第6話 触らないって決めたのに
触らないって決めたのは、私だったから。
澄香に「近い」って言われた日から、ちゃんと守ってる。
腕に触れないし、肩も寄せないし、無意識でやってたことを、全部意識して止めてる。
えらくない?
私、自分でもめちゃくちゃえらいと思う。
──なんだけど
なんでこんなに、落ち着かないんだろ。
朝、教室に入る。
澄香はもうすでに席に座ってて、いつも通りノートを開いてる。
「おはよ〜」
大丈夫、声は震えてない。
テンションも、たぶん普通。
「……おはよう」
澄香も、普通に返してくれる。
それなのに、なんか物足りない。
前は、返事する前から目が合ってた気がする。
前は、もうちょっと近くで声を聞いてた気がする。
いや、気のせいだよね。
全部、気のせいだから。
そう思おうとしてるのに、頭の中が耳鳴りしてる感じがして、うるさい。
席に座る。
ちゃんと机を少し後ろに下げて。
これが正解。
澄香が少しでも、安心する距離を保たないと。
わかってるのに、体が変な感じする。
机が広く感じる。
澄香との長い長い空気が余ってるみたい。
前までもっと近くに澄香がいて。
綺麗な髪から良い匂いがして。
澄香の背が高いからちょっと邪魔で。
でもそれが普通だった。
普通だっただけなのに。
「今日さ、小テストあるらしいよ」
ちょっと声が裏返っちゃったかも……
別に、話しかける内容はどうでもいい。
「そうなんだ」
澄香は、ちゃんと答えてくれる。
他の人は、澄香のことを冷たいって言うけど、そんなことない。
ちゃんと話してくれて、うるさい私の話も聞いてくれて、ほんとに優しい。
なのに、なんか目が合わない。
ノートから、こっちを、私を見てくれない。
──って……
私、今見てほしかったの?
気づいた瞬間、胸がぎゅってなる。
なんで?
意味わかんない。
前なら、そんなの求めてなかったはずなのに。
昼休み。
購買行く?って聞くの、やめた。
誘って、また断られるのが嫌だから。
……違う。
断られるのが嫌なんじゃない。
澄香が、困る顔するのが嫌。
澄香を困らせたくない。
だから、一人で行く。
パンを選びながら、周りを見る。
カップル。
友達同士。
肩寄せて笑ってる。
なんで、みんなそんな近いんだろ。
私だって、別に特別なことしてたわけじゃないのに……なんで?
教室に戻ると、澄香はまだ席にいた。
「おかえり」
その一言。
それだけなのに、ちょっと安心する。
……ほんと、意味わかんない。
放課後。
一緒に帰るかどうか、聞けなかった。
聞いたらまた「今日は用事ある」って言われる気がして。
その想像だけで、胸が変になる。
でも、澄香は結局、駅まで一緒に歩いてくれた。
距離は空けたままだけど。
前なら、腕に絡んでたな、とか考えてる自分が嫌。
触らないって決めたのに。
触らない方がいいって、言われたのに。
私って、こんな重かったっけ……
それでも苦しいのは私だけ。
澄香は、ちゃんと普通だ。
話もする。
無視もしない。
避けてもいない。
だから余計に、わからなくなる。
私、何を失ったんだろ。
別に、何も失ってないはずなのに。
駅に着く。
「じゃあ、また明日」
「うん」
改札を抜ける背中を見ながら、私はその場に立ち止まる。
追いかけたい、とかじゃない。
呼び止めたい、とかでもない。
ただ。
このまま離れていく感じが、嫌だ……嫌だ!
触らないって決めたのは、私だ。
澄香のため。
澄香が嫌なら、やめなきゃって思った。
ちゃんとしてる。
間違ってない。
なのに。
なんで、私の方が、こんなに苦しいんだろ。
私が近づいたら澄香が苦しくなっちゃうのに。
家に帰って、ベッドに倒れ込む。
スマホを握って、澄香の名前を見る。
連絡する理由なんてない。
今日も話した。
明日も会う。
それなのに、今すぐ何か言わないと、
この距離がもう一生戻んない気がして。
でも、送れない。
送ったら、
また「近い」って思われるかもしれないから。
「……意味わかんない」
声に出したら、ちょっとだけ楽になる。
触らないって決めたのに。
距離を守ってるのに。
ちゃんとしてるのに。
なんで私は、澄香の隣にいないとこんなに落ち着かなくなるんだろ。
これって、友達だからだよね。
友達なら、こんなふうに考えなくていいはずだよね。
でも。
考えるの、やめられない。
だって、澄香が私から少し離れただけで、世界が歪んで曲がって見えるんだから。
これ以上、どうやって我慢すればいいんだろ。
これ以上、どうやって、
普通の顔でいればいいんだろ。
私はまだ、ちゃんと笑えてると思う。
ちゃんと、周りにも澄香にも明るいって思われてるはず。
だからたぶん、
誰も気づかない。
──自分でも、どこまで我慢できるのか、わからなくなってきてることに。




