6/23まとめ
【恋でした。】
ぐしぐしと目を擦る。これは目にゴミが入ったからだ。もしくは急に花粉症を発症したのだ。決して、決して、目の前にいる男のせいではない。
「泣いてるの?」
「泣いてないっ!」
泣いてない。断じて泣いていない。そう言っているのに目の前の男は泣いているのかと声をかけてくる。違うと言っているのにハンカチまで差し出してくる。なんでそんな準備がいいんだ。そういうところだ。そういうところだぞ。
「……本当に?」
「うん。結婚しよう」
それは素敵な恋だった。それが今日から、いやきっともう少し前から、愛に変わっていたんだ。
【SとM】
「ねえ、何にする?」
「んー…、もうちょい考えさせて」
「おーけー」
きっと日本のどこにでもあるファストフード店。そんな中で俺たちはありきたりな会話をしていた。先に注文してくると席を立った君を止めずに俺は自分は何を頼もうかスマホのメニュー画面を見ていた。
「へぇ、ドリンクMが今ならSサイズと同じ金額でサイズ変更可能か……」
普段だったら流しているようなお知らせでふと親指を止めた。
「おまたせー。あ、ドリンクMにするの?」
「ん、その予定」
ひょいと画面を覗き込んできた君に文句は言わず(言っても直らないのは百も承知だからだ)、逆にお知らせを見せてやる。
「しまったな~それにすればよかった」
「はいはい。お前はいつもそう」
メニューを見てすぐに自分の食べたいものを決めるクセに、俺のを見ていいなーとかちょうだいとか言い出すのが常なのだ。
「ま、いいか。いってらっしゃい」
「へいへい」
俺は見送られつつカウンターに向かう。
別にSサイズのドリンクでも良かったんだ。そんなに喉も渇いてないし。でも、もう少し長く君と居られるなら。しかもそれが無料だなんて。選ばないワケがないだろう?
「いらっしゃいませ!」
ふと零れた笑みをそのまま店員さんに向け、俺はスマホのお知らせ画面を差し出した。
【脈】
とく、とく、と。
君の首にかけた手の平から、自分の指の先に君の脈打つ血管を感じた。薄皮一枚で遮られた君と僕。この数ミリの隔たりを無くしてしまえたらどれほど幸せだろうか。でもそれはもう君と僕じゃなくなってしまう気がする。それでもそんな想像をしてぞくぞくと身を震わせる。今、全く比喩ではなく僕の手の平の上に君の命が乗っているのだから。君は全く気付くことなくすやすやと眠りについている。無防備な姿を僕に晒している。その状態にも背筋が泡立つような快感を覚えた。もし今この手に力を入れてしまったら。君は何が起こったかも分からずに……?ああ、そんなのたまらない。僕の手の中に永遠に君を閉じ込めてしまえるだなんて。でも、駄目だ。僕は君が動かなくなってしまっても愛せる自信はあるけれども、今の動いている君も大好きなんだ。だから。
「……おはよう、起きた?」
「ん、何してたの?」
「寝顔見てた」
「や、やめてよ。恥ずかしい」
「ふふふ」
この欲はしばらくは胸の内に秘めておこう。しばらくは、ね?
【逸脱した愛】
「こんな関係は終わりにしよう」
そう言われて目の前が真っ暗になった。なんで、どうして。そんな言葉ばかりが脳裏に浮かんでは消えていく。
「君のためにならないから」
俺のため?俺のためって何?本当に俺のためを思うんだったら、今すぐさっきの言葉を取り消してよ。嘘だよごめんって言って抱きしめてよ。
「泣かないで」
でも俺に泣かないでなんて言う君は言葉を取り消しも訂正もしない。ただ俺がボロボロと涙を零すのを優しくハンカチで拭ってくれるだけ。
「これが二人にとって一番良い選択なんだよ」
「なんでそんなこと言うの?」
「……未来がない俺たちの関係は、おかしいんだよ」
【期待】
こうなることは予想していなかった。いや、少しだけ考えたかもしれない。こんな状況に転がるとは全く思っていなかった。まさに青天の霹靂、とでも言えばいいだろうか。うん…?でも少し考えてたら霹靂にはならないんじゃないか?いやいや、そんなことないだろう。うん。だってそもそもこうなるとは思ってもなかったんだし。
「そろそろこっち見てくれないかな?」
「……いや、です」
「なんで敬語?」
キスしそうな距離に相手の顔がある。こんな、誰が来るかも分からないところで端から見たらキスしてるようにしか見えない状態で、動かないとか。
「見て」
「う」
「……キス、期待した?」
そんなものしていない。していないっていうのに、してただろって決めつけて。そんな強引に迫られたら心臓がいつもよりちょっと、ほんのちょっとだけ早く動いてしまうじゃないか。ほんのちょっとだけだけど。
「期待したでしょ」
「してない」
ちゅ、と唇と唇が触れた。え、あれ、これって。まさか。
「~~っ!」
「はは、変な顔」
おかしそうに笑う目の前の人を半分突き飛ばすようにして押しのけた。
これは、流石に、期待していない!
【シャンプーの香り】
ふわりと。季節外れな香りがした、気がした。
その出所を無意識のうちに探していたのだろう、ウロウロと動いていた目がそれを見つけ出した。
艶やかな黒髪をサラリと耳にかけ、本を読む学生。その人物から季節外れの花の香りがする。
この香りは一体なんだったっけな。そう思っていると学生が目を上げた。ぱちりと目が合う。
「あの、何か?」
「いや、花の香りがして」
「花……?ああ、シャンプーを変えたからですかね」
シャンプーの香りだったのか。それならば季節が違う花の香りがしてもおかしくはない。しかしどんな花だったか。自分には皆目見当もつかないままだった。答えを知っている人物が目の前にいるのだから聞いてみるのも悪くないだろう。しかし。
「すいません、用事があるのでこれで」
「ああ、すいません」
その花の香りをまとった学生はあっという間にいなくなってしまった。ただ、その芳しい香りは残したままに。
「結局あれはなんの匂いだったんだい」
「シャンプーですか?」
そこからいくらか時間が過ぎ、自分とその学生は恋仲になった。今、目の前にいる恋人からはその花の匂いは感じない。シャンプーを変えたのだろう。それはそうだ。今は自分と同棲していて同じシャンプーを使っているのだから。
「あの時は貴方の目に留まりたい一心で……香りが強いかもしれないと思いながらもキンモクセイのシャンプーを使ったんですよ」
「キンモクセイ……」
秋の訪れを感じさせるあの花。あの匂いだったのか。
「あの花の花言葉をご存じですか」
「いや」
「謙虚、謙遜など様々ですが……中でもいいなと思っているのは陶酔と初恋ですね」
陶酔。確かにキンモクセイの香りを嗅ぐとそれに似た心地になるのはよく分かる。しかし初恋の方は何故。
「……それは、貴方が一番よく知っているでしょう。悪い人」
【人形】
会った当初から君は変わった。
前まではずっと嫌がっていたというのに、今では大人しく僕の言うことを聞いて座っている。
表情は少なくなり、言葉をあまり発することもなくなった。でもそれでも構わない。僕が欲しかったのは今の君。
「愛してるよ、僕のお人形さん」
【爪の手入れ】
パチンパチンと切った爪を捨て、ヤスリで念入りに磨く。
大袈裟だと君は笑うだろうか。それとも恥ずかしがるだろうか。でも君に触れるためならこれくらい手間でもなんでもない。君が痛がる姿は見たくないんだ。自分のせいで君が傷ついてしまうくらいなら自分は自分自身の指を切り落としてもいいくらいなんだけれども。……こんなことを思っているとまた怒られてしまうな。
「お待たせ」
「っ……」
なんで顔が赤いんだろう?君に触れる前はいつもこうやって爪の手入れをしているっていうのに。
【パフェ】
「君の事、好きだよ」
「君のそういうとこ大っ嫌い!」
好きも嫌いも紙一重で、まるでわたしの思いは天秤みたいにあっちにいったりこっちにいったりする。
甘酸っぱいいちごみたいな感情も苦いチョコレートみたいな想いも。パフェみたいに積み重なった感情は全部君への愛。
「だから……ね?」
わたしのことが好きって言うならさ?
綺麗に丸ごとぜぇんぶ食べきってよ。
【マフラー】
「うぅ、さむっ……」
今までの陽気を考えると今日の寒さはありえないほどで。夏の終わりを告げる涼しい風は今や冬の訪れを嫌でも感じさせる凍てつく風に変わっていた。……いや、雪が降ったりはしてないし、時期的にもまだ全然秋と言ってもいいんだろうけど、それにしたって寒すぎる。
「おはよ~ってあれ。随分寒そうだね」
友人が声をかけてくる。そう言う向こうは随分と重装備だ。
「マフラーはまだ早いだろ……」
「そんなことないよ?ほら」
するっと俺の首元に巻かれたマフラー。さっきまで吹き付けてきていた風が和らいでいく。
「ね、あったかいでしょ」
「……ん」
ふんわりと香るのはこいつの匂い。いや、変な意味じゃない。変な意味じゃ。でも、落ち着く。
「さんきゅ」
「うわ、君がお礼言うとか明日は吹雪かな~」
「てめぇな……」