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 橋本から妙な噂の話を聞いた数日後。

 その日の生徒会業務を終えた後、俺は生徒会のメンバーと榊学園前駅の近くのファーストフード店に来ていた。


 発案者はやっぱりと言うか当然と言うか何と言うか、まあ朝霞だ。たまには生徒会役員の親睦でも深めて――などと言っていたが、要は腹が減ったから寄り道して何か食いたい、という所だろう。


 学園駅前のミスバーガーはやはり榊の生徒が割合的に多いらしく、客の三分の一ほどは俺たちと同じ制服に身を包んでいた。デザインの違う制服の学生も居たが、あれは榊の中等部の制服だ。榊の高等部と中等部は同じ敷地内に存在しているのだが、あの制服は朝の正門付近で良く見かけるものだった。


 この店は注文した品が出てくるまで多少時間がかかる。注文を済ませて着席した俺は、一息ついた所でふと、六条が久遠寺の分も纏めて払っていた事を思い出した。


「そういやさっき、久遠寺の分も六条が纏めて払ってたけど、財布忘れたのか?」

「う……それは……」


 俺の言葉に何故か久遠寺がうろたえた様子を見せた。こいつがうろたえるなんて珍しい。何だ何だ、天変地異の前触れか?


「お財布はちゃんと持っていますよね」


 六条が久遠寺に向かい穏やかに微笑む。じゃあ何だ。財布の中身が無かったのか。首を傾げる俺に、朝霞がけらりと笑いながら言った。


「さっちゃん、キャッシュは持ち歩かん主義なんや」

「へ? 何だそれ」

「……カードならちゃんと持っている」


 ぼそり。しかめっ面のまま久遠寺が小さく呟く。


 ――カード?


「お前、クレジット持ってんの?」

「私の持っているのはデビットだ。クレジットは高校生は持てない」

「カードには変わりないだろ。ってか、どんだけ金持ちだよ。そんな高校生普通居ねぇぞ」

「普通じゃなくて悪かったな」

「いや、別に悪くはないけどさ……」


 そこまで言った所で、店員が注文した品を運んできた。二つのトレイに乗った中から、各々自分の注文した物を手に取っていく。

 ――あれ、バーガーが一つ余分だぞ? 朝霞が二つ頼んだのだろうか。幾ら食べ盛りとは言え流石に夕飯前に二つはちょっとキツい気がするな。


 ホットドッグの包みを開きながら、吉国が相変わらずの表情で淡々と言った。


「放課後、何処かへ寄ったりする時に困るから、ちょっとぐらい持ってるようにって言ったんだけど……」


 そりゃそうだ。幾ら最近はカードにも対応する店が増えてきているとは言え、高校生が学校帰りに寄るような所では、そんなカードで支払い出来るような店は少ないだろう。


「し、仕方ないだろう。最近こんな風に寄り道している余裕など無かったから、ちょっと忘れてしまっていたんだっ」

「まあ、確かにそれもそうですね。最近は本当に忙しかったですから」


 宥めるような六条の言葉も確かにそうだった。俺が雑用として入ってからずっと、学園祭の準備で目の回るような忙しさだった。だったと言うか、現在進行形な訳だが。もしかすると今日の朝霞の提案は、皆の息抜きも含めたものだったのかも知れない。

 そんな事を思いながら朝霞の様子を窺うと、奴は相変わらず緩い顔で笑いながらバーガーに齧り付き、それからふと思いついたように口を開いた。


「ほんで、どうや? さっちゃんも晶子さんも、人生二度目のハンバーガーの味は」

「はぁ!?」


 その言葉に思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。


「まあまあだ」

「美味しいですよ」


 二人とも各々の感想を述べる。

 よく見れば、六条はハンバーガーを一口サイズに千切って、口へと運んでいた。そんな上品な食べ方をする物でもないと思うんだが。

 久遠寺の方は直接齧り付いているものの、こちらもやはり、あまり大口を開けない上品な食べ方だ。そのせいかバーガーの減りが遅い。


「ちょっと待てよ、人生二度目って何だ?」

「前にいっぺん来たっきりなんや」

「……二人とも、筋金入りのお嬢様だから」


 朝霞と吉国が極々普通の事のように答える。

 だから人生二度目のファーストフードだというのか。恐ろしい。この世の中にそんな人種が実在していたとは。


「って言うか吉国、お前は違うよな?」

「多分私は、二人よりは砺波くんに近い家庭環境。ミスもヤックもラッテリアも何度も行ってる」

「そ、そうか。良かった……」


 庶民派は俺だけではないようだ。

 そんな吉国の言葉を聞いて安堵している俺に、朝霞が不満げな顔をする。


「何や砺波、俺には訊いてくれへんの?」

「お前はこの間も、帰りに俺をここまで引っ張ってきただろうがっ」


 つい先日も、俺は朝霞に引っ張られるようにしてこの店へ来ていた。帰宅する時に腹が減って仕方が無いと煩かったのだ。どうせ帰ったらすぐに夕飯の時間なんだろうから、大人しく家に帰れば良かったものを。

 とは言え、朝霞も俺も育ち盛りの男子だ。ここでハンバーガーを食べた後、帰宅後の夕飯も普通にペロリと平らげてしまった訳だが。


「まあ、滅多にこういう所へ来る事は無いが、手軽に食べられるという点は悪くないだろうな。学生に人気なのも頷ける」


 久遠寺はもっともらしく言いながらハンバーガーを食べている。しかし、そういう事を考えながらハンバーガーを食べるというのが、実に高校生らしくないと思う。


 学校帰りにファーストフード店に寄るというのは、結構日常的な風景だと思っていたが、久遠寺や六条にとってはそうではないのだろうか。しかも、六条はともかく久遠寺は現金を持ち歩かずカードを使う主義だと言う。俺のような一般庶民とは住む世界も考え方も違うのだ。

 金というのはある所にはあるものだが、もう少し庶民の方に回ってきてもいいだろうに。世の中というのはかくも不公平なものだなぁ、と思う。




「……そんでな。俺とさっちゃんがデキとるっていう噂があるらしいわ」




 そんな事をつらつらと考えていた俺は、朝霞のその言葉で一気に引き戻された。思わず、手にしていたフライドポテトをトレイの上に落としてしまう。


「は? お前と久遠寺が、何?」

「デキとるから、さっちゃんは彼氏の俺を生徒会に入れたんやと。生徒会の人選を完全に私情でやっとるっちゅう話や。アホらしゅうて欠伸が出るわ」


 もしや橋本が言っていた噂というのはこれの事か。しかし何と言う内容だ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 朝霞の話を聞いた久遠寺は、あからさまに顔を顰めた。


「何だその気色悪い噂は」

「気色悪いまで言われると心外やけど、まあ俺としても似たような心境やな。俺が今更さっちゃんとどうこうなんて間違ってもあらへんし、そもそもさっちゃんは彼氏やから生徒会に引きこむ、なんて舐めた真似は絶対にせぇへんやろ」

「当たり前だ。私を馬鹿にするな」


 先日、俺と似たような話をした時も彼女はあまりいい顔をしていなかったが、今日はこの間のそれよりも更に不快感を露わにしていた。自分の私情で、しかも色恋関係で采配していると思われるのが非常に気に喰わないらしい。

 そりゃそうか。エベレスト並みにプライドが高いらしいしな。


「でも、一体どうしてそんな妙な噂が流れているんでしょうね?」


 六条はこてりと首を傾げながらそんな事を言う。その疑問はもっともなものだった。一体何処からどうやって何故、そんな噂が流れ出したのだろうか。


「咲良とシュンくんが幼なじみだというのは、大抵の榊生なら知っている事だと思うんです。もっとも、幼なじみから恋愛に発展する、というケースが必ずしも無いとは言えませんけど……」

「無い」

「無いなぁ」


 六条の言葉の途中で久遠寺と朝霞が断言する。流石に年季の入った幼なじみなだけあって、息は合っているようだ。そしてその横で吉国も、二人の言葉を肯定するようにこくこくと頷いている。


「言えませんけど、咲良とシュンくんに限っては無いですし、それも同学年の皆さんなら分かりそうなものなんですけどね」

「どうして同学年なら分かるんだ?」

「榊生の三分の二ぐらいは幼等部か初等部から通っている人ばかりなんです。中等部からも含めると四分の三ぐらいになるでしょうか。なので、同級生なら大体咲良とシュンくんの性格や関係性は分かっている筈なんですよね」


 性格や関係性を踏まえた上で、この二人が恋愛に発展するという事はまず無いという判断を下す訳か。それもどうかと思うけどな。


「そうだな。同じ幼なじみなら、私よりもまだ晶子の方が分かるぐらいだ」

「せやなぁ。さっちゃんより晶子さんやわ」

「えぇと、私はあまり関係無いのでは……」


 またしても二人揃って同じような事を言い、突如自分の方に話を振られた六条は困ったように苦笑していた。やっぱり結構気が合っているんじゃないか、この二人。恋愛方向には決してベクトルは向かわないようだが。


「って事は、その噂の発信源は同級生じゃないか、同級生だとしても高等部以降に入ってきてあまり久遠寺たちの事を知らない生徒、って話になるよな」


 俺の言葉に朝霞が芝居がかった声を出す。


「砺波、ひょっとしてお前……」

「いや、何でそこで俺になるんだよ、意味分かんねぇよ」

「……砺波くん、まだ転入して一ヶ月も経ってないし」


 黙々とハンバーガーを食べながら何を言うんだ吉国。と言うかお前、さっきまでホットドッグ食べてなかったか。あの一つ余分なハンバーガーは朝霞じゃなくてお前の分だったのか。


「そういえばそうですねぇ」


 六条も同調するなよ。


「それに砺波は無理矢理雑用係に入れられたようなもんや。俺らの事恨んどってもおかしくないやろ?」


 そういうもっともらしい理由付けをするな。


「砺波、お前そんな下らない噂で、私たちを陥れようとしてるのか?」


 今日は久遠寺までボケに回ってしまった。今度こそ突っ込み不在だ。一体何なんだ、この集団は。


「お前らそんなに俺を犯人に仕立てあげたいのかよ……」


 適切な突っ込みが思いつかず、はぁっと深い溜息をつく。

 そんな俺を一瞥しながら久遠寺はストローに口をつけた。ちゅうっと吸い上げるとストローの中が茶色一色に染まる。久遠寺が頼んだのはアイスココアだ。アイスティーかコーヒーでも頼みそうなイメージだが、案外甘い物が好きらしい。


「まあそんな下らない冗談はさて置き。俊介。お前、そもそも誰からその噂を聞いたんだ? クラスの誰かか?」

「俺が聞いたんは先輩からやで」

「先輩? 誰だ」

「二年の井上先輩。そんな噂聞いたんやけどお前ホンマか? って言われてな。そんなんありえへんわーって返しといたけど」


 やはり上級生のようだ。俺は昨日橋本から聞いた話を思い返した。

 久遠寺が一年生ながらにして生徒会長に就任した事を面白く思っていない上級生が居る、という話だ。


 仮にそういう上級生が居るとして、そいつがこんな噂を流した理由を考える。


 この噂を聞いて感じる印象は、久遠寺は生徒会の人選や業務に私情を持ち込むような人間だ、という事だ。そんな印象が何に繋がるかと言えば、まあ久遠寺や生徒会への悪印象に行き着く、といった所だろう。


 下らない。実に下らない手ではあるし信じる奴も少ないだろうが、ほんの僅かずつでも生徒会に反感を覚える人間を増やしたい、というのであればそれなりに有効な手段ではあるかも知れない。

 人間は噂に左右され易い生物だ。塵も積もれば山となる、と言うし、たとえ塵レベルの良くない噂でも積もり積もれば大きな悪印象に変化する可能性はある。


 何とも馬鹿馬鹿しい話だが、やはり久遠寺を生徒会長の座から引き摺り下ろしたいと考えている人物が居る事は、どうやら確かなようだ。これ以上面倒な事が起きなければいいが。


 所詮、俺は臨時の手伝いで正式な役員でも何でもない存在だ。立ち位置としては非常に中途半端な所に居る。だが、生徒会の皆が努力している事はよく分かっている。

 だから、どうかこれ以上は何も起こらず、学園祭も無事に成功するようにと切に思うのだった。




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