Log_005 扉の向こうへ
玲は、手紙を握りしめたまま、無音の世界に立ち尽くしていた。白い空間には、彼の呼吸音すら吸い込まれていく。足音は、やがて玲のすぐ背後で止まった。振り返ると、そこには見知らぬ少年が立っていた。彼は玲と同じ制服を着ているが、どこか異質な雰囲気を纏っている。
「君が、二十一番目?」
少年は問いかける。玲は答えられず、ただ頷いた。少年は微笑み、手にした黒い端末を玲に差し出した。
「これは君のものだろう? 僕がここに来た理由も、それを返すためなんだ」
玲は端末を受け取る。冷たい筐体が、現実感を取り戻させる。画面には、かつて透と交わしたメッセージの断片が浮かび上がっていた。
『もし、また会えたら――』
玲は指先で文字をなぞる。だが、続きを読む前に、少年が静かに語り始めた。
「この場所は、君たちの記憶と選択が交差する『中間層』だ。君がここにいる限り、円環は閉じない。だが、選ばなければ、誰も救われない」
玲は問い返す。「選ぶって、何を?」 少年は答えない。ただ、玲の手紙を見つめている。玲は再び手紙を開く。掠れた文字の隙間から、かすかな声が聞こえた気がした。
『――まだ、終わらせてはいけない。』
玲は、ふと気づく。手紙の裏に貼られた野の花が、わずかに脈動している。血の色が、ゆっくりと滲み広がり、やがて花弁が光の粒子となって宙に舞い始めた。その粒子は玲の周囲を巡り、やがて一つの像を結ぶ。
それは、透の姿だった。だが、彼女の表情は以前とは違う。どこか遠い記憶を見つめるような、静かな微笑みを浮かべている。
「玲、ごめんね。私はもう、君の重力にはなれない。でも、君が選ぶ未来を見届けたい」
玲は透に手を伸ばすが、指先はすり抜ける。透は微笑みながら、玲の耳元で囁いた。
「この世界の終わりは、君の始まり。忘れないで。君が選ぶことで、私もまた存在できる」
玲は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「……わかった。僕は、僕のままでいる」
その瞬間、白い世界に亀裂が走った。床が崩れ、玲は再び落下する。だが、今度は恐怖ではなく、確かな意志を胸に抱いていた。
落下の先で、玲は見覚えのある都市の屋上に立っていた。夕焼けが空を染め、遠くで鐘の音が響いている。
そこには、年上の玲と、仮面の群衆、そして創設者の男が待っていた。
「戻ってきたね」
年上の玲が言う。玲は頷き、黒い端末を高く掲げた。
「僕は、選ぶ。僕自身の存在を」
創設者の男が微笑む。「ならば、最後の問いを」 玲の前に、三つの扉が現れる。それぞれの扉には、異なる記号が刻まれていた。
「どの扉を選ぶかで、君の世界は決まる。だが、どれを選んでも、誰かが消える」
玲は扉を見つめる。透の声が、心の奥で響く。
『選んで。私も、君も、ここにいるために』
玲は一歩、扉へと踏み出した。
物語は、まだ終わらない。
世界の秒針が、再び動き出す音がした。




