ずるい言葉
『先輩が、僕のこと好きになったら帰ります』
(そう言ったくせに…嘘つき…ーーー)
――――翌朝、目を覚ますと吹成の姿はなかった。
私は静かな部屋に違和感を覚える。
(この家ーーこんな広かったか…―――?)
「ちょっとゆり、どうしたの?」
翌日の昼休み、陽子が驚いたように声をかけてきた。
「何が?」
「何がって…今日ずっと上の空だし。」
呆れた顔で陽子が言う。
「なんかあったの?最近毎日お弁当持ってきたり、機嫌良く定時で帰っていったり、肌も艶々で…彼氏でもできたのかと思ってたんだけど?」
「彼氏…ーーー?」
(違う…吹成は…ーーーそんなんじゃ…ーーー)
「え、違うの?ゆりはこっちから聞かないと何も話してくれないもんねぇ…」
否定もしないで手元のお弁当箱を見つめたままフリーズした私に、わざとらしくため息をついて陽子が言う。
(彼氏ではないけど…ーーーーそんな関係ではないけど…)
「(…―――何だろう、すごく大切なものを無くしてしまった感じ…)」
(今さら気付くとか…バカみたい…ーーー)
「本当にゆり大丈夫…?」
その日、会社を出たところで幻を見た。
「先輩?」
「ふ…吹成…――――?」
幻かと思ったのは、吹成本人だった。
(どうして…帰ったはずじゃなかったの?)
――――喉の奥がぎゅっと締まって苦しくなった。
目の前に…失なった大切なものが在った。
「そう言えば先輩からまだ例の言葉貰えてなかったなと思いまして」
吹成が意地悪な微笑みを浮かべて、私に言った。
「……好き…だから帰るな、バカ!」
私がそう言って彼の胸を叩こうとすると、
「いえ、約束通り帰りますよ」
吹成は私の手首をそっと掴んで優しく言った。
(…――帰っちゃうんだ…)
私の目から涙が溢れた。
(離れたくないと思っているのは…私だけなの?)
私の涙をそっと拭いながら、吹成が私の頬に優しく触れる。
そして笑顔で言った。
「―――でも、お互い“別に好きなら関係ない”んですよね?“距離とか”?」
それは、私が…吹成に「遠距離をどう思うか?」と聞かれたときに言った言葉だった。
「…遠距離でも、僕はあなたを諦めたくない」
(本当…吹成は…会話のテンポがずれてるわ…)
私は涙を流しながら、フッと笑ってしまった。
「夏海…ゆりさん。僕と付き合ってください」
吹成が、私を抱き締めて耳元で囁いた。
「…―――はい…」
だから私も、背伸びして吹成の耳元でそう返事をしてやった。




