ねぇ婚約者様。今一度、私に蔑んだ目を向けてくださらない?
息抜きに書いてきたギャグです。
深く考えないでください。
私、シルヴィア・スピネルは齢十六にして人生の意味を見つけました。
そう日記に書き記したシルヴィアはうっとりとした顔でペン先をインクの中に浸した。
シルヴィア・スピネルは我が国の公爵令嬢である。
幼い頃より第一王子ニコラス・アレキサンドライトの婚約者として王妃教育を受けて来た彼女は本人の才能と上質な教育によって大抵のことはそつなくこなして来た。
夜会に招かれれば来賓がため息を漏らすような美しさと知性をもって紡がれる話術で婚約者を立て、王立学院に在籍しては高順位の成績を修めた。
しかし、シルヴィアは心の機微というものがわからなかった。
顔を合わせれば褒め称えてくる使用人たちも、自身の様子を聞いては自慢の娘だと微笑む両親に対してもなんの感情も覚えなかった。
長年の王妃教育を経ているのだ。日々のお稽古を、できない方が可笑しい。そう考えながら十六年の月日を生きて来た。
そんなシルヴィアに衝撃が走った。
婚約者であるニコラスが自身に向けて今まで見たこともないような嫌悪の視線を投げかけたのだ。
今までそんな視線を向けられる機会のなかったない彼女の胸がドキリと跳ねた。途端に頬に熱が集まる。険しい表情が、鋭い眼光が、シルヴィアの胸を突き刺す。
ただ、格好いい。と。
普段なら、そんな場違いで抽象的な感覚に由来するものが頭の中を占めることなどない。
次第に動悸が激しくなる。どういうわけか、上手く回らない頭の中を締めるのは婚約者の険しい顔ばかり。
「好きよ、ニコラス様」
それは、シルヴィア・スピネルが生まれて初めて口にした愛の告白だった。
□
さて、少しばかり時を戻そう。
シルヴィアとニコラスは家同士が決めた婚約者同士である。そこに愛情などというものはなかったが、お互いの立場や意志を尊重する友情や信頼関係はあった。
ゆえにニコラスは、先日女子生徒たちに聞いた話が信じられず。二人が通う王立学院の校舎裏にシルヴィアを呼び出し、その是非を問い質すことにしたのだ。
「まず最初に聞くが、フェリシア・ダイアモンドを知っているかい?」
聞いておいてなんだが、ニコラスはシルヴィアがなんと答えるかはわかっていた。
五歳の時に両親に引き合わされて以来、ことあるごとに顔を突き合わせてきたのだ。シルヴィアがどのような人間かはニコラスもよくわかっている。
冷静で落ち着いていると言えば聞こえはいいが、その実、他人に興味がなく、婚約者のニコラスが何をしようと「そうですか、わかりました」で済ますほどだ。
だから彼女がフェリシアの家名は知っていても、個人として認識していないことはわかっていた。
「ダイアモンド家のご令嬢ですか? 確か少し前に養子に迎えられた方でしたわね」
「ああ、俺たちと同じ一年だよ」
「そうでしたか」
特段興味もなさそうに答えて、シルヴィアはそれがどうしたのだとニコラスを見上げる。
彼女は万事この調子だ。だからこそニコラスは女子生徒たちの話が信じられずシルヴィアを呼び出したのだ。
「単刀直入に聞くが、君はフェリシアに危害を加えたか?」
自分で言っていて、ありえないなと思った。しかしニコラスは、第一王位継承権を持つ一国の王子でありこの学院においては生徒会にも所属している。
そこに最近何かと話をする機会のある友人が、これまた自分の婚約者にいじめを受けているなどと報告があったのなら、事実確認をしなければならない。
再度明記しておくが、ニコラスはシルヴィアという人間をよく理解しているつもりでいた。
何事も高水準の教育を受けているのだからできて当たり前といった態度でありながら、自分の才能を鼻にかけるわけでもなく。他人にどう評価されようと、いや。自分自身の感情にすら頓着をしない女だと認識していた。
故に、シルヴィアとの婚約自体は非常に楽だった。
流行り物の装飾や甘味をねだられることもなく、執務の合間に顔を出してニコラスの趣味のチェスに付き合わせるだけでも文句の一つも出ない。何なら同じ空間で話もせずにお互い好きな本を読むだけの時だってざらにあった。
ニコラスもシルヴィアも、他の婚約者たちがどのような逢瀬をしているのかを知らない。が、家臣たちが二人の逢瀬を覗き見て「仲は悪くないんだが」とやきもきしているのも知らない。
「危害、ですか? 何故?」
「一部の生徒が、君の指示でフェリシアの持ち物を故意に紛失したり、怪我を負わせたと言っている」
重ねて言うがニコラスとシルヴィアの間に恋愛感情はなかった。
家同士の繋がりのため、ひいては国のために結婚するに過ぎない。そこに愛だの恋だのと言う曖昧な感情は必要なく、同じ方向を向いて立ち続けられるという確かな信頼関係があればいいと、二人は考えていた。
だからこそニコラスは、次のシルヴィアの言葉を理解するまでに幾何かの時間を要した。
「もしそれが本当だったらどうします?」
シルヴィアは自分が何故こんなことを言ったのか、後になってもわからないままでいる。しかし同時に、あの時あの言葉を吐いてよかったとそれはもういい笑顔で語った。
ニコラスが何故そんなことを聞いているのかわからないほど、シルヴィアはぼんやりしてはいない。大方貴族の子女たちが何かしらの思惑があって自分の名前を語ったのだろう。
ダイアモンド家のフェリシア嬢がどのような人物かは知らないが、テストの順位表でそこそこの位置に名前があったのだけは知っていた。
これらを繋ぐ線の名前は、恐らく「嫉妬」なのだろう。
シルヴィアにはその感情がどういうものかわからないが、何度か足を運んだ観劇の題材として扱われていたので、人の感情にそういうものがあるのは知っている。
何なら、そんな感情に振り回されるなんて人間は大変だなぁと言う感想まで持っている。
ニコラスがダイアモンド家の令嬢の名前を知っているのなら、以前より交流があったのだろう。一部の生徒はそれが気に入らなかったのかもしれない。シルヴィアの名前を挙げたのも、同じような理由だろう。
そんなことを考えながらじっとニコラスを見上げる。そうして返ってきた言葉がシルヴィアの人生を大きく変えた。
「それが本当なら心底軽蔑する」
その時、シルヴィアに電流が走った。
今まで何をしても心が動かなかったのに、ニコラスに軽蔑の目を向けられた時、確かにトゥンクと胸が跳ねたのだ。世界が始まった。今までの人生は一体なんだったのか。
いつも穏やかで無味乾燥とした笑みを称えるあの婚約者が、私にだけ険しい顔を向けている。胸が高鳴った。ときめいた。もっと言うなら恋に落ちたのだ。
頬に熱が集まるのを感じながら、ニコラスの険しい表情が、鋭い眼光がシルヴィアの胸を弾ませる。
この時初めて、シルヴィアは己の中にある感覚的なものに全権を預けた。一瞬とはいえ、自身の主導権を意識的に手放したと言ってもいい。
「かっこいい」
「は?」
「いえ、失礼。あなた、そのようなお顔もできたのですね」
ざわざわと騒ぎ立てる初めての感覚に戸惑いつつ、頬の熱を冷ますようにぱたぱたと手のひらで仰げば、ニコラスが訝し気な顔をする。それでまたシルヴィアの胸を弾ませて。
確かに、ニコラスの顔の造形は整っている。すっきりとした目元にすらりとした立ち姿は、数々の若い娘の心を鷲掴みにしてきた。
シルヴィアも多くの娘がニコラスの虜になっているのは知っていた。しかしこれまでの彼女にとって、彼の容姿は特別興味を引かれるものでもなかった。
自分の役目は王妃として完璧に振る舞い、国の繁栄に努めること。国家のためにという思いはニコラスも同じであったし、二人の間に甘い感情など今まで湧く余地もなかったのだ。
「からかっているのか?」
「いえ、そのようなことは」
「本当のことを言ってくれ」
ニコラスが真剣な表情を向けるも、頬を赤く染めたまま自身を見上げるシルヴィアに困惑する。
この反応はニコラスにとってある意味見慣れた光景でもあり、初めての体験でもあった。
他の、学舎や貴族としての付き合いで出会った令嬢に、このような表情を向けられる機会は幾度となくあった。それほどの価値が、その顔と地位にはあるのだとニコラスは自覚していた。
しかし、しかしだ。
未だかつて、十何年と付き合いのある婚約者にこんな顔を向けられた覚えはなかった。
ゆえにニコラスは戸惑った。
自分の婚約者はこんな表情もできたのか。しかもそれを自分に向けるのか。
真剣な話をしているつもりであるのに、いつの間にか艶やかな雰囲気になっていることにたじろぐ。
うっとりとこちらを見上げたまま、ほんのりと色付く唇が開くのを見てニコラスは固唾を呑んだ。
「ねぇニコラス様、今一度私に蔑んだ目を向けてくださらない?」
どうやらそれが、彼女にとっての真実らしい。
□
ここ数日の婚約者の様子がおかしい。
半分私室として占領している生徒会用の作業スペースでニコラス・アレキサンドライトは頭を抱えた。
先日、フェリシア・ダイアモンドが同級生によるいじめを受けている。しかもその実行犯たちがシルヴィアの名前を出した、ということで話を聞いて以来だ。
ニコラスは、十中八九シルヴィアはこの件に関係していないと言い切る自信がある。なぜなら幼い頃より付き合いのあるシルヴィアの人間性は、ニコラス自身が誰よりも理解していたからだ。
恐らくだが、特に学生間で交流を持とうともしないシルヴィアの名前を体よく使われただけだろう。
「あの方々の話を鵜呑みにするわけではないですけど、結局、シルヴィア様は関わっていたんですか?」
提出したい書類があるとかで、生徒会室まで来ていたフェリシアがそんなことを言った。その顔には「私、一方的に知っているだけで、お話すらしたことないんですけど」と書かれている。
今回のいじめの被害者ではあるものの、フェリシアは首謀者がシルヴィアだとは思っていない。
フェリシアからすればシルヴィアなど、雲の上の存在であるし、そんな人がなぜ自分に? という思いもある。あと、何よりニコラスから伝え聞いていた人柄が、いじめなどに加担するような性格にも思えなかったからだ。
「シルヴィアは、いじめができるほど他人に興味はない。何なら俺にも、然程興味がないはずだよ」
「それ、言ってて悲しくなりません?」
何とも言い難い表情を向けるフェリシアに、ニコラスは肩を落とす。
なんだってこんなことになっているんだ。
「お話、したんですよね?」
「したよ。した上で、彼女のことがよくわからなくなった」
あの後何度か顔を合わせたが、その度に何かを訴えるような目でガン見されている。そして、シルヴィアに何かと問えばあの時と同じ言葉を繰り返される。
期待した目を向けないでくれ。というか君こそ、そんな顔で来たんだな。
頬を染め、熱に浮かされたようにうるんだ瞳。まるで恋する乙女のようじゃないか。
今まで婚約者としてそれなりに信頼関係を築いてきたつもりだったが、今になってそんな顔を向けられても困る……いや、困らないのか? 婚約している相手ではあるし。
彼女の能力はよく知っているし恐らく問題はないはず。シルヴィアのことが嫌いなわけではないし。けれどあの発言は正直可笑しくなったのかと思ったぞ。
ぐるぐると頭の中でそう繰り返してはニコラスは眉間にシワを刻みながら目頭を押さえた。
「あれからシルヴィアの様子が変というか……」
「と、言いますと?」
「……蔑んでくれと、言われるようになった」
「それは、なんていうか。人の趣味はそれぞれですから」
気遣わしげなフェリシアの視線がニコラスに突き刺さる。
フェリシアは基本的に素直な性格だった。故に自身の知らない世界があっても、そういうこともあるのだろうと、そのままの形で受け入れる。実際に養子として貴族社会に飛び入り参加した彼女にとって、目に映るすべてが新しく知らない世界だった。
だから、自分の婚約者に蔑まれたい令嬢がいても、そういう趣味の方もいるのだろうと、フェリシアは不思議な気持ちで受け入れるのだ。
「えーと、いじめの件は正直、どうでもいいと思っているんです。何なら、その内実力で黙らせるんで!」
「生徒会の人間としては、あまり放置できないんだがね」
「それよりも私は園芸部として緑化運動がしたいんですよ!」
園芸部の設立許可を求められ話すようになったフェリシアに、ニコラスはふっと息を吐く。
夢中になれるものがあるのは良いことなのだろう。
目の前でいきいきとするクラスメイトはそれを糧に、理不尽を強いられていても跳ね飛ばす強さを持っている。何とも逞しいことだな。感心すると同時にニコラスは頭痛を覚えた。
「以前にも言いましたけど、私お花屋さんになるのが夢なんです。そのための第一歩として、ダイアモンド家のお庭とこの学園のお庭に自分で育てたお花でいっぱいにするんです!」
「それはもう夢というより野望だね」
「野望を言っていいなら私の育てた花でニコラス様とシルヴィア様の結婚式を彩りたいです」
にこにこと、フェリシアを眺めニコラスは再び頭を悩ませる。
目標があるのも素晴らしい。でも中庭に花壇を作る許可はまだ出していないんだがなと、ニコラスは心の中で呟くのだった。
□
さて、数日の時が進んだわけだが。
中庭に一同に会した面々を見回してシルヴィアは首を傾げた。
目の前には見知らぬ女子生徒が三人。いや、見たことはあるのかもしれない。ただシルヴィアの記憶にないだけで。
そして彼女たちの後ろにはよく見知ったシルヴィア自身の婚約者、ニコラスと、これまた見覚えのない女子生徒が一人。
これは一体何の集まりなのか。皆目見当もつかず、シルヴィアは再び首を傾げ、説明を求めるようにニコラスの方を見た。
「君たち、言うことがあるよね」
ニコラスは、シルヴィアの視線を無視するようにして自分の前にいる三人の女子生徒に声をかけた。
この数日、ニコラスは走りまわっていた。いや、体裁のため非常に優雅な立ち振る舞いをしてはいたが、あちらこちらへと出向き学園内の生徒に話を聞いて回っていた。
結果としてフェリシアに対するいじめ問題に、シルヴィアが関わっていないことが証明されたのだが、同時にニコラスは自分の婚約者が全く他人と関わる気がないことも目の当たりにした。
シルヴィアのアリバイを洗い出すために話を聞いたところ、「え、ああ。その時間でしたら、お一人でいらっしゃるのを見ましたよ?」と。万事が万事、この調子である。
第一王位継承権を持つニコラスの婚約者だ。何かと目立つ存在なので目撃情報は簡単に集まって、晴れて無罪が証明されたのは良いが、もうちょっと人と交流してはいかがか? 無理そうだよなぁ、などと思い直しつつ、ニコラスは居住まいを正した。
目の前にはフェリシアの荷物を故意に紛失させたり、ニコラスの婚約者を貶めるような噂を流布した三人組。ニコラスは全くその噂を信じていなかったが、さすがに放置することもできず、噂の元凶としてシルヴィアの前に連れてきたわけだが。
ぐっと押し黙ったまま三人の女子生徒は居心地が悪そうにしている。先にフェリシアに謝罪をさせた時もそうだったが、長引けば長引くほど居心地が悪くなるというのに、強情だなぁ、などと一足先に謝罪を受けたフェリシアは気楽な気持ちで事態を観賞している。
「あの、ごめんなさい。私、そのフェリシアさんにしたことを、シルヴィア様のせいにして……」
「はぁ」
ニコラスに促され蚊の鳴くような小さな声で唱えられた謝罪を聞き、シルヴィアはなんとも気のない返事を返した。
正直、シルヴィアにとって名前を騙られたことはどうだっていい。いや、家名を貶められたという意味ではよくないのかもしれないが、シルヴィアにとってはそんなことどうだっていいのだ。
むしろ感謝の気持ちすらある。なんたって、彼女たちの一連の行動のおかげで新しい自分、新しいニコラスの表情に出会えたのだから。
シルヴィアの願いはただ一つ、もう一度あの顔を向けられたい。それだけだ。彼女たち三人の謝罪には何の価値も見出せない。
そんな彼女の視線の先にいるのは、やっぱりニコラスで。あの一件以来、ことあるごとに期待と熱のこもった目をニコラスはシルヴィアに向けられている。長年連れ添った婚約者の、見慣れぬ表情に妙に胸の内をざわつかせられるのだから困ったものだ。
「もっとやってもよかったのよ?」
そうしたらもっとあの顔を向けてもらえたかもしれないもの。そんな気持ちを込めて、ちらりとニコラスを見れば、ひきつった顔を向けられる。違う、そっちも初めて見るけどほしいのはその顔じゃない。
シルヴィアの思いは正しく伝わったが、望む形では返されなかったようだ。
仕方なしと息を吐けば、何やら肩をびくつかせた三人の女子生徒がまだ目の前にいて。
「今後こんなことはしないように、次は家の方に報告する」
あら残念、と肩を落とすシルヴィアを他所に、ニコラスが咳ばらいをして三人の女子生徒に解散するように促す。
一時の気の迷いだと思いたいものだな。彼女たちの行動も、シルヴィアの言動も。ああ、フェリシアの熱意に満ちた野望ももう少し控えめになって貰えるとありがたい、などとニコラスが夢想する横で、残された二人の貴族令嬢の内、先に動いたのはやはりフェリシアの方だった。
「はじめまして、シルヴィア様! 私、フェリシア・ダイヤモンドっていいます。ニコラス様には、園芸部設立の手続きでお世話になりました!」
「あら、そうなの」
「話の流れで、シルヴィア様の趣向についてもお聞きしたんですけれど……考えたんですよ、私!」
気のない返事をするシルヴィアを気を悪くすることもなく、フェリシアはごそごそと持っていた鞄から鉢植えを取り出す。鞄に鉢植えを持って移動する貴族令嬢とはこれ如何に。
ニコラスがマジかコイツと視線を送っていようが、お構いなしにフェリシアはずいっとその取り出したばかりの鉢植えをシルヴィアに差し出した。
フェリシアは基本欲望に忠実だった。幼い頃より自宅の庭に頻繁に植物を植え、ふかふかの草花の上で昼寝するのが夢だった。ミントやカタバミを庭に植えて、両親に怒られたのも一度や二度ではない。
そして現在。フェリシアは庶民にとってはかなり大きな庭付きお屋敷を持つ男爵家に養子として迎えられ、自分の好きにできる庭園を手に入れた。そして目の前には自分の趣味に同調してくれそうな人物がいる。
これはなんとしても、園芸沼に沈み込ませねば。その使命感が今、フェリシアを突き動かしている。
「植物、育ててみませんか?」
「別に手間をかけるのが好きな訳じゃないのよ?」
「まあまぁそう言わずに。意志疎通のできない植物って中々いい顔してくれない状況に似ていません?」
はっきり言ってシルヴィアは植物に興味がない。一般的に美しいとされる花が装飾されていたところで咲いているな、としか感じない。視界に入っていないわけではないのだが、ああ、あの花の名前は何だったかな。程度の感想しか浮かばないのだ。
シルヴィアが視線を落とした鉢植えには、ジグザグに伸びた細い枝が小さな葉をつけている。奇妙な形に枝が伸びている。あんなに細くて枝は折れないんだろうか。そんな事を考えた。
嬉々としてフェリシアが差し出した鉢植えは、ソフォラ・ミクロフィラと呼ばれる観葉植物だった。メルヘンの木などとも呼ばれインテリア性の高い佇まいをしているが、その実乾燥と蒸れを嫌い、植え替えのショックで落葉もするかなり繊細な植物だ。
それを初心者に薦める辺りフェリシアもどうかしているが、フェリシアは悪意を以て薦めているのではない。
あくまでほんの少しの善意と、園芸部員を増やしたいという完全な私利私欲で話をしているに過ぎない。ある意味悪質ではあるが、フェリシアの大いなる野望の前には他人の受け取り方も些事だ、些事。
しばらく悩んだ後、シルヴィアがそっと鉢植えに手を伸ばした。
そうして邂逅を果たした奇妙な貴族令嬢二人は、一方の思惑通りに学園の緑化活動に励むこととなる。他の学園の生徒から園芸部二人は、奇妙な物を見る目で遠巻きにされているが、本人たちが他人の視線を気にしていないのだから、何の問題もないのだろう。
因みに完全な余談ではあるが、この後三年間の学園生活をフェリシアはご機嫌で過ごしたという。園芸部と銘打ちながら完全に私利私欲に走り、尚且つ同志も得たのだから言わずもがなである。
正直、こうなることをニコラスはなんとなく予見していた。
かなり感情の起伏の少ないが、自分の婚約者は無意識に縛りプレイをしがちな人種である。何ならよく突き合わせているニコラスの趣味のチェスでも、一時期クイーンを使わない縛りをしている時があった。
だからまぁ、育てにくい植物を育てることに、シルヴィアが熱中してもおかしくはないのだろう。ただ頼むから申請書類だけは正確に提出してくれ、というのがニコラスの願いである。
中庭の一角を勝手に使用して園芸活動をしようとするフェリシアを捕まえて、使用許可証の書類を書かせたニコラスはため息を吐く。
最近ため息が増えたがあまり不幸そうには見えないので、彼の方も問題は無いだろう。
彼の視線の先に映るのは、相変わらず会う度に自分に蔑んだ視線を向けてくれと期待に満ちた目を向けてくる婚約者で。
生憎ニコラスには女性を無意味に蔑む趣味はない。ましてや自分の婚約者を下げる必要は感じられない。基本的にニコラスはシルヴィアを評価しているのだ。気苦労も多い王妃教育を幼い頃から不満も漏らさずこなしてきてくれたし、熱意には欠けるが穏やかで有能な人物だと思っていた。
つい先日まで、仲睦まじいとはいえずとも、良好な関係だったはずがどうしてこうなったのか。最近ニコラスの脳内を占める悩みは専らこれである。
だが同時に、せいぜいお前はその植物の面倒を見ていろ。俺以外お前の面倒を見れる奴はいないだろ。などともシルヴィアに対して考えるようになってしまったのだから、まぁいわゆる、破れ鍋に綴じ蓋というやつなのだろう。
せっせと土いじりをする女子生徒二人を、少し離れた所にあるベンチに腰掛けてニコラスは眺める。暖かな日差しが降り注ぎ、心地良い風が吹いた。
皆それぞれ、嗜好は穏やかとは言い難いのかもしれないが、世界は概ね平和である。




