第八十二話 王家の教師
ーー約80年前
宮殿の中庭に呼び出されたゾーラは、椅子に座る白銀の髪を靡かせた貴婦人に恭しく傅く。
どことなくマリアに似たその女性は柔和な笑みで立ち上がり、ゾーラの顔を見た。
「久しいですね、ゾーラ。貴女の好きなお茶菓子も用意してあるのよ」
ゾーラが顔を上げると、相変わらず煌めくような美貌を湛えた笑顔で彼女を見つめてくる。
「……マーガレット殿下」
王妃マーガレットはマリアの曽祖母に当たる、2年前に王家に嫁いだ名家の令嬢であり、小等部からのゾーラの幼馴染でもあった。
その婚姻の時以来に会うマーガレットにゾーラは慇懃に挨拶を述べる。
「王妃殿下におかれましてはご機嫌麗しく。王城を去る私にわざわざ殿下自らこのような場を設けていただけるとは…… 本日はお暇の挨拶に伺った次第です」
マーガレットは哀しげに眉を顰めながら、ゾーラの肩をそっと掴んだ。
「……ゾーラ 本当に残念だわ。少し痩せたかしら」
「殿下…… お心遣いありがとうございます」
そして、テーブルに向かい合うように座ると、従者が茶を淹れるのを待ち、人払いする。
ゾーラが嫁ぎ先で苦難を被っていたことは知っていたが、何の手立ても打てなかったことをマーガレットは心から悔やんでいた。
「ギヴァー家のことは聞きました。今まで貴女に何も出来なくてごめんなさい。これからは女性が婚姻の道具としか看做されない封建的なシステムは私が変えていくわ」
平民出身のゾーラは、魔導知識や他の学問にも長け、名門貴族は彼女を優秀な人材として取り込みたがっていた。
公爵家であるギヴァー家の熱望により、嫁ぐことになったゾーラは、評判の良くなかった五男と婚姻した。
放蕩息子であった婚姻相手とは上手くいかず、そもそも愛人がいた彼との婚姻生活は見る間に破綻することとなる。
そして先日、五男との子を成さないゾーラに業を煮やしたギヴァー家は、彼女を離縁する運びとなったのだった。
マーガレットは久々に会ったゾーラに会って、涙を流しそうになった。
表面的には取り繕っているが、明らかに疲弊の色が濃かったからだ。
ゾーラのこんな表情は見た事がなかった。
それは運動や学業で疲労したのとはまるで異質の疲弊である。
名門貴族との婚姻生活が苦しかったのは聞くまでもなかった。
尚、ギヴァー家は数年後、脱税と横領の罪で、その領地を没収され、貴族位も失うこととなる。
その裁定にマーガレットの意思がどれほど働いていたかは不明である。
ゾーラは頭を振りながらマーガレットに答えた。
「滅相もございません。殿下のその御心だけで身に余る光栄です」
慇懃な態度を崩さない友人に、マーガレットは哀しげに眉根を寄せ、椅子から立ち上がるとゾーラの肩を抱き締めた。
「……ねえ、ゾーラ。今日は王妃としてではなくて、あなたの友人マーガレットとしてこの場にやってきたの。貴女に勉強を教えてもらわなければ、私はきっとここに王妃としていなかったわ。ほら、学生時代を思い出しながら語りましょう」
戸惑いながらも、ゾーラはマーガレットの人となりを思い出す。
自分も名門貴族出身でありながら、学生時代から身分の差には無頓着で、悪戯することも多かった困った親友の姿を今に重ねると自然と笑みが溢れた。
「相変わらずですね、マギー」
2人は時間を忘れて学生時代のことを語り明かした。
校長の銅像をカエルの姿に変えたこと。
マーガレット発案で授業を抜け出し、民草の祭りに参加したこと。
勉強嫌いだったマーガレットをゾーラがよくサポートしたこと。
話のタネは尽きなかった。
「そうそう、それで私がババ先生に落書きを送ってあげたのよ。あの時の先生すっごく怒ってたわね!」
「はははは!!! 思い出したわ。怒った先生がわざわざ僧侶を呼んで説法までくらったわね」
「あったねえ…… いやあ、よくそんな悪戯をしたものよ」
2人は学生の頃に帰ったかのように、子どものような笑顔で、他愛のない思い出を語らい合う。
そして、そろそろ日が暮れる頃、芝に寝転びながらマーガレットはゾーラに尋ねる。
「ゾーラ、遠慮なく気持ちを聞かせて。やはり王都を出る気持ちに変わりない?」
ゾーラの意志は固かった。
それほどギヴァー家での生活は苦しいものがあったのだ。
「……ええ マーガレット。元々平民である私に貴族社会は合わないと思うわ」
一瞬悲しげに顔を背けると、マーガレットは夕陽を見ながら語りかける。
「そう、本当に残念ね。故郷に帰って何かするあてはあるのかしら?」
「うん。少し休んだら、田舎でゆっくりと魔術の研究を続けたいと思ってる」
「……そう 何でも困った事があったら、いつでも私に言ってね。必ず力になるわ」
「ありがとう。マーガレット。その気持ちだけで充分」
マーガレットは立ち上がり、衣服についた芝を払うと、穏やかな表情で自分のお腹を押さえた。
「ねえ、ゾーラ。まだ陛下と一部の近習しか知らないことなのだけど…… 私のお腹には赤ちゃんがいるの」
ゾーラは驚いて目を見開くと、夕陽に照らされた親友の尊い表情を見遣る。
あのお転婆娘が王の子を懐妊すると聞き、感慨深いものがあった。
自然と喜びと祝いたい言葉が湧いて出た。
「それは……! おめでとう。マーガレット。あの悪戯好きだった貴女がねえ…… きっと賢く強い子に育つわ。貴女の子どもですもの」
マーガレットは嬉しそうに微笑む。
「ありがとう、ゾーラ。貴女にはこの子の教師を務めてもらいたかったのだけど…… 残念ね」
思ってもみない提案にゾーラは苦笑する。
「恐れおおいわ。私なんかが、王子や姫の教師など。もっと相応しい人がいるわよ」
マーガレットは小等部からの親友の力を誰よりも高く買い、何より信頼していた。
「……ふふ 学生時代にはあなたには苦労かけたわね。私は貴女ほど賢く、勇気のある方を知りません。ゾーラ。先の大戦では、我が国は多くのものを失いました…… 私たちは子どもの頃、その傷跡を散々見てきたわよね。もうあんな事は繰り返してはいけません。貴女ならきっと子どもたちに知性と優しさを正しく教えられると思ったの」
「殿下……」
そして、夕陽に照らされる眩しい笑顔でゾーラを見遣った。
「少し休んだら…… またお返事ちょうだい。いつでも待ってるからね」
その数年後、王都に戻ったゾーラは王子の教育係の一人として王家に仕えることとなる。
また、数世代に渡って王家の子女たちの面倒も見ることとなった。
そして、王都での魔導研究により、世の魔導書の記述の2割を変えるほどの研究成果を上げ、魔導大教授と呼ばれる程の魔術の権威としてズィーゲンを支え続けた。
◇
ネスの虚空に描いた魔法陣から、次々と黒い剣や槍が深傷を負ったゾーラに射出される。
魔力を消耗し過ぎたゾーラにもう高位の精霊を呼ぶ力は残っていない。
「アハハハハ!!! おばあちゃん! ほらほら! さあ早くここから出しなさいな! 死んじゃうわよ♡」
ゾーラも魔力のバリアを張って防ごうとするが、やはり数本は突き抜け、ゾーラの肩口に突き刺さった。
「くっ……!」
ゾーラは風の魔力に乗り、瓦礫の影に隠れる。
息を吐きながら束の間の隙に考えをまとめた。
(ダメか…… しかしどうなっとるんじゃコイツの身体と魔力は…… この強力な結界内でも抑えきれんではないか)
空に浮かび上がったネスがやがてゾーラを見つけ、陰りのある笑いを浮かべた。
「おばあちゃん? ボッとしてる余裕なんてないわよ? ああ、限界かしら?」
そして、射出した武器の一つがバリアを破り、ゾーラの腹に突き刺さる。
「ぐっ……!」
ダメージを受け過ぎたゾーラは若返りの術式が解け、元の年齢の姿へと戻る。
血を吐きながら蹲るゾーラを見ながらネスはせせら笑った。
「ほらぁ! 無理するからぁ! 死んじゃうわよ♡ おばあちゃん♡」
もはや、勝負はあったと見たゾーラはネスをじっと見つめる。
「……おいネス なぜ殿下を狙う?」
ネスはクスクスと笑いながら口に手を当て、考えるような素振りを見せる。
「うーん…… 気に入っちゃったからかなあ? あの顔と可愛い性格♡ あの手の子はいい玩具になるのよ! 白を黒に染めるように絶望に堕としてあげたいな♡」
「……話にならんな このイカれめ」
ネスはけらけらと不快な笑い声をあげ、ふと思案にくれた。
「ふふふ! 否定はしないわ♡ あーあ。おばあちゃんと遊んでたら、時間なくなっちゃったじゃない。どうしようかしら」
「……そんなことは気にしなくていい ネスよ」
「何よ、そろそろ限界でしょ? 結界を解かないと本当に死ぬわよ?」
血塗れのゾーラは折れた杖を梃子に立ち上がり、傷口から血を流しながら、ゾーラを睨みつけた。
「ははは! 老い先短いこの身で今さら死など恐れるか! ネス! 舐めるなよ! お前と戦うと決めた時からこんな事態は想定済みだ!」
ふと見ると、結界内の森林も枯れ、結界内が薄暗くなっている。
妙な微風が吹いていることにネスが気づく。
「……なにかしら」
にっと笑いながらゾーラは哀れなものを見る目でネスを見遣った。
「『死の嵐』だ。私の生命と引き換えに予めプログラムしてあった。お前はくだらない生き物だ、ネス。安心してくたばれ。人を愛したことのない哀れなバケモノよ」
樹々は枯れ、地も痩せていく。
結界内が触れたものを滅ぼしていく死の風で満たされていった。
ネスは塵になっていく己の手先を見つめながら、声を発した。
「……あ」
次の瞬間、死の風はネスを巻き込み、一瞬でその身を塵へと変えていく。
ゾーラはネスの消滅を見届けると、その場に倒れ伏した。
最期に今までに面倒を見た王家の子女たちの顔を思い出す。
そして、マーガレットの温かい笑顔を思い出し、その意識は薄れていった。
(マーガレット。どの子も賢くて強い、優しい子に育ってくれたよ…… 少しは褒めてくれるかしら)
ゾーラが亡くなるとともに結界の出入り口は完全に消え、中のものも全て死の風によって消滅した。




