―3―
今日の授業が終わったら、生徒会室へ直行するように――。
という命令を受けた俺は、帰りのホームルームを済ませた後、重い足取りで生徒会室へと向かっていた。
せめて同じクラスの吉国に声をかけて一緒に行こうかと思ったが、俺がモタモタしている間に彼女はさっさと行ってしまったようだった。
渡り廊下を通り、特別教室棟の廊下を突き当たりまで進んでいく。生徒会室は第一理科室と同じ校舎の同じフロアにあるが、位置としては正反対だ。つまり俺の在籍する一年B組とは、校舎間の中庭を挟んでほぼ対角線上に位置している。
やがて見えてきた最奥の重厚な扉とは、本日二度目の対面だ。こうして改めて見ると、RPGのラスボスのような風格が滲み出ている。
俺は金色に光る取っ手を掴むと、その状態で大きく深呼吸した。
「すぅ……はぁ……。……よしっ」
気合いを入れるように小さく呟き、扉を押し開く。
「失礼しまーす」
「遅いぞ、砺波!」
入室と同時に久遠寺の声に叱り飛ばされ、俺はまたしても委縮する。今日一日でどれだけ小さくなっただろう。身長を測ったら今朝と比べて3センチぐらいは縮んでるんじゃないだろうか。
「うわっ、すみませんッ」
幸先悪いなと思いつつ室内に入ると、既に皆が書類を拾い集めている所だった。
昼休みは時間が無かった為、散らばった書類は一旦そのままにして、各々教室へ戻る事となった。片付けは放課後にやるから、と言われていたのだが、散らかした張本人である俺が一番遅く到着するというのは、確かに非常に宜しくない。
慌てて鞄を適当に放り、書類を拾おうとした俺に、関西弁の声が投げかけられる。
「おー、来たな砺波。ほんなら、いっぺん自己紹介しようや」
彼の言葉に、その場にしゃがみ込んで書類を拾っていた全員が立ち上がった。
「俺は1Aの朝霞俊介。役職は会計や。よろしゅうな」
関西弁男子――朝霞は、親指でクイと自分の事を指した。1―Aという事は隣のクラスか。橋本の話では、確か久遠寺もA組だった筈だ。
「副会長の六条晶子です。クラスは1年D組です。宜しくお願いしますね、砺波さん」
続いて黒髪女子――六条が深々と頭を下げた。淑やかな雰囲気を持ったその動作は、恐らく彼女の育ちが良いのであろう事を思わせる。
「書記の吉国未結。……砺波くん覚えてる?」
相変わらず感情の読みにくい表情で、吉国が言う。
「あ、ああ。吉国は同じクラスだもんな、分かるよ」
ネクタイとリボンの色で分かってはいたが、やはりこの生徒会は全員が一年生から構成されているようだった。
全員の自己紹介が済んだ所で、久遠寺が奥の書斎机へと歩んでいく。やはりあの机は彼女専用のデスクのようだ。
手にしていた書類を机の上に置き、久遠寺は真っ直ぐに俺の顔を見据えてきた。
入口のドア付近に立つ俺と奥の方にあるデスクの手前に立つ彼女とでは、結構な距離がある筈だ。なのに、そんな距離をちっとも感じさせない、ブレが無くストレートな眼差しだった。
「1年A組。生徒会長の久遠寺咲良だ」
胸を張り、堂々とした態度で久遠寺は名乗った。とても同い年の少女とは思えないその貫録に、やはり少々たじろいでしまいそうになる。
――駄目だ、負けるな。
迫力で女子に負けるなんて、流石に男としてのプライドが許さないぞ。
俺はキッと久遠寺の瞳を見つめ返し、小さく息を吸った。
「――っ、B組の砺波凌です。今日は本当にすみませんでした。責任取って精一杯働きますんで、宜しくお願いします!」
呑まれたら終わりだ。
だから声を張って。
決して目を逸らさずに。
俺が最後まで言い終えると、久遠寺は一瞬だけ意外そうな顔をした後に、深海の色をした瞳を細めながらニヤリと笑った。
「ほう。へたり込んでた昼と違って、いい度胸だな」
ありゃテンパってたんだから仕方ない。
久遠寺は薄く笑みを浮かべながら、書斎机の向こう側へ周り椅子を引いた。腰を下ろした彼女は、デスク上の書類を確認しながら指示を出す。
「私はこっちの整理に入る。すまないが、皆はまず仕分けの方を頼む」
「はい」
久遠寺の言葉に残りの三人が声を合わせた。
各々書類を拾う作業を再開する。俺もそこへ加わり、カーペットの上に散乱していた紙を纏めて拾い上げた。
「では砺波さん、この書類なんですけども」
落ちていた書類を全て拾い上げた後、六条がテーブルの上に乗せられた大量の書類を示した。
「サインや判子のある物と無い物を仕分けていって貰えますか? サインのある物はこちらに、無い物は咲良のデスクにお願いします。破れている物があったらそれも別に分けて下さいね。あと、出来る範囲で構いませんので、書類の発行日の早い方から順に並べて下さると助かります」
「了解っす」
俺は適当な椅子に腰を下ろすと、とりあえず一番近くの書類の山を引っ張ってきて選別を始める。
ちらちらと書類の文字を伺うに、やはり学園祭関連の物が多いようだった。普通の学校なら教師に申請を出すような物も、この学園は生徒会に提出するらしい。何だか随分と生徒会が権限を持っているようじゃないか。
しばらく作業を続け、或る程度纏まった所で、サインの無い書類を固めて手に取り俺は席を立った。久遠寺のデスクへ持っていく為だ。
彼女のデスクには既に多くの書類が積まれていた。これら全部に生徒会長が目を通さなければならないのかと思うと、その仕事をやらなくてもいい筈の俺がウンザリしてしまう。
「久遠寺、これは何処に?」
「そこの束に置いてくれ。そのまま上に乗せてくれて構わない。ああ、それからこっちの書類をそっちのテーブルに運んでくれ」
久遠寺は書類にペンを走らせながら、左手で左側――俺から見ると右側の書類を指し示した。見ればそちらの書類の山は既にサインが書かれていた。
会長のサインは判子じゃなくて直筆なのか。腱鞘炎になりそうだ。
しかし彼女の処理はかなりのスピードで行われていた。これだけ速く書類を捌いていると、ちゃんと中身に目を通しているのかを疑いたくなる。
そんな事を考えながら俺が元のテーブルに戻ると、不意に久遠寺が口を開いた。一枚の書類をピラリと持ち上げながら。
「――晶子」
「はい、何ですか?」
「学園祭当日午前中の、第二調理室の使用状況はどうなってる」
「第二調理室は……えぇと、2年A組とバレー部が使用申請を出していますよ」
「そうか」
久遠寺の声に反応した六条が、テキパキと何やらファイルを広げて確認している。
「また申請ですか?」
「ああ。3―Eからだ。第二調理室にまだ入る事は出来るな」
「そうですね。問題無いと思いますよ」
今の会話からすると、どうやらあの猛スピードの処理をしながらも、久遠寺はちゃんと書類に目を通しているようだ。速読の心得があるのか、それとも化け物か。
「それで、3年E組は何を作るんですか?」
六条が続けて久遠寺に訊ねる。
「軽食……具体的にはサンドイッチだそうだ。ホテルクラウンのパンを使った、スモークサーモンとローストビーフの特製サンドだと」
ホテルクラウンって、確か有名な高級ホテルじゃなかったか? 三ツ星になっただか何だかという話を聞いた事があるぞ。学園祭の出し物でどれだけ豪華なサンドイッチを売る気だよ、おい。
「まあ、それは美味しそうですね。当日は是非買いに行きましょうね」
「そんな時間があればいいけどな」
「無い時間は作ればいいんですよ。だって咲良、サンドイッチ好きでしょう?」
「む。それはそうだが」
「だったら買いに行きましょう? 未結さんも食べたいと仰ってますし」
その言葉に吉国の方をチラリと窺うと、彼女は無言のままこくこくこくこくと機敏な動作で何度も頷いていた。
「ね? そうしましょ、咲良」
「ん……。まあ、そうだな……」
おっとりとした六条の口調に、久遠寺が少しだけ押されている様子だ。
そこへ朝霞の、
「晶子さん俺の分もー」
という声が響く。
ここの生徒会は久遠寺のワンマン会長状態なのかと思っていたが、どうやら必ずしもそういう訳ではなさそうだ。仕事に直接関係のある話ではないだろうが、会長が他者に押されるという事もあるらしい。少し意外だった。
* * *
「……と。もうこんな時間か。そろそろ提出に行っとかなあかんな」
小一時間ほど書類整理を続けた後だろうか。朝霞が壁にかかっている時計を確認して声をあげた。
と言うか一時間もの間、数人がかりで取りかかっていたにも関わらず、まだ整理が終わっていない書類が残っているという時点で、改めてどれだけの量の書類があったのかをまざまざと見せつけられる思いだ。
処理済みの書類の選別は一通り終えたのだが、未処理の物の整理が片付いていない。期限が迫っている物を先に片付けなければならないので、今は必死にそちらの整理をしていた。
「砺波ー、書類整理は一旦ええから、ちょぉこっち手伝え」
「ん?」
立ち上がった朝霞に手招きをされ、俺も席を立ちそちらへと歩み寄る。
朝霞の前には書類が山となって積まれていた。全て処理済みの物だ。朝霞はダンボールを引き寄せて(恐らく俺が昼に持ってきた物だ)その中に書類を入れ、入り切らなかった分の書類を俺に持つように言った。どうやらこの書類を提出しに行くらしい。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ。ほら砺波、行くで」
「あ、ああ」
俺と朝霞は並んで生徒会室を出る。
廊下にはあまり人の姿は無かった。この時間の特別教室棟には、基本的に文化部の人間しか居ないらしい。
「これ、何処まで運ぶんだ?」
「職員室と学園長室、あと放送部やな」
「随分あちこち行くんだな。俺と朝霞、別々に行った方が効率いいんじゃないか?」
「はぁ? アホ抜かせ。今日の昼に書類ふっ飛ばしたような奴、とても一人でなんか運ばせられへんわ」
「ぐっ……」
悔しいが言い返せない。一言も言い返せない。
「まー、色々行った方が気分転換になるやろ。それに自分転校してきたばかりやろ? 迷っても困るし、ゆっくり行こうや」
緩い口調で言う朝霞は、もしかしたら俺に気を遣ってくれているのかも知れない。
書類を抱えた俺たちは、生徒会室の手前にある渡り廊下を歩いていく。窓からはグラウンドで部活動に励む生徒たちが見えた。ちなみに反対側には噴水のある中庭が見える。昼に俺がぼけっと見ていたあの噴水だ。
それにしても、結果として部活動に入っていなかった事は正解だったかも知れないな、と思う。
まだ転入して一週間しか経っていない為、何の部活に入るかも決めていない状況だったが、これでもしも何処かに入部していたとしたら、入部数日で顔を出さなくなる生意気な転入生という烙印を押されていた可能性もある。
「しっかし、男子が入ってきて助かるわー。今まで俺一人しかおらんかったやろ? 力仕事みーんな俺に任せっきりでなぁ」
「そうなのか。言われてみれば確かに女子ばっかだよな」
それも一年生ばかりなのだ。生徒会の役員としては、相当異例な体制なのではないだろうか。
「男子が一人だけだと、まあ必然的に力仕事の割合とかは偏るかも知れないな」
首を傾げながら呟く俺に、朝霞はうんうんと頷く。
「それで結構キツい時もあったんや。せやから、俺としてはラッキーって思ったりもしとるんやで?」
朝霞はからからと笑いながら言った。
そう言って貰えると、多少気が楽になるな。過ぎた事はどうしようも出来ないが、それでも凹むものは凹むのだから。
「書類ぐっちゃぐちゃになってもうたんは悲劇やけど、学園祭に向けてこれから忙しくなるばっかやし、長い目で見れば助かったのかも知れんわ」
――ん? 長い目?
「お前はイレギュラーな入り方ではあるけども、まあ仲良うやっていこうや。一週間も経たんでも遅れは取り戻せるやろうけど、きっと、その先も手伝って貰う事になると思うしなぁ」
「……げ、マジか」
「げ、って何や」
「あ、ああいや、別に何でも……」
まあ自分でやらかした失態が元ではあるのだが、この先も手伝う事になる可能性があるとは。
だが、確かに久遠寺も昼に「無期限で」と言っていた。
それに、あの書類の量を見るに学園祭前は相当忙しいようだ。そうなると、やはり俺はしばらく解放されないのかも知れない。
思わず溜息が漏れてしまう俺に、朝霞は相変わらず能天気そうな笑みを浮かべているのだった。