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職員室に学園長室と放送部のある放送室。その三カ所を回って生徒会室に戻ってきた時には、既に十七時を回っていた。
「おかえりなさい。そろそろお茶にしませんか」
扉を開けると、六条がティーカップや茶葉の準備をしながら迎えてくれた。
例の電気ケトルやら何やらの活躍の時がやってきたようだ。だが、俺は素直にその申し出を受け入れる事が出来なかった。気分の問題だ。
「あ、いや俺はまだ休憩を取らなくても……」
大丈夫だから――。
そう辞退しかけた俺に、久遠寺の声が投げられる。
「砺波。お前も休むんだ」
「いや、だけど俺はもう少し整理してから……」
何だか申し訳無くて俺は口籠った。
まだ二時間弱しか働いていないのだ。俺のミスで余計な仕事を増やしてしまったのだから、その分の責任は俺がちゃんと働いて取らなければならない。
だが久遠寺は立ち上がり、俺に向かってピシと人差し指の先を向けた。
「いいか? 適度な休息は取った方が効率がいいんだ。カリカリしながら仕事を続けると、その分ミスも増えるからな。数分程度の休憩でメンタル面の安定を得られるなら、そちらの方がいいに決まっている」
別にカリカリしているつもりは無いのだが、言われてみればそれは道理だ。
それに、休憩を取らずにずっと作業をしていると、集中力が落ちてしまうという事は否定出来ないからな。全体的な効率を考えれば、確かに適度に休んだ方がいいのだろう。
「それにだな。お前だけ仕事を続けるとして、私たちがのうのうと休めると思うのか?」
「……ん。それもそうだな。ごめん」
もっともな話だ。
俺だって、自分が休もうと思った時に「休まず仕事を続けます」などと言われたら、とても休んでなどいられない。典型的な日本人思考なのだろうけれど。
久遠寺は「分かればいい」と短く言う。彼女がさらりと髪をかきあげると、亜麻色の髪が滑らかに華奢な肩を撫でた。
「さ、砺波さんもそこに掛けて下さいな」
六条に勧められるがままに、俺はローテーブルをコの字で囲うソファに腰掛ける。俺から見て左手に当たる一人掛けのソファには、久遠寺が腰を下ろした。それを見る限り、特に上座がどうとかいう話は無いようだ。
六条がクッキーを用意する間に、朝霞は電気ケトルを手に取ると高く掲げ、ティーポットの中へ熱湯を注いでいた。その後ティーポットに蓋をしてティーコゼを被せ、今度は残った湯をカップに注ぎ始める。
「お前が淹れるのか」
「何や砺波、俺のお茶やと不満か?」
「いや別にそういう訳じゃないけど……」
お茶を淹れるというと、何となく女子のイメージだった。偏見だと言われればそれまでだが。
朝霞はククッと笑いながら目を細める。
「そらまあそうやろなぁ。俺がお前の立場やったら、俺の淹れるお茶よりも晶子さんの淹れてくれるお茶飲みたいわ」
「だから別にそういう……や、それは否定出来ないけど」
「素直な奴やなぁ、お前」
そりゃ勿論、朝霞の淹れるお茶よりも、六条の淹れるお茶を飲みたいに決まっている。清楚な雰囲気の大和撫子タイプの淹れるお茶の方がずっと魅力的だ。
だが、ケトルやポットを扱う朝霞は、大分手慣れている様子だった。それが幾分か意外でもあったが、もしかするとこの生徒会でお茶を淹れるのは、いつもこいつの役割なのかも知れない。
「砺波くんが今から飲むのは、朝霞くんの家のお茶」
斜め前に座る吉国が、静かな抑揚の無い声でそう告げる。
「へえ、朝霞が持ってきたお茶なのか」
「……そうだけど、違う」
吉国はふるふると首を横に振った。どういう意味だ?
「ん? 朝霞の家のお茶なんだろ?」
「そう」
「って事は、朝霞が持ってきたお茶なんだろ?」
「そう。……でも、違う」
「んん? 朝霞の家のお茶なんだよな?」
「そう」
「だから、朝霞が持ってきたお茶なんだろ?」
「だから、そうだけど違う」
一向に話が進展しない。
「おい、お前たち。いつまで同じ問答を繰り返すんだ」
久遠寺が呆れたように溜息をつく。
助かった。この部屋には突っ込みが不在なのかと思ってたぞ。
「だって吉国が、朝霞の家のお茶だって言うから」
「俊介の家はお茶のメーカーなんだ」
「え?」
「紅茶と緑茶の二種をメインに、様々な茶葉を出している。この部屋にある茶葉は全て、俊介の家の会社で作った物を俊介が持ってきているんだ」
――朝霞くんの家のお茶。
先程の吉国の言葉は、朝霞の会社で作ったお茶を朝霞が自分の家から持ってきている。という事か。
それは確かに「朝霞の家のお茶」だな。
もっとも、紛らわしい言い方である事に変わりは無いが。
「でもさ、このロゴって結構見るやつなんだけど、朝霞ってそんなでかい会社の……?」
そのパッケージのロゴデザインは、普段あまり紅茶や緑茶を飲まない俺でも知っていた。最近ペットボトルの紅茶などを出すようになったメーカーのロゴだからだ。
テレビCMなどもそれなりに流れている気がするのだが、そんなに規模の大きい会社の息子だと言うのか。
「おー、そう言うてくれると嬉しいなぁ。ホッと安らぎのひと時、『カルム』のお茶をよろしゅうな!」
満面の笑みで言いながら、朝霞はティーカップの中のお湯を流しに捨てた。どうもカップを事前に温めていたらしい。
改めてテーブルに並べた五つのティーカップに、鮮やかな紅色の液体が注がれていく。ふわりと香る紅茶の匂いには、柑橘系のような香りが混じっていた。茶葉の入った缶にはアールグレイと表記されている。
しかし、成る程。だから朝霞が紅茶を淹れるのか。家がお茶のメーカーなら当たり前と言えるだろう。知識の無い人間より、知識を持つ人間が淹れた方が美味しくなるに決まっている。
差し出された紅茶に口をつけると、温かくて少し心を癒してくれる気がした。自分だけならこんな暑い時期に熱い紅茶など決して飲まない。空調の効いた室内だからこそ、という所もあるのかも知れない。
――それにしても。
落ち着いた様子で紅茶を飲み、何だか高級そうなクッキーを摘まむ彼らを見て、俺は小さく息をついた。それは誰にも気付かれない程度にささやかな溜息だ。
どうせ正式な役員じゃないただの雑用係ではあるけれど、こうしていると、何だか自分が酷く場違いの存在に思えてきてしまう。
会長はリムジンで登校する程度の金持ちの娘。
会計は有名なお茶のメーカーの息子。
六条も何となく雰囲気からいい所のお嬢さんだと察する事が出来る。
吉国はどうかは分からないが、まあこの学園に通っている以上はそれなりの家庭の可能性が高いだろう。もしも俺のように庶民派だとしたら俺の唯一の味方に――果たして、なってくれるだろうか。
さっき朝霞は、学園祭前は忙しいから、書類を散らかした事で発生した遅れを取り戻した後もきっと俺はしばらく生徒会を手伝う事になる、というような事を言っていた。
この場違い感バリバリの空間で、俺はちゃんとやっていけるのだろうか。
やって――いくしか、ないんだけどな。




