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第4話 ちょっとした距離

 


 朝の教室は、いつも通り騒がしかった。

 椅子を引く音、鞄を机に置く音、誰かが昨日のテレビの話を大声でする声。


 その中で、私の周囲だけが妙に整っている。


 ぶつかる肩もない。

 突然話しかけられることもない。

 必要以上に近づいてくる気配もない。


 私は、自分の席に向かいながら、その状態を最善だと思った。


 余計な刺激がない分、頭がはっきりしている。

 歩くときも、席に着くときも、動作がスムーズになった気がする。



「おはよ〜」


 依乃の声が聞こえる。

 私は立ち止まらず、そのまま視線だけを向ける。


「おはよう」


 それだけのやり取り。


 依乃は今日もにこやかに笑っている。

 いつも通りの表情で、声のトーンも変わらない。


 違うとしら、依乃との距離だ。


 私の机に寄りかかることはなく、腕が触れることもない。

 私には気にもかけず自分の席で、教科書を出している。

 昨日、私が言ったことを、ちゃんと守ってくれている。


 私はそれを見て、内心で納得する。

 やっぱり依乃は、優しい人だ。

 私の言葉を理解して分かってくれる。



 授業が始まると、さらにその感覚は強まった。

 後ろからちょっかいを出されることもなく、振り返る必要もない。


 板書を書き写しながら、私は考える。


 この距離なら、問題は起きない。

 この距離なら、誰も傷つかない。


 私の体質のことも、余計に考えなくて済む。


 昼休みになると、依乃は別の友達と話し始めた。

 私の方を見ないわけではないが、わざわざ近づいてもこない。


 私はその様子を横目で確認しながら、席を立つ。


 購買に行く途中、ふと背後が気になって振り返る。

 誰もいない。


 意味のない動作だと、自分でも分かる。

 それでも、一度確認しないとなにか落ち着かない。


 パンを選び、会計を済ませ、教室に戻る。

 依乃は窓際に立って、スマホを触っていた。

 画面を見つめる横顔は、特別変わった様子はない。

 楽しそうでも、つまらなそうでもない。


 私は声をかけるか、一瞬迷ってから……やめた。


 今の関係に、無理に何かを足す必要はない。

 そう判断して、自分の席に戻る。


 午後の授業も、特に問題は起きなかった。

 集中力は切れず、ノートもいつもより整っている。

 私が望んだままに、ことは進んでいる…………





 放課後。

 帰り支度をしていると、依乃がカバンを肩に下げて立ち上がった。


 私と目が合う。


「あ、澄香」


「なに?」


「今日は、先帰るね」


 それだけだった。


 当たり前のことだが、理由も説明もない。

 一緒に帰ろうという言葉もない。


「うん」


 私は短く返す。


 依乃はそれ以上何も言わず、小走りで教室を出ていった。


 その背中を、私は見送る。


 胸の奥に、何かが引っかかる。

 でも、それが何なのか何も分からない。


 今までなら会話がぎこちない私が、依乃との帰り道の会話を考えているような時間だ。

 その空白をどう扱えばいいのか、頭が追いつかない。


 校舎を出て、駅までの道を歩く。

 足の運びが一定にならず、歩調が乱れる。


 私は、自分に言い聞かせる。


 ──これは慣れの問題なんだ。


 電車に揺られながら、窓に映る自分を見る。

 表情は、特別おかしくない。


 ただ、視線が定まっていない。


 帰宅後も、落ち着かない時間が続いた。

 夕飯を食べている間も、テレビの内容が頭に入らない。

 部屋に戻り、課題を片付けて、ベッドに横になる。


 手に持つスマホが振動する。


 それは、依乃からのLINEだった。


『今日はありがとね』


 短く簡潔な文。

 相手の感情を読み取れる要素は少ない。


 私はLINEを読んだ後も、何に対する『ありがとう』なのか、すぐには理解できなかった。


 距離を取らせたことか。

 何も言わなかったことか。

 それとも、何も求めなかったことか。


 私は少し考えてから、返事を打つ。


『何のこと?』


 既読がつき、すぐに返事が来る。


『いろいろ!』


 それだけ。


 私は画面を見つめたまま、動けなくなる。


 「いろいろ」はほんとに便利な言葉だ。

 説明をしなくていいし、深く触れなくて済む。


 私も、よく同じ使い方をする。


 だから、これ以上聞かない方がいいと、直感が言っている。

 そうして、スマホの画面を閉じる。

 布団に潜り込み、目を閉じる。

 今日一日の出来事を、順番に思い返す。


 私は間違っていないはず。

 依乃も、ちゃんと対応してくれた。

 関係は……壊れてない。


 そうやって、自分をただ納得させようとする。


 それでも、最後まで消えない感覚がある。


 距離を取ることは、守ることだと思っていた。

 誰かを傷つけないための、正しい選択だって。


 なのに今は、何かを削り落としすぎた気がする。

 それが何なのか、まだ分からない。

 分からないままにしておくべきだとも思う。


 ただ一つだけ、はっきりしていることがある。

 この距離は、もう調整とかじゃない。

 元に戻す前提の距離でもない。


 私はその事実を、まだ直視していないだけだ。


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