魂の森と腐れキノコ
生前のことは、正直あまり覚えていない。
死んだショックで記憶が飛んだのか、はたまた思い出したくないくらいやばかった死に様だったのか、とにかく曖昧だ。
気がついたら薄暗い森の中にいて、今に至る。
なんでまだ意識があるのか、そもそも本当に死んだのか、って疑問が残っているんだけど、今のところ自分には生前のままの姿の実体があって、この薄暗い森で生きている。
「ミカドくーん、起きてますか?」
「ロクショウさんか? 起きてるよ」
「なら、さっき私が発見したイケメンの神父さんと裸で抱き合ってみない?」
「……朝っぱらから腐臭がすごいな、相変わらず」
自宅代わりにしている巨木のうろに立てかけてある扉もどきを退けて入ってきたのは、出来の悪い三流映画に出てきそうな死体だった。
血色云々とかって次元じゃなく、お前死んでるだろってくらいに真っ青な肌色をしていて、はじめて遭遇したときは自分も死人だということを忘れて飛び上がったくらいだ。
肌色に合わせたような青緑色の髪は前髪パッツンで腰まで届く綺麗なストレートだ。
顔色は死んでるけど容姿は良い。ただ、服装が相当陰気で、夜に遭遇したら一目散に逃げるくらいだ。
あと、なんか自作のステッキ持ってる。機嫌悪いとあれで殴ってくんの。
おかしなところしかないけど、自分も大概なのであまり言及はしないでおく。いや、その死人みたいな色とか、ときおりうっとりと自作のステッキを眺めていたりとか、それらすべて些事に思えてくる特徴が、彼女にはある。
ロクショウさんはあらゆる意味で腐っている。
ゾンビみたいな肌色はそもそも腐ってるからそんな色らしく、実際に腐っていると趣向も腐食するようで、彼女はいわゆる腐女子だ。
それも、やばいくらい。
ロクショウさんにはじめて出会ったとき、すげえ驚いて逃げ出したんだけど、まあ追いかけてくるのはわかる。初対面の相手が悲鳴とか上げてるんだもんな。でもさ、両手に男同士の艶絵が載った薄い本を掲げて追いかけてくるのはどうなの?
「私の理想のウケ担当イケメン待ってっ!!」
とか、婦女子にあるまじき形相で飛びかかってくるもんだから思わず泣きそうになった。あくまでも泣きそうになっただけだけどな。
そんなロクショウさんのおかげ、かと問われるとそうでもないんだけど、色々と教えてもらってこの薄暗い森での生活に慣れてきたところだ。
なんでも、この森は生と死の境目にある場所らしくて、死んだ人間の魂があの世へ向かうときに通る場所だそうな。ごく稀に、ここを通っている途中に自我を取り戻す魂があるみたいで、それが俺らしい。
「その神父さんは俺と同じ?」
「そうですよ。それにすっごい渋いんですよ? 体を鍛えているみたいでがっちりしていて、神父さんの服がもう窮屈そうで……ミカドくん、神父さんの服を脱がしてあげましょう?」
「嫌ですよ」
身も心も腐っているロクショウさんはことあるごとに男と絡むことを勧めてくる。次回の原稿にするのー、なんてお願いしてくるけど当然却下で。というか原稿ってなんだよ。編集さん(黒服にサングラスの厳つい兄ちゃん)がたまに来るけど、もしかして霊界的なところで売ってたりするんだろうか。死んでも読みたくない。いや死んでるんだけど。
「で、その神父さんは大丈夫なんですか?」
「どうなんだろうね。まだ意識戻ってないから」
自我を取り戻した魂は、完全に自我が消えるまでこの森に留まることになるらしいんだけど、留まった魂は死に際のことを鮮明に覚えてる場合があって、正気じゃないこともあるようだ。
幸いにも、俺は正気でロクショウさんは大層喜んでいた。正気を失った魂はすぐに自我が消えるんだと。
で、だ。正体不明の腐女子(身体的な意味でも)のロクショウさんは、この森の管理人をやっていて正気を保っている魂の面倒を見ているのだ。
陰気な格好の割りには面倒見も良く、結構明るい。いろんな意味で腐ってるところを除けば、結構モテそうなお嬢さんだ。
「そろそろ目も覚ましてるだろうし、お願いね、ミカドくん」
「普通に話すだけでいいんだっけか」
「うん」
ここで暮らすようになってから、俺はロクショウさんの手伝いをすることにした。単にやることがないってのが大部分だけど、恩があるのも確かだから。
キョンシーかゾンビみたいな顔色のロクショウさんは八割がた初対面の相手にビビられるみたいで、自我のある魂とのファーストコンタクトが俺の仕事になった。
「それじゃあささっと終わらせて朝ごはんにしよっか。あ、でも勢い余ってムフフなことになってもいいんだよ? 私ちゃんとスケッチしながら待ってるから」
「冗談キツイよ」
真顔で言うからどうしようもない。
薄暗い割りにはやたらファンシーな光る苔のおかげで足元はよく見える。陽が当たらずじめじめしていてそこら中にキノコが生えていて、最初のうちは不気味だったんだけどロクショウさんに絡まれるうちに慣れた。あらゆる意味でおっかないロクショウさんが傍ににいるから、大抵のことは怖くなくなった。
でっかいキノコをベッド代わりにしたのか、かさに横たわる神父服の男が見えた。
んー、確かにシブメンだ。マダムに受けそう。
ロクショウさんの言葉の真偽が気になって、思わず野郎の顔を覗き込んだのがまずかった。背後にいるロクショウさんの鼻息が蒸気機関車並みだ。そのうち煙吹くんじゃなかろうか。
「うへへへへ、そのまま躓いてチューって! ブチューってしてよはぁはぁ」
「どこのラブコメですか……」
「ふぅふぅ。ごめんごめん、少し興奮しちゃった。じゃあミカドくん、これを神父さんにぶっかけてあげて」
もぞもぞと取り出した小瓶を渡された。
「なにこれ」
「気付け薬だよ。それを顔にぶっかけてあげれば起きるはず。……はぁはぁ」
「使いたくねぇ」
なんか粘着質だし、真っ白だし、正直触りたくないんだけど……。あとロクショウさんの表現がすごく嫌だ。
ぐだぐだ言っても仕方ないので、瓶の蓋開けて神父の顔面にかけた。
「うえぇ」
「でへへへ、うへうひへへへっひゃー! ウケなのに! 普段はウケなのに眠っているのを良いことに! 逆転っ、立場逆転っ! ミカドくんが攻めるっ! はああああんっ!」
「うるさい」
「あ、はい。ごめんなさい」
もうどうしようもないや。
どろりとした白濁液が神父の顔に垂れてそのままベッド代わりのキノコに滴った。眠っているのか気絶しているのかわからないけど、神父の顔が苦しげに歪んだ。まぁ気持ち悪いよな。不思議と鼻につく酸味が混じった芳香な香りがする。
ってこれ、
「ヨーグルトじゃねえか!」
「ちなみに自家製だよ。自家製ってなんかえっちいよね」
「知るか!」
脳内に菌類が繁殖しているんじゃないかってくらい煩悩まみれだ。もはや常識を苗床にしているのかもしれない。
「むぅ……」
「あ、起きた」
どこか気だるげに身を起こした神父を見て、ロクショウさんは近くの木の陰に隠れた。相手が神父だと流石にちょっかい出せないのかもしれない。いっそその煩悩を吹き飛ばしてもらえばいいのに。
「どーも、意識ははっきりしてます?」
「うむ、はっきりしているぞ」
なんか偉そうだなぁ。
「まぁとりあえず、貴方の身に起こったことを一から説明するんで、落ち着いて聞いてくださいね」
しばらくはこの森の説明で、次いで既に魂だけだということを証明説明した。でもこの神父、やたら落ち着いてるんだよな。俺がロクショウさんに説明されたときなんか、ゾンビに話しかけられてると思って気が遠くなったもんだ。
「なるほど……拙僧の記憶は間違いではなかったのでござるな」
拙僧って。それ坊主が言うんじゃないのか?
「でも神父さん、結構運良いんですよ。そりゃ確かに死んじゃってるけど、気が狂ってるわけでもないし、こうして話せるし。俺ともう一人ここの管理人みたいな人がいるんですけど、ちょっと二人っきりになりたくないというか……」
「えっ!?」
「む? 今女性の声が……」
「気のせいですよ気のせい。あはは」
俺はアレを断じて女性だと認めない。腐った人型っぽい何かだ。
「ああ、そうだ。自己紹介がまだであるな。拙僧はクリステン。クリスと呼んでくれ」
いやいや待てよ。じゃあその日本人顔はなんなんだよ。確かに彫りが深いから見ようによっては日本人っぽくないけどさ。
「ええっと、日本の方じゃ……?」
「いや、日本人だ」
ええー……。
「じゃ、じゃあクリスさん、管理人も紹介しますけど、あんまり驚かないでくださいね」
「驚く、とは? まさか人間ではないのか?」
「いやぁ、それが人間っちゃ人間なんですけどね。どっちかっていうとゾンビとかキョンシーとか、そっち方面なんですよ。すさまじく腐ってますし」
「……?」
そりゃわからんよな。
とりあえず、百聞は一見にしかずということで、木陰に隠れているロクショウさんを呼んだ。
すると、
「でゅふふふ……ミカドくんとクリスさんが話してるだけで何枚でも描けるぅぅぅぅぅじゅるり」
「殴りますよ?」
スパーン! とひそかに用意したハリセンでロクショウさんをぶっ叩いた。
「殴ってるじゃない……というかそれべたすぎるよ……」
一昔前のラブコメ愛読者に合わせたんです。
とにかく、青ざめてるってか真っ青な肌色のロクショウさんが姿を見せた瞬間、クリスさんは懐から数珠を取り出してお経を唱え始めた。
「死んでない! 私別に死んでませんから!」
「ぬわああああああああっ! 拙僧の体が透けていくうぅうぅう!」
ああ、死んでるから自分に効果あるのね。というか、神父なのに数珠ってどうなんだよ。十字架とかじゃないのか。
少し離れた場所にいる俺には影響がなく、クリスさんは全身から煙を出しながらぱったりと倒れこんだ。
「私悪くないよねっ!? ねっ!?」
「さぁ……それよりもクリスさん昇天しそうですけど」
体が透け始めたクリスさんにあわてて駆け寄ったロクショウさんが、自慢のステッキでクリスさんをボッコボコにしていくのを眺めながら、自我があるまま昇天すると転生できない、って話を思い出した。
無事(?)昇天しなかったクリスさんの家を作るため、俺の住む木の隣の木を綺麗にすることになった。
落ち葉を集め、うろの中を掃除し、ロクショウさんが運んできた布団一式を中に入れればあら不思議、立派なおうちになりました。
さながら浮浪者のようで、顔をぼこぼこに腫らしたクリスさんは泣いていたが、意外と居心地は良い。
「慣れればいいところですよ」
「うう……教会が恋しくなったでござるよ」
あ、教会所属なんだ。
お隣さんができたのはうれしいんだけど、ひとつ問題が出てきた。
ロクショウさんが前にも増してうるさいのである。
「隣に引っ越してきた渋い神父さんがどうしても気になってしまう青年は、神父さんと仲良くなるにつれて自らの中でとある感情が大きく膨らんでいることに気付くのだった……」
だの、
「だ、だめですよクリスさんっ! 僕たちは男同士で……」
「性別なんて些細な問題でござるよ。さぁ……」
などとやたら似ている声が扉代わりの板越しから聞こえてきて、俺の精神を苛んでいった。
ぶっちゃけ、もう限界だ。嫌がらせそのものなロクショウさんは自分でセリフを考えてアテレコし、それに満足して更にヒートアップするから厄介だ。彼女を捕まえてやめさせようとしても、そもそも捕まらない。
「あ、どうも」
「今日も暗い朝でござるな。拙僧、なんだか性別の壁を越えねばならぬと突然浮かんでくるのである……」
「見事に毒されてますね……」
同時にうろから出た俺とクリスさんは、多分同じくらいやつれていたと思う。痩けた頬が悲しすぎる。
ロクショウさんの嫌がらせもとい自己満足は、そっちの気がない男に対しては絶大な効果がある。本人としては多分、日常的に薔薇を意識させることでそっちに引き摺り込もうとしているんだろうけど、まったくの逆効果だ。
「クリスさん、ロクショウさんの煩悩なんとかなりませんかね?」
「拙僧、もう死んでるから神頼みできないのであるよ……」
お経唱えたら浄化されてたもんな。
ともかく、そろそろ本当にやめてもらわないと正気を失いそうだ。いや、ここの管理人ならそれが目的なのかもしれない。
「あ、お揃いですね。……もしかして朝チュンですか!? いひひひひっ!」
ひょっこりと顔を出したロクショウさんに、俺とクリスさんはアイコンタクトをして頷いた。
早く元凶を潰さないと頭がおかしくなる……!
「ええい、貴様を捕らえて獄門にしてくれるっ!」
「これも修行のうちでござる……! 大人しくお縄につけぇい!」
自分でもわかる。テンションがおかしい。
俺たちの形相が真に迫ったものだったせいか、ロクショウさんは脇目も振らずに逃げ出した。だがそっちには既にクリスさんが回り込んでいる。
追い詰められた人間のパワーは限界を超えるのだ!
「正直、やりすぎました。反省してます……」
簀巻き状態のロクショウさんがさめざめと泣きながら謝るのを聞いて、破こうとしていたロクショウさんの原稿から手を離した。隣でクリスさんがロクショウさんの薄い本コレクションを組み立てた薪から拾い上げていた。
かなり外道なことをしたが、背に腹は替えられないのである。
「あー、拙僧いまなら悟り開けそうでござる」
どこか遠い目をしているクリスさんを放置し、メガネの男とパーカーをきた少年が表紙の薄い本をぱらぱらと捲ってみた。
やっぱり直視できないわこれ。
「ミカドくんが薔薇本を……! やっぱりミカドくんは私と同じなんですよっ!」
「燃やします」
「ああっ、そんなご無体なあ!」
ロクショウさんと同類扱いされるとか.このみ森に分け入って行方不明になりたくなってくる。
「趣味趣向は人それぞれだけど、他人に押し付けるのは間違ってるからな」
「はぁい……」
簀巻きにされたまま神妙に頷いたロクショウさんを見て、縄を解くことにした。これでもう大丈夫だとは思うけど、あんまり信用出来ないんだよなぁ。
「腐りすぎてるとそんなに信用出来ないみたいだな」
「えっ!? 流石にそれは酷いよ! いくら生態的にも腐ってるからって!」
「生態的、であるか? ……確かに腐ってそうな見事な死人色でござるが」
「ああ、そういう意味じゃなくてね。あ、勘違いしてるみたいだけど、私人間じゃないよ?」
「はぁ!?」
「えっと……あ、ほら、あれあれ。簡単に言うと、腐ったあれが私、みたいな」
青い指が指したそこをクリスさんと二人で注視すると、小さなキノコが生えていた。ジメジメしていて薄暗いここではよく見かける。
「え、キノコ?」
「うん、私キノコ。ってあれ!? 神父さんが昇天しかけてる!?」
「俺は腐ったキノコにずっと話しかけていたのか!? 簀巻きにしたり、同人誌押し付けられたりしてたの!?」
「驚いた? 私はキノ娘。なんちゃって」
「くだらねえよ!」