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―16―

 雨が降っていた。


 沖縄の南に発生した台風は、その日の朝早く、本州に上陸するよりも前に熱帯低気圧となった。雨足は依然として強いままだが、大雨警報が発令される程ではない。いっそ警報が発令されてしまえば、と思ったが、大雨警報では学校は休みにならないのだ。ならば発令の意味が無い。


 学校に着く頃にはズボンの裾はすっかり濡れ、ジャケットの袖口も少ししっとりしてしまっていた。まあ仕方がないのかも知れない。一時間目が終わる頃にはきっと乾いているだろう。


 雨の日という事もあり、いつもより早めに登校した俺が教室棟の昇降口に辿り着くと、掲示板の前に人だかりが出来ていた。


「ん? 何だ?」


 人の波の合間をスイスイと縫って掲示板の前に出る。いつもと何ら変わりない、校内新聞や非行防止の啓発ポスター。

 その一番上に重ねるようにして、見覚えの無い紙が貼ってあった。


「え……?」




 ――久遠寺の血を受け継いでいない、何処の子かも分からない混血の子供。

 ――そんな人間が、果たして生徒会長に相応しいのか。




 ご丁寧にプリンターを使ったらしい、そんな文字が印字されていた。


「何だこれ……」


 久遠寺咲良は久遠寺家の本当の子供ではない。

 その見た目から分かる通り、何処かの外人の血が混じっており、しかもそれが何処の誰かもはっきりしない。

 更に久遠寺が一年生で生徒会長に任命された事について、久遠寺家が榊学園の創立に関わっているから、その為に裏取引があった、などと書かれている。


 一体何なんだこれは。無茶苦茶だ。




「やだぁ、何これ」

「えー、でもさ、久遠寺さんってちゃんとやってるじゃん?」

「だけど一年で会長って確かに怪しいよな。入学と同時だぜ」

「って言うか、久遠寺家の血を継いでないって何?」

「だって髪も目も明らかに日本人じゃないじゃん」

「そもそもこれ誰がやったの?」

「気持ち悪い悪戯だな。先生呼んできた方がいいんじゃね?」




 耳障りなノイズ。周囲の生徒たちがざわざわと好き勝手に感想を述べている。勿論それら全てが久遠寺に対して否定的な言葉ではない。だが、この紙を見て心無い感想を抱く人間が居る事も確かなのだろう。


 そんな喧騒が、不意にぴたりと止んだ。

 何事だと振り返りかけた俺の視界に、艶やかな亜麻色の髪が入りこんできた。


「久遠寺……」

「…………」


 いつの間にか久遠寺が俺の隣に立っていた。


 彼女を中心として人が輪を作る。少し距離を置くように皆は後退した。掲示板の手前に俺と久遠寺が立ち、そこから微妙な距離を作ってやや遠巻きに他の生徒が彼女の挙動を見守っている。

 最初は怪訝な顔をしていた久遠寺だが、すぐに場の空気に気付いたのだろう。掲示板に貼られた紙を睨みつけた。


「――ッ、見るなよこんなの」

「砺波、待て」


 慌ててそれを剥がそうとする俺の手の動きを制し、彼女はその紙面に目を通していく。一文字一文字、しっかりと読んでいるのだろう。段々とその表情が強張っていくのが、隣に立つ俺には分かった。


 そして全てを読み終えたらしい久遠寺は、あの生徒会室の扉にあった貼り紙と同じように、掲示板に貼られていた紙を引き剥がした。あの日と同じように、その紙は白い手の中でくしゃりと握り潰される。

 まるで、久遠寺の心が握り潰されてしまったかのように。


 潰した紙をその小さな拳にしっかりと握ったまま、久遠寺は静かに歩き出す。だがその足はこの校舎の階段に向かうのではなく、特別教室棟へ繋がる渡り廊下へと進んだ。


「お、おい久遠寺っ!」


 俺は慌ててその後を追いかける。後ろから他の生徒たちの視線が針のように突き刺さってくる気がした。




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