―7―
久遠寺は昨日に同じく、デスクに座って書類にペンを滑らせていた。六条は幾つかのファイルを取り出し、表のような物を見比べて記入している。吉国はノートパソコンに何かを打ちこんでいる。驚異的なタイピング速度だ。朝霞はバスケ部の部長に何やら話をつけにいく、と言って二十分ほど前に出て行った。
そして俺は昨日の残りの書類を仕分けしていた。仕分け分はこれで最後だ。昨日破ってしまった書類は再申請したのだが、これが終わったらその書類を取りに行ってこなければならない。生徒会のパシリとしての俺の姿が、正式にお披露目となる訳だ。
仕分けを全部終えた俺は、昨日のように未処理の書類を纏めて久遠寺のデスクへ運んでいく。
「久遠寺。書類、ここでいいのか?」
「ああ。上じゃなく、積んである書類の下に入れてくれ」
相変わらず久遠寺は凄いスピードで書類を裁いている。俺は手にしていた書類を置き、久遠寺のデスクに積み上げられた書類を持ち上げて重ねた。今日もそれなりの量があるが、昨日と比べればデスク上の書類も大分減った印象がある。久遠寺の驚異の処理能力があってこそなのだろう。
と、そこへドアの開く音がした。朝霞が戻ってきたらしい。その姿を見止めた久遠寺が、軽く手招きのポーズをとりながら呼びかける。
「丁度いい所に戻ってきたな。俊介、ちょっと」
「ん? 何やー?」
久遠寺に呼ばれた朝霞が、立ち上がってこちら――久遠寺のデスクへとやってくる。久遠寺は手にしていた書類をピラリと見せた。
「これの合計」
短くそう告げられ、朝霞は書類を受け取る。その紙には四桁五桁の数字が十以上並んでいた。何かの予算の書類らしい。
「上から下まで全部か?」
「全部だ」
すっと撫でるように五秒ほど目を通した朝霞は、片手で顎を擦りながら言った。
「ふむ、十九万七千飛んで五十円やな」
「そうか。ありがとう」
ちょっと待て。
「えっ? い、今のでいいのか?」
大量の数字の羅列をほんの数秒見ただけで、朝霞は暗算でその答えを出し、久遠寺も平然とOKを出している。戸惑う俺の声に久遠寺は書類に何やら書き込みながら頷いた。
「いいんだ。俊介に訊いた方が電卓を使うより早いし、確実だからな」
さらりと久遠寺は答えるが、凄い事ではないだろうか。
「お前、凄いな……」
感嘆の息を漏らしながら朝霞にそう声をかけると、朝霞はへらりと軽い調子で笑った。照れた様子でも誤魔化す様子でもない辺り、言われ慣れているのだろう。
「まあ俺の場合、これでさっちゃんに生徒会に入れられたようなもんやからなぁ」
「そうなのか……って、今何つった?」
「ん? これで生徒会に入れられたって」
「そこじゃねぇよ。呼び方が……」
「あー、さっちゃんって?」
――さっちゃん。
久遠寺の事だろう。名前が咲良だからな。
それは生徒会長サマにはとても不似合いな呼び方のように感じる。だが、俺の印象では久遠寺は男子にそのような呼び方をされたら嫌な顔をするタイプだと思っていたが、全く気にする様子は無い。という事は、その呼ばれ方に慣れているのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えていたら、朝霞がクイと親指で自分と久遠寺を順に指し示した。
「俺とさっちゃん、幼なじみなんや。家が近所でなぁ」
「えっ、幼なじみ?」
「全く、迷惑な話だ」
久遠寺が溜息混じりに言いながら、手にしていた書類を処理済みの山に載せた。
本人である朝霞を目の前にして、本当に迷惑そうに言うから怖い。もっとも、それだけ気心知れた仲だ、という事の証明かも知れないが。
「でも幼なじみって……朝霞は関西の出身じゃないのか?」
久遠寺には訛りは無いが、朝霞は思いきり関西弁だ。幼少の頃だけ一緒に過ごしてその後朝霞が関西へ引っ越し、そしてまた戻ってきた、というような話でもなければおかしな事になる。
「あーこれはな、親父が関西の出身でそれが移ってしもたんや。俺は生粋の関東人やで」
そんな馬鹿な。
「だから、シュンくんの言葉はオリジナルのような所もあるんですよね」
六条が穏やかに笑いながら言う。
――シュンくん。
朝霞の事か。下の名前は俊介だったからな。こちらも随分親しげな呼び方だ。
「もしかして、六条も朝霞とは昔から仲良かったりするのか?」
彼女の普段の立ち居振る舞いを思うと、今の朝霞の呼び方は幼少の頃から馴染みがあったのではないかと思わせる。久遠寺の事も「咲良」と呼び捨てているぐらいだし。
「そうですね。私と咲良とシュンくんは、幼等部からの榊生なので」
「俊介ほど家は近くないが、そういう意味では晶子も幼なじみと呼べるだろうな」
六条の言葉を受けて久遠寺が頷く。幼等部からという事は、この三人は生粋の榊生のようだ。
「じゃあ吉国は?」
「……私は中等部からだから」
話題を振ると吉国はキーボードを打っていた手を止め、静かにこちらを見た。ふるりと首を振る彼女は、幼なじみ組ではないらしい。
しかし、生徒会役員の四人中三人が幼なじみとは。
ここは身内の仲良し組で固めた生徒会なのかも知れないな、なんて事を思ってしまう。仮にそんな感じの適当な生徒会だとしたら、底が知れているような気がする、とも。
「砺波。今お前が何を考えてるか、分かるぞ」
不意に久遠寺の刺すような声が聞こえる。まるで俺の考えを見透かしたようなその声に、少しドキリとしてしまう。
「えっ? な、何って?」
「所詮身内の仲良し組で固めた生徒会か、じゃあ大した事無いだろうな、……とかそんな所だろう」
――何故バレた。
「そんな事は……」
「あるだろう? そんな事」
「う……すまん……」
そんな事は無い、と言い切れれば良かったのだが、久遠寺の射抜くような眼光からは逃れられないような気がして、俺は素直に謝った。
彼女の涼やかな瞳にじっと見つめられると、きっと嘘やその場限りの取り繕う台詞などは全て通用しない、そんな気分になるのだ。そして恐らく、俺のその考えは間違ってはいないだろう。
久遠寺はふぅと小さく溜息をつき、「やっぱりな」と呟いてから俺の顔を睨み上げた。
「言っておくがな、たまたま使える人材が近辺に居ただけだ。それは私的感情とは全く別物だ。大体、俊介みたいな騒がしい奴、仕事が出来なければ誰が引きこむものか」
随分な言い草だ。
「えー、さっちゃんそれは酷いでー。俺かて日々を楽しく過ごそうと、毎日一生懸命に生きてんねんでー?」
「お前の『楽しく』は『騒がしく』の間違いだろう」
「さっちゃんホンマに酷いわー。ほら晶子さんも何か言うたって」
「え、ええと、まあまあ。咲良もあまり言い過ぎては駄目ですよ? ね?」
「晶子だって思うだろう? こいつはペラペラ喋り過ぎなフシがある」
久遠寺と朝霞が何やら言い合いを始めてしまったようだ。幼なじみらしい互いに遠慮の無い物言いだ。ファイルを抱えてこちらへやってきた六条も巻き込まれ、幼なじみ組三人でキャイキャイとやっている。
「……砺波くん」
いつの間にか立っていたらしい吉国が、俺の真後ろに居た。音も無く背後に寄られた事に驚き、俺は僅かに肩を跳ねさせる。
「よ、吉国、お前いつの間にそこに……」
「私は生徒会に入るまで、咲良と話した事は数えるほどしか無かったの」
「え……」
いつも感情の篭らないようなトーンで話す吉国だが、その声音に僅かの非難が含まれている事が俺にも分かった。だからこそ意外であり、そして吉国が真剣にその言葉を発していると分かる。
「だから、咲良はその辺り、ちゃんとしっかりしてる。生徒会の人選に私情を持ち込むような子じゃない。……誤解しないで」
小さく眉を寄せながら吉国はそう言った。初めて見る『吉国の表情』だ。
「――未結」
そこへ横から久遠寺の声がかけられる。朝霞と六条とじゃれているかと思ったら、しっかり今の吉国の言葉を聞いていたらしい。
「いいんだ、構わないから気にするな。……でも、ありがとう、未結」
久遠寺は吉国を気遣うように、酷く穏やかな声をかけた。こんな声も出せたのか。
「……ん」
普段あまり表情の変わらない吉国が、僅かに、本当に僅かにはにかむように口元を緩め、久遠寺に対してこくりと頷く。
少し驚いた。とても些細な変化ではあるが、それが間違いなく笑顔だったから。
「あー、えーと……ごめん、変な事考えて。そうだよな、お前みたいな奴がそんな手ぬるい事する筈無いもんな」
俺の言葉に久遠寺は深く頷いた。
「ああ、そういう事だ。私は仕事に私情は持ち込まない」
「だよな。お前みたいなプライド高そうな奴が」
「……砺波。お前、殴られたいのか」
「冗談だ」
朝霞が「確かにさっちゃんはプライドがエベレスト並みやわ」と腹を抱えて笑う。六条もニコニコしながら頷いている。どうやら二人とも同意見のようだ。
「吉国もごめんな」
俺の言葉に吉国はふるりと首を振った。
「咲良がいいって言うから、いい」
既に表情は元通りだ。しかし傍目には分かり難いが、先程の発言といい久遠寺への笑顔といい、どうやら随分と久遠寺に懐いているらしい。
久遠寺がパンと両手を叩き、それが仕事再開の合図となった。いつの間にか久遠寺のデスクを囲うようにして立っていた全員が、それぞれ自分の持ち場へと戻っていく。
――仕事に私情は持ち込まない、か。
高校一年生でそんな言葉を堂々と言ってのけるなんて、生徒会長サマはなかなか大した奴のようだ。一瞬でも訝しがった自分が何だか申し訳ない気になってくる。
俺は再申請した書類を職員室まで取りに行く為、生徒会室を後にするのだった。