―2―
弁当を食べ終えペットボトルの中身を空にした所で、俺は席を立った。まだ午後の授業が残っている。幾ら冷房の効いた涼しい校舎内でも、この時期にあと二時間分の飲み物が無いのは辛い。
――折角だから、飲み物を買いに行くがてら適当に校内の探索でもしてこよう。
そう考えた俺は、校舎内をぶらぶらと歩いていた。転入して一週間しか経っていないこの学園には、まだまだ俺の知らない所が沢山ある。
それにしても飲み物は何処へ買いに行こうか。俺の知る限りでは学園内に自販機があるのは、一階外とホール、食堂と購買、それに休憩室だ。他にもあるかも知れないが、とりあえず俺の知っている所はこれだけだった。
一旦下まで下りて、そこから何処へ買いに行くか決めてみようか。
気付けば足は渡り廊下を通って職員棟まで来ていた。こちらは普通教室棟と比べて、随分と人通りが少ないように感じる。やはり生徒は殆ど教室棟に居るのだろうか。渡り廊下の向こう側の喧騒が、何だか無性に遠く思えた。
階段を見つけ二階へと下りていった所で、ふと、担任教師の姿を発見した。
「何やってんだろ?」
艶やかな黒髪を纏め上げて眼鏡をかけた彼女――担任の高村は、ダンボールを抱えたまま、何やら扉と格闘していた。どうも困っているような様子が見て取れたので、俺はとりあえずそちらへ近寄ってみる事にした。
「高村先生?」
「あっ、砺波くん。丁度いい所に……」
「どうかしたんですか」
「ちょっとここ、鍵かけてくれないかしら」
そう言った高村は、ダンボールを抱えた状態で片手に持っている鍵を、こちらに向かって差し出してきた。
――ダンボールを床に下ろせばいいのに。
とは、思っても言わなかった。
俺は鍵を受け取り、扉に施錠する。ダンボールの中身は見えないが結構重そうだ。
「ありがとう、助かったわ」
「いえ」
眼鏡の奥の瞳を細めて笑う高村に返した所で、ピンポンパンポーン――という軽いチャイム音と共に校内放送が響き渡った。
『高村佳月先生。至急、高等部職員室までおこし下さい』
放送を聞き、高村はちっと舌打ちをする。何と言うあからさまな態度だろう。
「先生ですよね、今の」
「そーね、先生の事よ。……あーもう、どうしようかしら。これ運んでから行ったんじゃ遅いかなぁ」
高村は抱えたままのダンボールを睨みつけて、重い溜息を一つ吐いた。
この荷物を何処へ運ぶつもりかは知らないが、抱えて職員室に行くという選択肢は無いらしい。詳しい事は分からないが、多分この荷物は昼休み中に運んでおきたいのだろう。
眉を寄せたままの高村に、俺はそっと提案した。
「あの……俺、持っていきましょうか」
「えっ、いいの?」
「いいっすよ。それより先生呼び出されてるんだから、早く行った方がいいでしょ」
「助かるわーっ」
高村の手からダンボールを受け取ると、それはずしりとかなりの重量を俺の両腕に伝えてきた。どちらにせよ、高村の細腕では難しかったのではないだろうか。
眼鏡を押し上げながら、彼女は少し申し訳無さそうに微笑んだ。グロスで色づいた唇が柔らかく弧を描く。
「ごめんなさいね砺波くん、宜しくお願いするわ」
「ところでこれ、何処に持ってくんですか」
「生徒会室よ。砺波くん、生徒会室の場所は分かる?」
「あー、すみません、ちょっと分かんないっす。何処ですか?」
「ええとね……」
生徒会室の場所の説明を受けながら、脳内でシミュレーションをしてみる。さくさく動けば、その後で飲み物を買いに行く時間も余裕であるだろう。
去り際に二、三度ほど礼の言葉を繰り返し、高村は足早に姿を消していく。
その後ろ姿を見送りつつ、俺はくるりと方向転換をした。
「……さて、と。特別教室棟の三階端、か」
そこまで行くにはこの職員棟から普通教室棟を通り、更にその向こうまで行かなければならない。まあ食後の運動には適当だろう。
* * *
――それにしても。
「すげー量だな……」
一人、廊下を歩きながら俺はぼやくように呟いた。
ダンボール箱の中身をちらりと見ると、そこには沢山のプリントが入っていた。プリントと言うより書類と呼ぶべきか。
大体、このデジタルな時代にこんなに大量の書類なんて。
と思ったが、バックアップを取る面倒さや諸々の確実性を考えると、やはり紙を使った形式の方がいいのだろうか。元々学校ってのはやたらプリントが好きだしな。
特別教室棟の三階まで上がり歩いていくと、理科室と丁度反対側にあたる廊下の突き当たりに重厚な観音開きの扉が見えた。よく重要文化財などに指定されているような、古めかしい洋館の扉を思わせる。
この学園の校舎は全体的にレトロなデザインだった。それが建築時期によるものか設計者の趣味なのかは知らない。とにかく、そんな校舎のデザインとは上手く調和した扉だが、おおよそ学校の生徒会室には見えない重厚感があった。
その扉の上部に『生徒会室』というプレートが掲げられているのが目に入った。
「ここか」
扉の前まで辿り着いた俺は、一旦ダンボールを片手に抱え直して、軽く二回ほどノックした。そのまま耳を澄ますが中からの反応は無い。
「すみませーん……?」
もう一度コンコンとノックを繰り返す。だが、やはり室内からの返答は無かった。
よくよく考えてみたら今は昼休みだ。生徒会の活動など、普通は放課後の部活動の時間にするものだろう。
少し考えてから扉の取っ手を掴むと、鍵は開いているようだった。
「失礼しますよ、っと」
中に人は居ないようだから、とりあえずこの書類を適当に置いて帰ろう。そう考えながらぐっと扉を押し開ける。
「って……おいおい……」
――何だこの豪華な内装は。
室内を見て、俺は思わずほうっと息を吐いた。
一般教室と同等かそれより広いぐらいのその部屋には、真紅のカーペットが敷かれていた。
手前には書類が山積みされた状態のテーブルと何脚かの椅子があり、奥には重みのある木製の書斎机が置いてある。特に何も書いてはいないが、あれが生徒会長用の机だろうという事は即座に理解出来た。
更に、それとは別にソファとローテーブルもある。こんなに幾つも机と椅子を用意してどうするんだ。生徒会役員はそんなに大量に居るというのか。
流し台と電気ケトル、小さめの食器棚も備えつけてある事から、きっとそっちのローテーブルは茶でも飲む用なのだろう。だが茶を飲むテーブルと椅子なんか一つあれば充分だろう。これは流石に贅沢なんじゃないのか。
ついでに冷蔵庫まであるのを発見し、俺はあからさまに顔を顰めた。
何だこの部屋は。生徒会だからって優遇され過ぎだろう。
棚の上に置かれた花瓶には、青紫と白の星型の花が飾られている。桔梗だ。その彩りが一層、この部屋の豪華なイメージを際立たせていた。
「来客用の応接室より豪華じゃねぇの……」
いや、この学園の応接室がどんな部屋なのかは知らないが。
少なくとも俺が今まで通っていた学校の応接室よりは、ずっと贅沢な印象のあるものだった。一般庶民の貧相な感想で申し訳ないがな。
「っと、いけね。これ置いてさっさと行こう」
扉を開けた状態で暫く呆けていた俺は、ハッとして首を振った。
ここでこのままぼけっとしていたら、すぐに昼休みの時間も終わってしまう。その前にここを出て飲み物を買って教室へ戻らなければ。このダンボールはあの山積みの書類の横にでも置いておけばいいだろう。
そう思って一歩踏み出した所で。
――つんっ、と。
俺は足を取られた。
「えっ」
気付けばカーペットに足を引っ掛け。
「うおっ」
つんのめった衝撃で手からダンボールが離れ。
「おおぉっ」
間の悪い事にそのダンボールは、机の上に積み上げてあった書類の山に直撃し。
「あああぁっ」
ダンボールの中から飛び出した書類と、山が崩れた書類がごちゃごちゃに混じり合いながら床に落ち。
「えええええっ」
更に前傾姿勢になった俺はその体勢を戻す事が出来ず、床に積もるように重なった大量の書類の上にスライディングして。
「うわああああっ」
ぐしゃぐしゃ、びりびりっ、と嫌な音がして。
「あ……」
――そして止まった。
この一連の流れは、もしも俺が芸人だとしたら、きっと百点満点を貰えるレベルの素晴らしいリアクションぶりだったと思う。芸人だったらな。あと観客が居たらな。
随分とスローモーションでまったり時が過ぎ去ったような気がしたが、恐らく実時間にして三秒も経っていないだろう。
俺は慌てて上半身を起こし、室内の惨状を確認した。
赤いカーペットを埋め尽くした白い紙、紙、紙。まるで真っ赤なラズベリーソースの上に生クリームを垂らしたようにさえ見える。決して美味そうには見えないが。
そんな山の頂点を制覇するように乗っかった状態の俺。やったね、登頂成功おめでとう――なんてボケを一人でかましている場合じゃない。
俺の身体が下敷きにした書類は乱雑に散らばっていた。しかも、その内の一部は破れている物もある。
実に惨憺たる有様だった。
「…………」
やってしまった。
これは酷い。有り得ない。今この瞬間に、俺は一生分の不幸を使いきったのではないかと思うほどに酷い。
テーブルの上にも大量の書類が散乱していた。寧ろ全ての書類がテーブルの上で散らばってくれたのならば、こうして踏みつける事は無かったのだから、まだ良かったものを。
しかし、どうしよう。
一体どうしたらいいんだ、これは。
まずここから退かなければ、と思うが、下手に動いたら更に書類を破いてしまいそうで、それが怖くて動けない。
だが、いつまでもここでぼけっとしている訳にはいかない。
それにこの状況を誰かに伝えに行かなければなるまい。流石にこれだけ雑然とした状態にしてしまってバックれる勇気など、俺には無かった。
どうしよう、まずは職員室に行って高村に告げるべきか。困ったぞ。
と、考えていた時。
「……何だ、これは」
不意に耳に飛び込んできたあからさまに不機嫌なトーンの声に、俺はぎくりと身を強張らせた。
恐らくこの部屋の主である生徒会役員がやってきたのだろう。
「え、……っあ! ああああの、すみませんこれはッ!」
慌てて声のした方に謝罪の言葉を告げる。
言い訳のしようが無い。転びました――と素直に告げてどうにかなる訳ではないが、とりあえずそう言おうと思った口が、ぽかんと開いたままで止まった。
「これは転ん……」
ドアの手前に立っていたのが、久遠寺咲良だったからだ。
「……ん?」
呆けたように言葉を止めた俺の顔を、彼女は目を眇めながらじっくり見下ろした。
「またお前か。確かさっきも会ったな」
どうやら顔を覚えられていたらしい。そりゃそうだ、つい数時間前に廊下でぶつかったばかりだからな。余程の鳥頭でない限り覚えているに決まってる。
曖昧に苦笑いを返す事しか出来ない俺に、彼女はクイと顎で書類を指し示すようにして問うてきた。
「それで、これは?」
「え?」
「お前がやったのか」
「あっ。はい、すみません……。ひ、拾います……」
威圧感のある瞳で睨まれ、俺は思わず敬語になってしまう。立ち上がるに立ち上がれないが、とりあえず少しでもこれを整理しなければなるまい。
俺は書類の山の上から這うように赤いカーペットの上まで移動して、手前から書類を拾っていく事にした。
学園祭について――。
演劇部より学園祭催し物にて講堂の使用申請――。
放送機材の貸し出しについて――。
有志イベント申請――。
この怒涛のような書類の全てがそうではないだろうが、今こうして目に入る書類の殆どが、どうやら学園祭についての物のようだった。榊の学園祭は十月にあると聞いている。あと一ヶ月程度だ。
「咲良。そんな所でどうし……」
そこへ新たな声が増えた。書類を拾う俺の手がぴたりと止まる。ああ、もうこれ以上人が増えないでほしい。
どうやら今の言葉は、扉の手前で突っ立っている久遠寺にかけられた物らしい。その静かで平坦なトーンの声を途切れさせ、声の主である少女は短めのポニーテールを揺らしながら、久遠寺の隣に並んだ。
感情の読みにくい表情をした彼女は、見覚えがある顔だった。
同じクラスの、ええと――確か吉国とかいった筈だ。
「砺波くん……?」
俺の名を呼ぶその声に、久遠寺は目線だけちらりと吉国の方へ移した。
「未結、こいつと知り合いなのか?」
久遠寺にそう問われた吉国は、こくりと一度だけ頷く。どうやら「未結」というのが吉国の下の名前らしい。
「転入生。うちのクラスだったから」
「……ああ、そうか。成る程な」
そう言ったきり、久遠寺ははぁーっと尾を引く長い溜息をついて黙り込む。吉国もその隣で、相変わらず感情の読めぬ瞳のままこちらを見てくる。
俺は拾った何枚かの書類を抱えたまま、未だに立ち上がれず固まっている。物凄い威圧感だ。同級生の少女二人に非難の眼差しで見つめられるというのは、こんなにも精神的なプレッシャーを感じるものだったのか。この状況はドMなら嬉しいのかも知れないが、残念ながら俺の性癖は至って普通だ。
立ったままの二人の少女の後ろから、更に別の声がかけられた。
「うっわー。何やこれ、また偉い事になってんなぁ」
「まあ……これはどうした事でしょう?」
またしても人が増えた。関西弁を使っている男子と、ちょっとおっとりした雰囲気のある黒髪の女子だ。
それぞれ、制服のネクタイとリボンの色が一年生の学年カラーである赤なので、どうやら今ここに揃う全員が同学年という事らしい。
合計四人に見下ろすようにされて、俺はその場で小さくなるしかなかった。ここは一つ、反省している事を示す為に正座でもした方がいいだろうか。申し訳無いと思っている事を態度に出すのは、きっと大切な事だろう。謝罪は日本の文化だと言うしな。
「昼休み潰して、準備に来たのに……」
溜息混じりに吉国が呟く。その言葉に、俺の罪悪感もどんどん煽られていく。
「準備どころやあらへんで。こりゃ酷いわ」
「昨日、頑張って皆で整理しましたのにねぇ。また最初からやり直しですね」
「……違う」
黒髪女子の言葉を、吉国が否定した。
「あら未結さん、違うと仰いますと?」
「吉国、何が違うんや?」
「これ多分、昨日までの書類だけじゃない。……これとか、知らない話が書いてあるし、咲良のサインも無い」
吉国が書類の山から一枚を取ると、ぴらっと残り三人に見せた。
久遠寺はとっくに気付いている様子だったが、後の二人――黒髪女子と関西弁男子はその書類を見て、口元に手を当てたり額に手を当てたりしている。
「ほんまや。っちゅー事は何や、昨日整理したのに加えて更に別の書類も入り混じっとる、って事か?」
「という事はつまり、処理済みの書類と未処理の書類が一緒になっている、まずその二種類に分けた上で、それから更に処理済みは整理し直して、未処理の方も処理をしなければならない、という事でしょうか。うぅん、これは困りましたねぇ……」
黒髪女子がこてりと首を傾けると、前下がりのボブの毛先が肩に触れる。そりゃあさぞかし困っただろうな。俺も困ってる。
腕を組んで仁王立ちしながら何かを考える様子の久遠寺と、書類をひらひらさせてその隣に立つ吉国。困ったように眉を寄せている黒髪女子。
そんな中、関西弁男子がずいとこちらに足を踏み出してきた。
「何や、自分どうしたんや?」
腰を曲げてやや前傾姿勢になりながら、彼は俺にそう訊ねてきた。俺は手にしていた書類を掲げる。
「いや、その……ちょっと先生に頼まれて書類を運んできたはいいんだが、躓いて転んじまって……」
「その運んできた書類っちゅうんがこれか?」
カーペットの上に出来た白い山をくいと親指で指し示して、関西弁男子は呆れ顔になる。そうあからさまに呆れなくても、と一瞬思ったが、俺がそちらの立場でもやはり呆れ顔になるだろう。仕方ない。
「……そうっす。すみません、拾います」
またしても敬語になりつつ、書類を拾う作業を再開させる。すると、関西弁男子もしゃがみ込み、散らばった書類を集め始めた。
「まー、ぐだぐだ言うてもしゃーないしな。とりあえず拾うか」
彼の言葉に、吉国と黒髪女子もそれぞれ書類を拾い始める。ありがたい気もするが、それよりも申し訳無さの方が強い。
俺一人で拾いますから、と言いかけて、だがそれだと時間が無くなってしまう、と考えを改める。昼休みは有限ではないのだ。
――そんな中。
「おい」
先程からずっと静かだった久遠寺が、声を出した。
「拾う前に、まずは私の質問に答えろ」
その声に全員の手がぴたりと止まる。それから他の三人は立ち上がるが、俺は相変わらず気圧されて立ち上がる事が出来ない。
仕方が無いので、膝をついた状態のまま久遠寺を見上げた。
質問とは何か、と促すように。
「お前がここまで新たな書類を運んできた。ところが、転んでしまって持ってきた書類を落とし、更に元々テーブルにあった書類にも激突して全部ひっくり返した。……これで合っているか?」
「う……合って、ます」
改めて己の行動を示されると、何とも居た堪れない気分になってくる。お前はどれだけ間抜けなのか、という断罪を受けている気分だ。否、気分じゃなくて実際にそういう状況なのだろうけど。
「お前はあれか。注意力が散漫になる持病を患っているのか?」
随分と酷い言われようだ。
「いや……少なくともそう診断された事は無い、筈……」
「そうか」
だろうな――と久遠寺は続ける。なら訊くなよ。
「仏の顔も三度までと言うが、私は仏ではないので三度も待ってやるほど優しくないんだ。二度目は許さない。そしてお前の場合、今日一日で二度も失態を犯したな」
一度目はあれだ、渡り廊下でぶつかったやつだな。
あれは俺が余所見していたのが明らかな原因だから、そう言われても甘んじて受け入れるしか無いのかも知れない。だが、ぶつかった程度、果たして失態と言うほどだろうか。いや、まあ現状はどう考えても俺が悪いのだから、返す言葉も無い訳だが。
しかし、さっきは彼女なりのフォローの言葉をくれていたが、今回は随分と手厳しいようだ。仕方ないけどな。
「二度? 二度って何や」
「今日の午前中、廊下でぶつかったんだ。こいつの余所見が原因でな」
関西弁男子が横から口を挟むと、久遠寺は俺をじっと見下ろしたままそう告げた。ああ、やっぱりそれか。
一応俺なりに反省しているので、これ以上俺のうっかりについて述べるのは勘弁してほしいという気持ちでいっぱいだった。ドジっ子は女子ならば許されるが、男子だと腹立たしいだけだ。
「さて。それでだ。この書類を元通りに仕分けするのに、生徒会役員を総動員させても少なくとも一日はかかる」
そりゃそうだろうな、こんな量の書類見た事無い。
しかも破いてしまった物まであるぐらいだ。もう一度発行し直さなければならない物だって、きっとあるのだろう。
「その分で発生した遅れを取り戻して元のスケジュールになるまで、最低三日、長くて一週間は必要だ」
この白い紙きれを元に戻す作業に費やした分、今日やる筈のスケジュールが先延ばしになる訳だからな。
しかし、この学園の生徒会ってのはそんなに忙しいのか。いや、まあこの尋常でない書類の量を見れば、そんな事は一目瞭然な訳だが。
俺はリアルな裁判を見た事は無いが、裁判官の喋り方というのはきっとこういう感じではないだろうかと思う。一言一言はっきりと重みを持って発するが、何かやたらと先延ばしにされているような、そんな感覚。有罪判決ならば早く言ってくれ、という。いや、あれは先に主文を言ってから判決理由を述べるんだったかな?
どうでもいいような事をぐるぐる考えながらも、相変わらず小さくなるしかない俺に、久遠寺は言った。
「お前、生徒手帳を出せ」
「へ……?」
唐突に言われて、俺はポカンと口を開ける。
生徒手帳? 何故? 一体何の為に?
「早くしろ」
「え、あ、はい」
急かされて、慌てて制服の胸ポケットから生徒手帳を取り出す。エンジ色のカバーに包まれたそれは、まだ発行されたばかりの真新しい物だ。
俺の手から生徒手帳を奪い取った久遠寺は、ぺらりと表紙を捲り、その中身と俺の顔を交互に見比べた。何かを考えるように、或いは俺を値踏みするように。
彼女が何を見たいのかは知らないが、今彼女が開いているページには俺の氏名とクラス、それから住所やら何やらが記されている筈だ。ついでに冴えない顔写真もな。
長い睫毛に彩られた蒼玉のような瞳が、何度か瞬きを繰り返す。
「一年B組、砺波凌、か」
そして俺は。
榊学園高等部生徒会の雑用係に、任命される事となるのである。