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普通教室棟の二階には休憩室がある。少し広いスペースにテーブルと椅子が備え付けられており、言ってみれば食堂の縮小版という感じだ。弁当を持ってきている生徒は、ここで食べたりする事もあるらしい。と言うか、現時点で弁当を広げている生徒がチラホラ見受けられる。
そんな休憩室の自販機の前に立ち、スポーツドリンクかお茶かどちらを買おうと悩む俺に、後ろから声がかけられた。
「それで、どうだい最近」
橋本の声だ。昼休み、教室で弁当を食い終えた後、ジュースでも買いに行かないかと誘われて二人でここまでやってきたのだった。
「砺波くんも、もう大分生徒会の仕事に慣れてきた頃じゃないのかい?」
「まあなぁ。てか、三週間もやってて慣れない方が無理あるだろ」
少し迷った挙句、スポーツドリンクのボタンを押す。お茶はどうせ夕方に、生徒会室で朝霞が淹れてくれるだろう。
「それもそうか。じゃあ、学園祭が終わったら今度取材させてくれよ」
「取材? 何の」
「雑用係として生徒会に配属された謎の転校生の素顔に迫る」
「……おちょくってんのか」
「あっはっは、バレたか。まあそれはそれとして、だね」
既にお茶のペットボトルを買っていた橋本は、封を開け中身を一口飲んでから、不意に声を潜めた。
「二年の倉橋先輩と笹屋先輩」
「え?」
「この間話した妙な噂が流れてるってやつ、どうもその二人が元締めになってるらしい。一応、名前ぐらいは頭に入れておいて」
「二年の倉橋と笹屋……?」
何処かで聞いた名前のような、と考え、数秒後に思い出す。
あの貼り紙のあった日、廊下でぶつかった相手だった。そうだ、久遠寺は確かにそう言っていた。
「あ、あいつらか……」
「知ってるのかい?」
「ん、ちょっとな。この間、廊下でぶつかったんだ」
「そうなのか」
考えてみれば、あの廊下は生徒会室の前の廊下に当たる。あの二人はあんな所に一体何の用があったのだろう。そう考えると、自ずと見えてくるものはあるような気がする。
橋本は目を細め、珍しく真剣な表情を作った。
「前にも言ったけどさ、君もイレギュラーとは言え現状は生徒会の一員なんだ。二人の顔も分かるなら尚更、注意するに越した事は無いと思うよ」
「……分かった。サンキュ」
幸いと言うか何と言うか、直接的に俺個人に関わる出来事はまだ起きていない。俺が把握しているのは生徒会室へのあの貼り紙と、朝霞が言っていた妙な噂と、それから先日の書類ゴミ捨て場事件だけだ。
もっとも「だけ」と言うのもやや抵抗がある訳だが。これだけでも充分過ぎるほど、生徒会執行部への妨害工作として問題になる量だからな。
俺の返答に満足したように、橋本は声を元の明るいトーンに戻した。
「今のは貸し一つという事で宜しく。さっき言った取材か、或いは生徒会密着二十四時とかやらせてくれると僕は嬉しいなぁ」
「生徒会密着二十四時の方は、久遠寺に伝えといてやるよ」
ただし、俺の取材は問答無用で断るぞ。
「おー、砺波ー」
そこへ能天気な声が響く。振り返ると、朝霞が片手を軽く挙げながらこちらへやってくる所だった。
「朝霞」
「何や、橋本もおるやん」
知り合いなのか、と口を開きかけて閉じる。体育の授業はA組とB組で合同なのだ。知り合いでも何もおかしな事は無い。
「そういや橋本、お前、最近あんまり来ぃひんな。ちょい前まで取材とか何とか言うて、ちょこちょこ生徒会室に顔出しに来とった癖に」
どうやら生徒会への取材は前々からしていたらしい。じゃあ、さっきの生徒会密着二十四時とかいう訳の分からん企画も、一応真面目な取材企画のつもりなんだろうか。
「へえ、そうなのか?」
「うーん。行きたいのは山々なんだけどね、朝霞くん。僕もクラスと新聞部両方で学園祭の準備に忙しいんだよ」
言いながら橋本は首から提げていたカメラを構えて見せる。
そういえば、うちのクラスの短編映画撮影のカメラマンは橋本だった筈だ。写真と動画はまた性質が違うような気がするのだが、その辺はどうなんだろうな。
「だからさ、また今度学園祭が終わった辺りに、学園祭を振り返ってインタビューしたいって、久遠寺会長に伝えておいてくれないか?」
「おう、ええで。さっちゃん、メディア戦略も使えるとか言うとったでな。さっちゃんにしては珍しく、お前の口車に乗せられとる感じがせんでもないけど」
「あはは、口車に乗せられてるのはどっちだか。久遠寺会長はメディアを使うのがなかなかお上手だ」
「メディア戦略かー。俺の事もイケメンに撮ってぇな」
「んー、被写体が良ければイケメンになるんだけどねぇ」
「何やそれ、どういう意味や」
「言葉通りじゃねぇの」
横から茶々を入れてやる。
「えー。砺波酷いわー」
酷くない。真っ当な意見だ。
とは言え、朝霞はそれなりの見た目だとは思う。久遠寺と妙な噂が立つのも頷けるレベルだ。口を開くとどうにも三枚目な印象が拭えないが、これはこれで女子にはウケがいいのかも知れないしな。
「おーい、朝霞ぁー」
俺がそんな事をつらつらと考えていたら、何処からか朝霞を呼ぶ声がした。自分の名を呼ぶ主を探そうと朝霞は周囲を見渡し、やがて発見したらしく、声の主であるらしい相手に向かって軽く手を挙げた。
「お、すまん。俺行くわ。砺波はまた後でな。そんじゃ。……高橋先輩、お久っすー!」
向こうで手を挙げている男子生徒は、緑のネクタイだから三年生なのだろう。朝霞はパタパタとそちらに駆けていく。フットワークが軽いと言うか何と言うか。
「あいつ、部活やってる訳でもないのに顔広いなぁ」
「朝霞くんは幼等部から榊に居たからね。中等部での部活の先輩って事もあるだろう。でもまあ、確かに知り合いが多いね、彼は」
これはこの数週間を過ごす内に俺が感じた事だが、朝霞はとにかく顔が広かった。
今まで朝霞にくっついて生徒会の仕事をした事も何度かあったが、行く先行く先でこいつの知り合いでない人間は居なかった。誇張無しでだ。生徒会役員だからという次元ではなく、単純に皆、朝霞の知り合いなのだ。それも友好的な。
朝霞が生徒会に入っているのは、もしかするとあの驚異の計算能力の他に、顔の広さもあるのかも知れない。友好的な知り合いは多い方が得策に決まっている。その方が色々と首尾よく進む事もあるだろう。
予鈴の音が響く。五分後には本鈴だ。気だるい午後の授業を二時間分済ませれば、また今日も生徒会室で雑用係の仕事が待っている。俺と橋本は横に並び、教室への道を辿るのだった。




