい」
そんなことを思いながら、僕は先輩からの質問に答えようと、ニコッと微笑んだ。
「無事、別れることが出来ました」
(先輩の家から出て、日中に彼女に会いに行った。そしてキッパリと別れを伝えてきたのだった。)
「は?」
先輩が飲みかけていたビールを手元に置く。
「実は…浮気されてまして」
僕は苦笑しながら、頭をかく。全く情けない…こんな話。
「!!」
「それで昨日、別れ話をしに会いに行ったんです」
「―――そっか、吹成も大変だったのね」
先輩は一言、悲しそうにそう言った。
(それ以上聞くのは、僕に辛いことを思い出させてしまうだろうとか思っているんだろうな…ーーー)
全くそんなことないのに…――――でもそんな優しい先輩が好きだ。
「まぁ。でもおかげで先輩に会えましたから」
気遣ってくれる先輩を嬉しく思いながら、僕は素直に神に感謝した。
(僕を、先輩に引き合わせてくれたのなら、この間まであの彼女と付き合っていて良かったのかもしれない)
僕は、今度こそ…ーーー先輩に近付きたい。
この偶然を、無かったものになんて、絶対にしたくない。
だから僕は、―――今度は僕が先輩の力になりたい。
「―――それより先輩は、なぜ泣いていたのですか?」
「―――…」
僕があの日の事を尋ねると、先輩は言葉に詰まってうつ向いた。
(あぁ、やっぱり…ーーー僕は…ーー)
「言いたくなからったら、良いんです…。すみません」
僕は頭を下げながら痛感した。
“先輩”は、僕のことを、いつまで経っても“後輩”としてしか見ていないんだという現実。
どうやっても崩せない…見えない壁。
(貴女は…ーーー)
ゆっくり顔を上げると、先輩の辛そうな表情がそこにあった。
「―――僕といると、辛いですか?」
「え?」
「先輩はいつも、僕のことをそういう表情で見るから」
(どうしてそうやって、一人で抱え込むんですか…―――?)




