「もう二度とギャンブルはしない!」と泣きながら誓った婚約者が、カジノで遊んでいた
「まったく、オリヴァーはどこで何をやってるのかしら」
夜会の会場のロビーで私は、婚約者のオリヴァーをかれこれ一時間以上待っていた。
夜会はとっくに始まっており、ロビーには私と、私の専属執事であるセバスしかいない。
今日の夜会は国王陛下ご夫妻もご出席なさる大事なものだから、絶対に遅刻はしないようにキツく言っておいたのに。
「お嬢様、ご到着なさったようです」
「――!」
セバスがモノクルをクイと上げながら私の後方に目線を向けたので振り返ると、汗だくのオリヴァーが息を切らせながらこちらにドタバタと走って来るのが見えた。
ふぅ……。
「遅いじゃない。あなたのせいでギャツビー家は大恥をかくことになったわ。この責任はどう取るつもりなの、オリヴァー?」
オリヴァーは我がギャツビー家に婿に来る立場なので、オリヴァーの粗相はギャツビー家の粗相と見なされてしまう。
どうにも昔からオリヴァーは、その辺の意識が低い。
「ご、ごめんよエレイン! ……あの、実は、ここに来る途中で、陣痛に苦しんでる妊婦さんを見掛けてさ。びょ、病院に連れて行ったら、こんな時間になってしまったんだよ」
「へえ、妊婦さんをねえ」
オリヴァーはこれでもかと目を泳がせている。
これは……。
「――!」
その時だった。
私の鼻腔を、煙草の匂いがくすぐった。
その匂いは、オリヴァーから漂ってくるものだった。
「……オリヴァー、あなた、またカジノに行っていたのね?」
「っ!!?」
途端、オリヴァーはビクリと全身を震わせた。
オリヴァーは煙草を吸わないし、お酒も飲まない。
そんなオリヴァーが行く煙草が充満している場所といえば、カジノくらいしかないのだ。
……まったく、この男は。
「いったいどういう神経をしているの? 去年あれだけの大騒ぎを起こしておいて、性懲りもなくまた行くなんて。あなたには学習能力というものがないの?」
去年カジノに大ハマりしてしまったオリヴァーは、600万サクルもの借金を抱えてしまい、その借金は紆余曲折の末ギャツビー家が肩代わりしたのだ。
その際オリヴァーは、土下座しながら二度とギャンブルはしないと私たちに誓ったというのに……。
「いや、これは、その……」
オリヴァーがダラダラと冷や汗を流す。
「しかも妊婦さんを助けたなんて噓までついて。私は噓をつかれるのが一番嫌いだって、いつも言ってるわよね?」
「ゴ、ゴメンッ!!」
オリヴァーはその場で頭を床に擦りつけるくらい、深く土下座した。
「今日はその、ほんのちょっと魔が差してしまっただけなんだッ! 今度こそ、今度こそもう二度とギャンブルはしないと神に誓うッ! だから、今回だけはどうか大目に見てはくれないだろうかッ!?」
オリヴァーの顔の辺りの床が、見る見るうちに濡れていく。
オリヴァーが泣いているのだろう。
ふぅん。
「でも、前回もまったく同じことを言って、こうして平然と約束を破ったじゃない。そんなあなたのことを、信用しろってほうが無理な話だとは思わない?」
「そ、それは……。でも、今回こそは本当に本気なんだ! もし次に僕が約束を破ったら、煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わないッ! 婚約も破棄してくれていい! だからどうか今回だけは許してくれ! この通りだッ!」
顔を上げたオリヴァーは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「なるほど、煮るなり焼くなりねえ。――わかったわ。今回だけは特別に許してあげる」
「ほ、本当かい!?」
オリヴァーの顔がパアッと晴れた。
「セバスも、今のオリヴァーの言葉、聞いたわよね?」
「はい、しかと」
セバスがモノクルをクイと上げる。
よし。
「さあ、さっさと立ちなさい、オリヴァー。そしてトイレでその汚い顔を洗ってらっしゃい。急ぐのよ」
「う、うん!」
嬉々とトイレに駆けて行くオリヴァーの背中を、私は無言で眺めていた。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
先日の夜会から数日。
私が自室で本を読んでいると、扉の向こうからノック音と共に、セバスの声が響いてきた。
お父様が、私を……。
やれやれ、どうせまたアレでしょうね。
「今行くわ」
私は本に栞を挟み、重い腰を上げた。
「エレイン、最近隣のニャッポリート領に新しく大型ホテルが建ったらしい。視察してきてくれ」
私がセバスと共にお父様の私室に入るなり、お父様はそう言った。
やっぱりか。
前置きを挟まず単刀直入に要件だけを伝えてくるところは、実に合理主義のお父様らしい。
お父様は近郊に新しいホテルが建つたび、こうして私に視察という名の偵察を命じてくるのだ。
「承知いたしました。近日中に行ってまいります」
「うむ、報告を待っているぞ」
もう要件は済んだとばかりに、手元の書類に視線を戻すお父様。
「失礼いたします」
私も特にこれ以上お父様と話すことはないので、さっさと部屋から出る。
「セバス、馬車を手配しておいて」
「仰せのままに」
お父様の私室から出るなりセバスにそう命じると、セバスは会釈しながらモノクルをクイと上げた。
「かなりの費用を掛けているようですね、お嬢様」
「そうね」
そしてその数日後。
馬車で三時間掛けて例のホテルにやって来た私とセバス。
ロビーに入るなり目の前に現れたのは、世界各国から取り寄せたと思われる絵画や壺といった、色とりどりの装飾品の数々だった。
あの一際大きな壺なんて、値段は1000万サクルはくだらないだろう。
床にも一面エクフラ産のブランド物のカーペットが敷かれているし、セバスの言う通り、相当なコストを掛けて建てられたホテルみたいね。
だが、どれもこれも、とにかく高価なものを掻き集めて適当に置いたようにしか見えず、ハッキリ言って気品が感じられない。
大方成金の下級貴族が建てたホテルなのだろう。
「これはこれは、ご宿泊のお客様でしょうか?」
いやらしい笑顔を浮かべたベルボーイが、私たちに声を掛けてきた。
「いいえ、宿泊はしないのだけれど、ちょっと遊ばせてもらおうと思って」
「――!」
途端、ベルボーイの目が、獲物を見付けた肉食獣みたいにギラリと光った。
「それはそれは、ご案内いたします」
軽やかに進むベルボーイの後を、私たちはついて行った。
「どうぞ、ごゆるりと」
「ありがとう」
そうしてやって来たのは、このホテル内にある大型カジノ。
我が国のホテルには、大抵こうした大型カジノが入っている。
カジノこそが、ホテルの主な収入源なのだ。
それこそカジノに大金を落としてくれるVIPには、宿泊費や交通費をホテル側が負担して、ホテルに招待するなんてこともよくある話である。
カジノの天井にはギラギラと派手なミラーボールが回転しており、布面積が非常に少ないバニーガールたちが給仕をしている。
そして客は煙草をプカプカ吹かせながら、ある者は大量のチップを手に入れ恍惚とし、またある者は全財産を失って嗚咽するといった、人間社会の縮図とも言うべき光景が繰り広げられていた。
ロビー同様、どうやらこのカジノもあまり品は良いとは言えないようね。
「何だよぉおもおおおまたかよぉおぉぉおおおお」
「――!」
その時だった。
聞き慣れた耳障りな声が、私の鼓膜を震わせた。
この声は――。
「……オリヴァー、あなたここで何をやっているの?」
「っ!!? エ、エレインッ!? なんで君がここにッ!?」
そこにいたのは案の定、オリヴァーだった。
オリヴァーはルーレットの席に座って、頭を搔き毟っていた。
「それはこっちの台詞よ。神に誓って二度とギャンブルはしないと言っていたあなたが、何故ここにいるのかしら? 納得いくような説明をしてくれる?」
「あ、これは、その……」
オリヴァーはダラダラと冷や汗を流しながら、これでもかと目を泳がせている。
やれやれ、つくづく呆れた男ね。
「おや、お客様はこちらのお客様のお連れ様でしょうか?」
チョビ髭を生やしたルーレットのディーラーが、ニヤニヤしながら私に声を掛けてきた。
こんな男の連れと思われるのは、甚だ心外だけれど。
「これはちょうどよかった。運の悪いことにこちらのお客様は、現在大変負けが込んでおりまして。既に当店から、700万サクルも借り入れているのです。もしよろしければ、お客様のほうでご負担いただければ幸いでございます」
「――!」
700万サクルも、ですって……?
思わずオリヴァーをギロリと睨むと。
「ち、違うんだよこれは!? 次こそは絶対勝てるからッ! まだ一時的に金を預けてるに過ぎないんだよ! だ、だからエレイン、少しだけでいいから、お金を貸してくれないかな?」
「……」
この男は……。
何度私を呆れさせれば気が済むのかしら。
「なるほど、よくわかったわ」
「ああ、ありがとう、エレイン!」
「これを1万サクルチップと両替してくれるかしら?」
「エ、エレイン……?」
私はオリヴァーを無視して、1万サクル紙幣をチョビ髭ディーラーに差し出した。
「おお! お客様も遊んでいかれるのですね? どうぞどうぞ、お好きなところにお賭けください」
チョビ髭ディーラーは私から1万サクルを受け取ると、1万サクル用のチップを1枚差し出してきた。
「ここにするわ」
そして私はチップを、36の目に1目賭けした。
このカジノのルーレットは0~36の数字で構成されているオーソドックスなもので、1目賭けで当たった場合の配当は36倍。
つまりこれで当たれば、36万サクルになって返ってくることになる。
「おお! いきなり1目賭けとは。実に豪快ですね。では、お客様の運命や如何に」
チョビ髭ディーラーはホイールを回転させると、慣れた手つきでホイールにボールを投げ入れた。
「さあさあ! 今ならまだ賭け目の変更は可能ですよ! いかがなさいますか?」
チョビ髭ディーラーは下卑た笑みを浮かべる。
ふむ。
「セバス」
「はい」
私がセバスの名を呼ぶと、セバスはモノクルをクイと上げながら、私にとあることを耳打ちした。
なるほどね。
「やっぱりここに変えるわ」
「――!?」
私はチップを13の目に移動させた。
この瞬間、チョビ髭ディーラーの顔がサッと青ざめた。
「ノ、ノーモアベット! これ以降の賭け目の変更はできません。さあ、果たして結果は!?」
チョビ髭ディーラーが大袈裟に客を煽る。
斯くしてボールが落ちたのは――13の目だった。
「「「オオオオオ!!!」」」
ピンポイントで出目を私が当てたことで、ギャラリーたちがワッと湧いた。
「ぐ、ぐぬぬ……!」
一方チョビ髭ディーラーは、眉間に皺を寄せながら奥歯を噛みしめた。
あらあら、お客様の前でそんな顔をしてしまうのは、ディーラー失格よ?
「やったねエレイン! やっぱエレインは凄いや!」
オリヴァーがキラキラした瞳で私を見てくるが、無視する。
「お、お見事ですお客様。まだ遊んでいかれますよね? 今度はどこに賭けられますか?」
チョビ髭ディーラーが、36万サクル分のチップを差し出しながら訊いてくる。
「そうね、じゃあまたここにするわ」
「――!!」
私はチップを全額、36の目に1目賭けした。
「ま、また、でございますか……」
「ええ、何か問題でもあるかしら?」
「い、いえ、滅相もございません。……では、お客様の運命や如何に」
チョビ髭ディーラーは軽くふうと息を吐いてからおもむろにホイールを回転させると、真剣な表情でボールを投げ入れた。
これでもしまた私が出目を当てたら、配当金は実に1296万サクル。
そりゃ緊張もするってものよね。
「さあさあ! 今ならまだ賭け目の変更は可能ですよ! いかがなさいますか!?」
今度のチョビ髭ディーラーは、一切笑っていない。
1296万サクルを持っていかれるか否かという分水嶺なのだから、さもありなんといったところだ。
「セバス」
「はい」
例によって私がセバスの名を呼ぶと、セバスはまたモノクルをクイと上げながら、私に耳打ちをした。
ふむふむ。
「ここに変えるわ」
「――!?!?」
私はチップを7の目に移動させた。
するとチョビ髭ディーラーの顔が、絶望で染まった――。
「ノ、ノノノノーモアベットッ! これ以降の賭け目の変更はできません! は、果たして結果はッ!?」
祈るような顔で、チョビ髭ディーラーがボールの行方を凝視する。
――斯くしてボールが落ちたのは――7の目だった。
「「「わあああああああああああ!!!!!!」」」
ギャラリーたちから大歓声が上がった。
ふふ、流石にここまで劇的な展開は、滅多にお目にかかれないものね。
「あ、有り得ない……。どうして……」
チョビ髭ディーラーは茫然自失している。
皮肉なことに、あなたの腕が優秀すぎたことが、却ってあだとなったわね。
一流のディーラーは、自在に好きな目にボールを入れることができる。
そして我がギャツビー家は、代々カジノ経営で財を成してきた家。
我が家で働くセバスも一流のディーラーなので、チョビ髭ディーラーの投げ入れたボールの勢いを見れば、出目を三択までは絞れる。
だからセバスは私に、出目候補を耳打ちしてくれていたのだ。
あとは私の仕事。
物心ついた時からギャンブルの世界に身を置いていた私は、ギャンブラーの心理を読み解く力に長けている。
セバスから耳打ちされた三択のうち、チョビ髭ディーラーが選びそうな出目を予想するだけの簡単なお仕事。
一回目のゲームの時は、出目候補は6と27と13だった。
チョビ髭ディーラーの心理的には、私の射幸心を煽りたかっただろうから、私が選んだ36の隣である、13を選ぶだろうと予想した。
結果はビンゴ。
こうなったらもうここから先は消化試合。
二回目のゲームの出目候補は18と29と7。
今度は何としても当てさせるわけにはいかなかったチョビ髭ディーラーは、36と対角にある7を選ぶはず。
これも当然的中。
やれやれ、いくら技術が一流でも、心理がここまで読みやすかったら話にならないわね。
この程度のディーラーを雇ってるようじゃ、とてもじゃないけど我がギャツビー家の脅威になるとは思えないわ。
お父様には、捨て置いて問題なしと報告しておきましょう。
「やったああああ!!! これで僕の借金もチャラだね! 本当にありがとう、エレイン!」
オリヴァーが子どもみたいにはしゃぎながら、こちらに駆け寄って来る。
「いや、これは私が稼いだお金だから、赤の他人であるあなたには、1サクルたりともあげないけど?」
「…………は?」
オリヴァーは私の言葉が理解できないのか、ポカンとした。
「ま、またまたぁ、こんな時に冗談はよしてくれよエレイン。僕たちは婚約者じゃないか。婚約者同士は、助け合うのが当然だろ?」
「いいえ、もうあなたとは、婚約者でも何でもないわ。あなたが言ったんじゃない。『もし次に約束を破ったら、婚約を破棄してくれていい』って。セバスも聞いてたわよね?」
「はい、しかと」
「…………あ」
オリヴァーの顔が絶望で染まった。
「あなたはこうも言っていたわ。『煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わない』とね。だから私は好きにさせてもらうわ。――この男の借金は、あくまで本人がこの身に代えてでも払います。どうぞお好きになさって」
「そ、そんなッ!? エレインッ!! ヒッ!?」
屈強な黒服二人が、左右からオリヴァーをがしりと捕まえた。
「ま、待ってくれッ!! お願いだから、今回だけは助けてくれよ、エレイイイイインッッ!!!!」
涙と鼻水を垂れ流しながら、オリヴァーは裏に連れて行かれた。
やれやれ、これでやっと子守から解放されたわ。
オリヴァーのことだから、放っておけばいずれまたコッソリカジノに行くとは思っていたけれど、案の定だったわね。
バカだから傀儡にしやすいという理由だけで、合理主義のお父様からあてがわれた婚約者だったけれど、世話をするこっちの身にもなってもらいたいものだわ。
でも、今回のことで流石にお父様もオリヴァーに見切りをつけるでしょう。
我が家の大事な財産を食い潰されたら堪らないものね。
――さようならオリヴァー。
色んな意味で、もう二度とあなたと会うことはないでしょう――。
「さあ、用事は済んだから、帰るわよセバス」
「はい、お嬢様」
私とセバスはカジノを後にした――。
「すっかり遅くなっちゃったわね」
あれからカジノで稼いだお金で、服やらアクセサリーやらを買い漁っていたら、辺りはいつの間にか夜の帳に包まれていた。
帰りの馬車の中でセバスと二人。
私は窓の外の怪しく光る月をぼんやりと見上げる。
「まあ、お嬢様は見事視察の役目を果たされたのですから、旦那様も大目に見てくださるとは存じますよ」
セバスがニッコリ微笑みながら、モノクルをクイと上げる。
「それもそうね。――ところでセバス」
「はい」
「こうなった以上、今後はあなたに私の婚約者になってもらうわ。お父様には私から言っておくから」
「仰せのままに」
セバスは顔色一つ変えず、私に頭を下げた。
セバスのことだ。
私の言おうとしていたことなどわかっていたのだろう。
「……今夜は月が綺麗ね、セバス」
「左様でございますね、お嬢様」
私は暫し、馬車の心地良い揺れに身を任せた――。
拙作、『12歳の侯爵令息からプロポーズされたので、諦めさせるために到底達成できない条件を3つも出したら、6年後全部達成してきた!?』がcomic スピラ様より2025年10月16日に発売された『一途に溺愛されて、幸せを掴み取ってみせますわ!異世界アンソロジーコミック 11巻』に収録されています。
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