婚約者が男になったんだが……。
日のあまり当たらない庭の隅っこにある倉庫。
扉を閉めれば薄暗くなる。そんな場所に若い男女が2人っきり。
さらに言えばこの2人は婚約者同士。
当然、何もないことはなく……。
「なんでお前の家の倉庫の整理なんかしなくちゃいけねーんだよ!!」
「仕方ないよ。既に報酬をもらってるわけだし。」
大声で叫ぶ男、身長は165センチとやや小さめ。
黒く短い髪が鶏冠のように逆立ちをしている。瞳の色は茶色、特筆すべきことは特にない至って普通の色だ。
体型はやや細め。お世辞にも細マッチョだというほど筋肉はついていないが、かといって骨と皮だけかと言われるとそれも違う。
中肉中背というべきであろう、まさにモブ。
名前はダコタという。
モブっぽい見た目に反して、まだ学生の立場でありながら婚約者がいる。
まるでラブコメの主人公みたいだ。
それに対して、宥めるように淡々と言葉を返す女。
サラサラとした長い髪は雪のように白く艶やかである。海のように透き通った青い瞳を持つ。
背はダコタよりも1回り小さい150センチ程度。小柄の体にはピッタリである薄い胸、引き締まった小尻。
美少女と呼んでも違和感のない女の名前はカイ。
なんとこの2人、親同士が決めた婚約者だという。
まるでラブコメみたいな設定である。
「……だってよ。マジフレ社の最新型杖だぜ。お小遣いじゃ手が出せねーって。」
「ダコタ、杖なんてたくさん持ってるよね。使えたらなんでもいいよくない?」
カイは少し古びた杖を振った。荷物が宙に浮いてゆっくりと床に置かれる。
ダコタはその様子を眺めて小さくため息をつく。
「はぁー……。わかってないな、持ちやすいように加工された滑り止め防止の意味もあるゴツゴツとした持ち手。それでいて本来の杖であることを忘れないように荒削りされた先端。所々、木目が見えていてまさに職人技と言っても過言がない!!」
ダコタは立ち上がりベラベラと話し出した。
作業をしようとするカイのことはお構いなく杖を取り出す。熱心に指先で杖の削られた部分を指差して得意げに語る。
カイは手慣れているのであろう適当にダコタの言葉を流してうんうんと頷いていた。
「あーあ、せめてお前が男ならな。このかっこよさ、分かってくれただろ。」
「……そうだね。」
しゃがみ込み、荷物の中身を取り出して床に陳列する。
そしていらないと判断したモノを魔法を使って倉庫の外へと移動した。
「それにお前と結婚しなくて済むわけだし、今頃彼女だっていただろうしな。」
「はぁ?何それ、ボクだってダコタと結婚したいわけじゃないんだけど。」
ダコタの言葉に対して、カイは立ち上がった。
冷たい目つきを向ける。手に持っていた壺を力強く握りしめた。
わずかに持ち手にはヒビが入っていく。
「ボクだってイチャイチャするならダコタなんかよりも可愛い女の子とイチャイチャするほうがいいよ!!」
カイは息を荒々しく吐きだした。
目に涙を溜め、手に持っていた壺にポツリと垂れ落ちていく。
「家を継ぐのは男のみって決まりがあるから仕方なくダコタと結婚するのであって……ボクだって出来ることなら男になりたかったさ。」
壺は涙に反応をして青く輝き出した。
2人の脳内にくぐもった声が聞こえてくる。
『その願い、叶えてやろう。』
壺の中から魔人だろうか、人の姿をした何かが飛び出してきた。
ダコタは思わず腰を抜かす。壺の魔人はカイを見下ろした。
魔人の指先から光が放たれるとカイの身体を包み込んだ。
ダコタは何とかしようと杖を振るうも……。
起こした竜巻は光にぶつかって見る影もなく消滅した。
炎の玉を召喚して魔人にぶつけるもまったく効果はなく吸収されていく。
「お、おいっ。カイに何をした。」
『案ずるな。願いを叶えただけだ。』
カイを包み込んでいた光はだんだんと消えていく。
消えた光の中からは白髪の見知らぬ男が存在していた。
背はダコタよりも1回り以上大きくて175センチ程。髪は短く切られて肩にかかる程度である。
瞳の色はカイと同じ透き通った青色である。
「……お、お前は誰だ。」
ダコタの声が震える。
目を丸くして、ゆっくりと後ずさる。
ポカーンと開いた口を押えるようにダコタは自身の唇に触れた。
「何ふざけてるの、カイだよ。ボクは……ってあれ?」
カイは自身の喉元にゆっくりと触れた。
違和感の元を探るかのように手で確認する。指先に硬いモノが当たる。
顔がみるみるうちに青ざめていくのがわかる。
まずは胸をペタペタと触っていく。あまり違和感に気付けなかったのか、それとも現実を認めたくないのか自身の股へと手を伸ばした。
「い、いやーっ!!!!!!」
カイの大きな声が倉庫の中に響き渡る。
ただその声は普段、ダコタが聞きなれている声とは違いわずかに太く聞き覚えのない男の声であった。
『願いは叶えた。』
魔人はそう彼ら2人の脳内に声をかける。
ダコタが何か文句を言う暇もなく、にこやかな笑みを浮かべるとそのまま消えてしまった。
動揺するダコタとカイ、2人を倉庫に残したまま。
「落ち着いたか。」
少しの間を空けて、ダコタはカイに声をかける。
カイも泣くのをやめて隣にいるダコタの様子を見つめた。
「うん。……それにしても本当に男になっちゃうなんて。」
「悪い、俺が変なこと言い出したからだよな。」
弱々しい声を出すカイ。
少しだけ遠くを見つめている。
ダコタは耐えきれず頭を下げた。
眉を斜めに下げている。
「いいよ。別に、気にしてないし。男になりたかったのは本当だしね、これでダコタも好きに恋愛できるだろうし良かったんじゃない。」
「カイが問題ないならいいんだけどよ。とりあえず事情を周りに話さないとな。手伝うよ。」
「……うん。」
ダコタは立ち上がり、手を差し伸べる。
カイはしっかりと握りしめて倉庫から去るのであった。
翌日、2人は学校へと向かった。
隠していても仕方ない、どうやらカイは現状を受け入れたようだ。
事前の根回しは万全。
あの後、学校に連絡して新たにカイは男子生徒として通うこととなった。
職員室から出ると事前に聞いていたのかカイを回り込む友達。
「えー、思ったよりイケメンなんだけどー。」
「マジ、それな。」
「そんなことないよ。褒められると照れくさいな。」
カイは頬っぺたを指先でひっかいた。
口を僅かに開き、ほんのりとした笑みを浮かべる。
ダコタは自分よりも1回り以上大きくなったカイの背中を見つめる。
無意識に口を動かすも、言葉をかけることはなく。
……小さく息を吐きだした。
カイ達の姿が見えなくなった頃、ダコタはポツリと言葉を漏らした。
「ま、あの様子なら心配はいらないだろうな。」
誰かの耳に届くことなく。
ダコタは言葉を胸にしまい込んで、チャイムが鳴り響く前に教室へと戻っていくのであった。
何事もないまま時間は過ぎていく。
授業は淡々と進んでいく。まるで最初からカイが男であったかのように。
違いがあるとすれば、女子生徒はキャーキャーと黄色い声を発している。
男子生徒は少しばかり元気がない。
それもそうだろう、眠たくなるような授業中。
クラスの中にいる美少女が居なくなってはモチベーションが落ちる。
だけど、変わらない日常が続いていくのは……。
ダコタの婚約者だったからだろう。
お昼休み、何故かたくさんのオカズがダコタの元へと集まってきた。
ダコタは苦笑いを浮かべる。
だけどありがたく頂戴するのであった。
なんて平和的な日だ。
そう思っていたのも束の間、2人に対して事件が発生した。
お昼休みも終わった次の時間。
日に当たってポカポカと眠気を噛みしめたくなるような午後。
こんな日は机の上で居眠りをするのに限る。
だがしかし、そんな日に限って授業内容は体育である。
つまり着替えが発生するのであった。
カイは当然、友達と一緒に女子更衣室に入ることなんて出来ず……。
男子が着替える中に1人っきりである。
いくら覚悟が決まっていようが、どうしていいか分からず。
かといってそのまま着替えるのも恥ずかしい。
そう思っていたことを察したのであろう。
あたふたと困惑しているカイの前にダコタが背を向けて立ちふさがった。
「え、ダコタ。きゅ、急にどうしたんだい。」
「無理しなくていい。俺が壁になるからさっさと着替えちゃえよ。」
「う、うん……。」
ダコタから見てカイは今どんな表情を浮かべているかはわからない。
だけど、困っているのはわかる。
昔から一緒に過ごしていたからか。
ダコタは少しだけ口元を緩ませた。
「姿は変わったけど、中身は変わらないんだな。」
「うるさいよ。」
低い声が返ってくる。
いつもとは違う声であるがいつもと同じ反応である。
ダコタは胸に手を当てた。まるで何かを誓うように。
「困ったことがあれば言えよ。昔からだしな、お前のこと守ってやらないといけないのは。」
「……そうだね。」
間が空いた。
単調な返事が返ってくる。
「着替え終わったから大丈夫だよ。」
カイの言葉が聞こえてきた。
ダコタはその返事を受け取り背後を振り返る。
そして顔を上げた。
「婚約者ではないかもしれないけど、これからは友達としてよろしくな。」
「う、うん……。」
カイは力なく笑った。
流石にタイミングが悪かったのであろう。
ダコタは言いたかったことを言えたからか少しだけスッキリとした表情を浮かべていた。
そして授業に遅れないようにと走り出していった。
そんな彼の背中を見つめる。
カイは手を伸ばそうとしたがやめ、胸に手を当てる。
「待ちなよ。」
背中を追うように走り出した。
授業も終わり、放課後。
部活動も特に入っていないカイはダコタを探していた。
着替えの時のお礼も言えていない。
ついでに一緒に帰ろうと思っているようだ。
校舎3階の窓から校舎裏を見下ろした際にダコタの影を見つけた。
カイは少し小走りに階段を駆け下りていく。
息を切らして、校舎裏へとたどり着いた。
声をかけようと深呼吸をする。
手に持っていたハンカチで汗を拭う。
こっそりと校舎裏で何をしているのか確認しようと覗き込んだ時、ダコタ以外の影も見つけた。
「好きです。付き合ってください。」
可愛らしい声が聞こえてきた。
ダコタの声ではなく、少女の声。
カイはとっさに身体を隠す。
神経を研ぎ澄まし、耳に意識を集中させた。
「チャンスだと思って。カイさんが男になったし、2人が婚約者なのは有名だったから諦めてたけど。」
「……そっか。ありがとう、嬉しいな。やっぱりそういう告白はさ。」
言葉をポツリ、ポツリと漏らしていく。
ダコタはその言葉を静かに聞いていた。そして優しい笑みを浮かべていた。
カイは胸を抑えるようにうずくまる。
「だけど、ごめんな。俺が原因でもあるからさ、あいつが男になったことには。」
ダコタは少女の方をジッと見つめた。
決して茶化すようなモノではなく、真剣な表情を浮かべた。
「だからせめて、あいつが好きな相手を見つけるまでは……。」
少女はダコタの言葉を聞いてその場に泣き崩れていた。
ダコタはただその光景を見ていた。胸を貸すわけでもなく。
勘違いさせてはいけないと思い。
カイはその言葉を聞いて立ち上がる。
そして下駄箱へと向かうのであった。
「遅かったね。」
ダコタが下駄箱についた時、カイの声が聞こえてきた。
「おう、ちょっと用事があってな。」
「そうなんだ。……終わったなら帰ろうよ。」
カイは早足で校舎を出ていく。
ダコタはそれを追いかけるように飛び出していく。
特にこれといった会話のないまま。
夕焼けの見える橋の上にたどり着いた。
カイは急に立ち止まった。
そしてゆっくりと口を開く。
「ねぇ、覚えてる?この橋の噂って。」
「あぁ、覚えてるよ。この橋で告白すると上手くいくって話だろ。」
ダコタはカイの言葉に答えるため立ち止まる。
視線を空に向けた。燃えるような眩いオレンジ色に染まっている。
「確か親同士が盛り上がってここで結婚の話をしたんだろ。」
「そうだね。……だけどこんなことになってボク……。」
カイはダコタと並ぶように横に立つ。
小さく息を吸い込む、
「……いや、違うね。」
カイは急に隣に立っているダコタの肩を掴む。
自分の方へ視線を向けさせる。
「ちょ、急にどうしたんだよ。カイ。」
ダコタとカイは向き合っている。
困惑したダコタの声が聞こえてくる。
カイはその言葉には言葉を返す様子がない。
5秒ほどだろうか、時間が止まったような気がした。
2人だけの時間。カイはそのままダコタの胸ぐらを掴んだ。
自分の元へと強引に引き寄せる。
唇と唇が触れた。
ダコタの目が丸くなった。すぐにカイの肩を押す。
自分の身体を引き離そうとするもすっかりと変わってしまった身体は動かない。
ゆっくりと。カイは胸ぐらを離した。
ようやくダコタは解放されたのである。
「やっぱりボクは君のことが好きだ。今日、思い知ったよ。取られてしまうんじゃないかってひやひやした。」
視線を逸らす。素っ気なく言葉を言うものの夕陽の影響かやや頬が赤く染まっている。
ダコタは何も言うことが出来ずただただ自分の唇を抑えている。
長い沈黙のあと、ダコタはようやく口を開く。
「………………だからっていきなりキスするなよ。」
カイの顔は見ないまま、言葉を返す。
「どうしても抑えられなくて……。ごめんね。だけど……。」
カイはダコタに背を向けた。
少しだけ距離をとって振り返る。
「女の子の体、絶対取り戻してみるからさ。これはその誓い。」
指先をダコタに向けて宣言を口にした。
「だから、ちゃんと婚約者としての席を空けておいてよ。」
カイは満面の笑みを浮かべた。
夕陽に照らされている影響か、目はキラキラと輝いてみえる。
その光景は絵画として飾ってあるのかと思うほど綺麗だった。
カイはすぐに顔を背けて歩き出す。
ダコタは追いかけることはできない。
胸を抑え込み、その場にうずくまった。
そして誰にも聞かれてないことをいいことに小さな声で呟いた。
「……っ。反則だろ、そんなの。」
ダコタは心の中で声を上げる。
初めて感じるこの感情、なんて名前をつけたらいいのだろうか。
動悸が早くなる。
まるで悪い病気になってしまったかのように。
(嘘だろ、俺。いくら相手がカイだからといって……。)
自分自身の気持ちに整理をつけようと。
深く深く息を吸い込んだ。
(男になったカイ自身を好きになってしまうなんて。)
ギュッと拳を胸に当てた。
ドクンと大きく心臓がはねる。
ダコタは大きくため息をついた。こんな気持ち間違っていると言わんばかりに。
先を進むカイの姿が眩しく映る。
「ダコタ、何してるの?もしかして照れてる?」
「ち、ちげーよ!今行くから待ってろ。」
ダコタはゆっくりと立ち上がる。
急ぎ足でカイの隣に駆け付けた。
「まったく。いきなりキスをして俺に引かれるとは思わなかったのか。」
「ぜんぜん。だってダコタは表面で判断なんかしないでしょ。」
ダコタが眉をひそめたことにカイは気付かない。
思わず拳を強く握りしめて心に鍵をかける。
「……そうだな。」
この気持ちは間違っている。打ち明けることはできない。
だけどカイが女に戻るまでなら……隣を歩いてもいいのだろうか。
ダコタは力なく笑うのであった。