第1話:風のない朝
パンが、少し硬かった。
青年は、それを確かめるように一口ずつ噛みしめていた。
焚き火は燃えている。煙は空へまっすぐ昇っていく。
でも、風がない。
「……今日も、静かだな」
誰に向けた言葉でもなかった。
少し離れた席で、少女がこちらをちらりと見た。
声をかけるでもなく、ただ視線だけがそっと触れる。
この村では、それが普通だった。
誰の名前も、過去も、聞かない。
一緒に食べて、火を囲んで、それだけで十分だった。
青年の腰には剣がある。
鞘の擦れた革と、手に馴染んだ柄。
それだけが、彼が“どこか”で生きてきた証だった。
焚き火の火が、ぱちりと音を立てた。
「……ねえ」
少女が声をかけてきた。
「あたし、焚き火って好きなんだ」
青年は何も言わず、火を見つめる。
「見てると、あったかくなるし……心もちょっと楽になる気がしてさ」
少し間を置いて、彼女はぽつりとつぶやいた。
「この火が、誰かの夜を照らしますように――って、いつも思うの」
焚き火の光が、ゆっくり揺れた。
青年は、ほんの少しだけ目を細めた。
その意味を、誰にも語らないまま。
「……この火、だれかの夜を照らすといいな」
読んでくれて、ありがとう。
この火が、誰かの夜を照らしますように。