―0― プレゼント
―――大国の東の最果てに在る領主の大屋敷、プレゼントを贈り合う雪の降る日、その領主の部屋に一人の黒いローブを纏った彼が居た。
その部屋を観れば何が起こったのか一目瞭然だろう、……………高級感のあるベット、一面窓に掛けられた白いカーテン、熊の毛皮で作られたカーペット、壁に掛けられた絵画、正確ではない地球儀、遠方の言葉で書かれた分厚い本の山、その部屋のシャンデリアの真下を中心に、何年も掛けて揃えたであろう家具や置物達が血で汚された。
この大屋敷の領主は、誰にも最期を見られることなく、……………殺された。
ただ一人、部屋に居る彼を除いて。
― ― ― ―
「アラストル様、こちらも終わりました……………」
突如として足音もなく、その大屋敷のメイド服を着た少女が入ってくる。
その少女には信頼できる部下の一人として、事前にこの大屋敷で偵察をしてもらっていた。
彼女を最後に見たときには美しいショートの金髪だったはずだが、今の彼女は髪が心臓と同じ高さまで伸び、埃を被ったように輝きを忘れていた。
直接顔を合わせるのは実に3ヵ月ぶりである。弱虫な彼女のことだ、もしかしたら”怖かった”と言って抱き着くかもしれない。一瞬だけ考えた妄想を虚空に捨て、彼女に一言の感謝を述べる。
「……………ご苦労であった、これで残りは……………」
落ち着いた濁りのない低音の声が薄っすらと響き渡る。
今回の依頼も終わり手に持っていた血濡れたナイフを、赤黒い汚れがこびりついてしまったハンカチで拭き、次の依頼について考えていた最中、……………それは突然の出来事であった。
「……………!」
言葉にならない声を出して床に倒れる。
背中には、この大屋敷のカトラリーナイフが、本来心臓のある位置へと刺されていた。
犯人は、……………考えるまでもなく信頼していたメイド姿の少女である。信じられないが、部屋の外からカトラリーナイフを正確に投げ当てたようだった。
その衝撃により、普段なら決して放すことのないナイフとハンカチを落としてしまう、……………口から、背中の傷穴から、服に染み付き始めた血液が床に向って流れてしまう、……………床へと流れた血は領主の血と混ざり合って、……………
この状況だからこそ考えた、……………否、思い出した。「心臓……………過去に襲撃に会ってからその位置を変えている……………今ならまだ反撃も……………!」
一般人であれば、刺された位置が心臓でなくても反撃はせずに他殺となる証拠を遺すかするが、俺は人殺しだ、……………一般人とはかけ離れた存在だ。
これが最期の悪足掻きだ……………
反撃しようと勢いよく振り向いた。その後の動きなど考えてもなかったが、そのまま流れに任せて視点を合わせる。
何度も経験した不意打ち的な襲撃、……………自分を信じるんだ!
― ― ― ―
その瞬間、彼は後悔した、考える暇さえ与えられなかった、……………
ここでメイドの彼女のことについて話そう。彼女は丁度四年前、彼の所に突如として現れた少女だった。その頃から金に灰の混ざったような色の髪を持っていた。彼女は自身を『ラット』と名乗り、弟子にして欲しいと言っていた。いつからか、彼がすべき仕事のサポートをしたり、主婦のように身の回りのことをやっていたり、他の部下達との関係も深まっていたり、彼自身も気が付いた時には傍に居るだけで安心してしまう存在になっていた。
― ― ― ―
振り向いた先、反撃の行動手順を瞬時に考えていたその時、重大な見落としをしていることに気が付いた。その情報一つで脳がパンクしそうになる。そして残り少ない容量で考えた。
「クソが……………クソが!……………馬鹿なのか俺は!何故、相手の手段が一つだけだと思ってたんだ!」
今までの不意打ち的な襲撃は、痛みや麻痺に苦戦しつつも二回目の攻撃が来る前には殺すか気絶させていた。ただ、今回は例外だった。
相手は俺が直々に鍛え上げた世界トップクラスの殺し屋の一人だ。それでも自主練があったとはいえ、彼女の動きのパターン、関節と筋肉の動き方、癖や考えを知り尽くしていたはずだった。
おまけに、今気付いたが筋肉や顔が痩せ細り衰弱している。まともな食事や生活をさせてもらえなかったのが目に見えてわかる。
何故だ、俺を襲った理由がわからない。
何故だ、衰弱しても尚言ってくれなかったのか。
何故だ、今まで彼女について熟知した気になっていたのか。
何故だ、何故だ、何故だ、何故だ……………
疑問と混乱と奇妙な感覚が脳内を駆け巡る。結論が出るまでに掛かった時間は、最初刺されてから約10秒、二度目の襲撃から3秒丁度であった。
二度目の襲撃も別のカトラリーナイフであった。心臓こそ掠った程度であるが、間違いなく今すぐに処置しないと5分以内に死んでしまう大怪我だ。
ついさっきまで領主の血だけで汚れていた部屋に、二種類目の血が混ざり合ってより一層赤黒くなっていく。
身体には二本のカトラリーナイフ、カーペットと黒いローブに染みる大量の血液、まだ隠し武器があるかもしれないメイド姿の彼女……………ここから助かる方法なんて、全知全能の神であっても無理に決まている……………
もう……………何もかもがここで終わる。最期の力を振り絞って彼女の顔を見る。
痩せ細っているが、それでも美しい顔だ。彼女がどんな闇を持っていたとしても、どんな殺意を持って……………
「……………ん?……………待て……………」
― ― ― ―
そこで彼は初めて気が付いた。
殺し屋であるならば当然、〈殺意〉を誰よりも感じ取れなければい。でなければ引退か逮捕か狩られる側になるのが、この界隈の”普通”ってものだ。
しかし、彼女からは殺意の欠片すら感じ取ることが出来なかった。何故か?、
最初の可能性はこれだ。人間である限りナニかを完全に隠し通すなど不可能に近い、殺意ならば猶更だ。世界一の殺し屋の傍で四年近くも出来る訳がないからこれは違う。
次に、刺すその瞬間だけ殺意を出したかの可能性。まぁ、可能性で考えればゼロではないが、現実的に考えて出来るかと言われれば、難しいところだろう。
では、一体どうやって殺意を感じさせることなく、彼を刺すことが出来たのか。
― ― ― ―
「……………そうか……………お前は、無意識のうちに俺を刺すように装置を作っていたんだ……………二度目は一撃で殺せなかったから、刺した……………最初から本命は初撃だったんだな……………」
初撃が本命、部屋の外から投げたと思っていたカトラリーナイフはきっと、装置か何かを使っていたのだろう……………そして、足音を立てずに極限まで殺意を隠し、混乱して振り向いた俺のもう片方の胸に向って刺す…………………………見事だ
「……………はぁっ……………お前はこれで……………満足……………なのか……………ラット。」
掠れた声で彼女に問う。彼女はやはりもう一本カトラリーナイフを持っていた。二本目を刺してもまだ反撃の素振りがあったら刺すつもりだったんだろう。
今の彼女は刺すこともなく、返答することもなく、ただ……………戦意喪失をしてそこに立ち竦んでいた。弱虫だけど勇敢な彼女らしい。
「最期に……………俺から聞いておくことはあるか?……………」
何故、そんなことを聞いたのかがわからない。目の前に居るのは、俺を二回も刺した極悪人なのにだ。
ただ不思議と、怒りも悲しみも感じない。感じたのは”あの時”のような温かさだけだった。
「な……………なんでそんなこと聞いてくるのかが理解できません!……………私は……………私は!師匠を殺そうとしたんですよ!……………なんでそんなに……………」
「理解なんてしなくていい……………お前は、俺の前では一度も人を殺していない!……………だから……………お前は……………」
あれ……………なんて告げようとしたんだっけ?……………
もう意識が……………
血と涙の混ざり合った液体が顔面で乾いていく……………鼓動は鳴りやんだ……………
=大量出血により死亡=
………………………… …………………………
―――「……………ぅ、……………なんだこれ、気持ち悪ぃ……………」
彼は強烈な吐き気に苛まれ目が覚めた。
気が付けば、そこは部屋の中心だった。ベットのような形のモノ、山積みの本のような形のモノ、地球儀のような形のモノ……………
そこで気付いてしまった、ある意味、気付かなかった方が良かったかもしれない。
「一体……………何があって…………………………えっ……………き、傷が……………ない、」
彼の記憶では、確かに大屋敷の領主の部屋でラットに殺され、意識が堕ちてその先は分からないといった感じだ。
そして傷だけでなく、穴の開いていたボロボロの黒いローブも新品のように整えられていた。
〈死後〉の世界と考えてしまえばまだ納得のできる話だ。
だが一つ、これでは説明の難しいことがあった。
”この今居る部屋”と”領主の部屋”が瓜二つであった。家具の配置はもちろん、温度・湿度、血の跡まで瓜二つであった。ただ一つ、明りが一切ないことを除いて。
「感覚で大体わかる……………スイッチを押してもつかないのだろう。違和感はあるが、この部屋だけ”独立”したような感覚でいいか」
彼自身、何故こんなにも冷静でいられるのかと疑問はあったが、一度〈死〉の感覚を知ったからなのかこれ以上のことは無いと思っているのかもしれない。
「あとは……………こっちに扉があったはず……………」
ラットから貰っていた家具の配置まで完璧に書かれていた図面を丸暗記した彼には、真っ暗闇でも間違わず扉に向った……………一歩目……………二歩目……………三歩目……………四歩目、通り過ぎるタイミングで視界の端にナニかが映った気がした……………
「なんだ……………今の…………………………は…………………………」
――それは恐怖だ。
――それは絶望だ。
――それは見ては駄目だ。
――見るな。見ルな。見ルナ……………
彼の脳が本能的に拒絶反応を起こす。
――見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ……………
ゆっくりと振り返った。
――見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ。見ルナ…………………………
しかし、身体はエラーと判断したようだ。彼の後ろにあったはずの一面窓が……………
【彼ノ視界二入ッタ】
無数の目が……………彼を集中して見ていた。目玉だけならマシだったかもしれない。
人間の右目の部分だけを四角形に切り取り、それがベランダを囲うように密集していた。
恐怖で一歩下がると、一斉に視線を合わせようと動き出す。
気付かなければよかったのに……………それなのに彼の脳が勝手に新たな可能性を、勝手に考えてしまった。
【その無数の目は、彼が今まで殺してきた人間のものと同じであった】
間違えているという可能性は、彼と関わりの深い人物の目を見つけたことで直ぐに消えてしまった。恐ろしいことにその数……………彼の世界の人口の約一割……………何億何万といった目がただ一人の目を見ていたのだ。
そして幻聴が聞こえる。言葉に出来ない罵詈雑言が永遠に響く……………
何とも悪趣味で、非情で、残酷な、同情の欠片もない【プレゼント】であった。
………………………… …………………………
「急いで……………もっと早く!扉を!……………」
ドアノブを回し、勢いよく扉を開けた。
その瞬間目の前が、部屋全体が、その外まで、純白に染め上げられることになった。




