第八十一話 結界内の戦い③
風の精霊の攻撃は通常の視覚では捉えられない。
ネスは感心したように、自分の胸の穴を見遣る。
「風の精霊、シルフか…… ここまで見事に操れる魔術師はレアねえ」
大きなダメージを受けたはずであるのに、超然とした様子のネスに怯むことなく、ゾーラは更に杖を構えた。
(まだだ……! 攻撃の手を緩めるな! 心臓を潰そうと奴は倒れぬ! あいつを普通の人間だと思うな……!)
そして、ゾーラは新たな呪文を唱え始める。
「翠幻の星精よ。混拗をその身に納めたまえ」
杖が緑に光ると共に、森林が騒めき、巨大な枝が蠢くように伸びるとネスを捉えた。
「……あら?」
魔力の木々は骨が砕けるほど押し潰すような圧をかけるとともに、ネスの魔力を吸い始めた。
このような状況にありながら、ネスは尚も嗤いながら、軽口を叩く。
「ひどいわねえ……! わたし、もう死にかけてるのに。手加減してくれないのね!」
ネスの悍ましいまでの態度にゾーラは冷たく睨み返す。
「その薄汚い口を閉じろ。ネスよ。どうせ余裕なんだろう? お前は徹底的に叩き潰す。可哀想とも思わん」
「あら、あら……! ピンチねえ」
「……だまれ」
ゾーラが杖を振り上げると、ビキリと骨が砕ける嫌な音が辺りへと鳴り響いた。
ネスを人外と見做し、ゾーラはこの戦闘に於いて心を悪魔へと捧げたつもりであった。
それでも蔦や枝に捕まったままのネスはまるで茶化すように、声を上げるのみである。
「ひっどーーい!!! ねえ、おばあちゃん! かわいい女の子相手にやりすぎじゃない!?」
「まだ生きとるか。ま、予想してたがな」
いっそ呆れたようにゾーラは頭を振る。
ネスは自身の身体を見ながら、徐々にまた再生を始めた。
「んー…… さすがに再生が遅いわね……?ちょっと待ってね、おばあちゃん」
ゾーラは自然に流れる冷や汗を拭い、ネスを冷たい目で観察し、思考を整理する。
(こいつの1番の脅威は、己を破壊されることへの恐怖がないことだ……! その根源は身体を再生出来る事ではない)
試しに疑問をネスに問いかけてみた。
「お前、痛覚はあるのか? 感じているのか、麻痺しているのか。感覚はどうなっとるんじゃ?」
痛覚が無い、もしくは感じないから何度でも敵へと向かっていける。
仮説ではあるが、ゾーラはネスの特性をそう理解していた。
ネスはニィと笑いながら、惚けたように答える。
「……さあねえ あら、私のこと好きになっちゃったのかな? おばあちゃん♡」
「フン、まあいい。今度こそ、再生できなくなるまでその身体を破壊してやる!」
「あらあら、出来るかなあ? そろそろおばあちゃんのターンは終わりよ♡」
ゾーラは杖で魔法陣を描くと、呪文を唱える。
「……翠星の羅卦 堕崑を呑みたまえ」
虚空の魔法陣が光ると、まるで植物の根のような生物が出現し、ネスへと取り憑いた。
それは禁術であり、見かけよりも恐ろしい魔属性の精霊マンドラゴラである。
「んー? 次は何をするつもりかなあ?」
「今度こそ終わりだ、ネス。次の攻撃はお前が再生出来ようが関係ない」
「あら、そうなの? ……ん?」
ネスが杖をかざすと、伸びてきた木の根がネスとその頭に乗ったマンドラゴラごと包み込む。
すっぽりと覆われたネスには聴こえていないだろうが、構わずゾーラは術式の説明を続けた。
「これは木の根で押し潰すなどといった、そんな単純な作戦ではない。その絶叫で生物の命を奪うという幻毒の魔精霊マンドラゴラを召喚した。存分に死を楽しむがいい」
そして、ゾーラが耳の周りに聴覚遮断の魔法陣を描くと、同時に生命を奪う恐ろしいマンドラゴラの悲鳴が響きわたった。
空間さえ歪ませるような恐ろしいまでの絶叫が結界内で不協和音を奏でる。
通常であれば、1秒でも聴けばその命を奪われるというマンドラゴラの悲鳴であるが、1分ほどその場で恐ろしい悲鳴が響きわたった。
死の演奏が終わった後に、やがて、ゾーラはしんと静まり返った木々の根を見遣る。
「お前が何者であるかなど、もはや興味は一切ない。人を舐めたまま、そのまま笑いながら死んでいけ」
木の根をどけ、ネスの生死を確認しようとしたその時だった。
ネスがいた辺りの木の根が爆ぜると、爆煙と共に何者かが這い出してくる。
「……何だと」
全裸のままのネスが、耳から血を流しながらも身体のほとんどの再生を終え、不気味に笑いかける。
「やるわねえ……! おばあちゃん! 死ぬかと思ったわよ♡」
そして、握りつぶしたマンドラゴラをゾーラへと投げてきた。
「……クソッ!」
風の魔力でマンドラゴラごとネスへと攻撃を仕掛けるが、飛び上がったネスはいつの間にか、頭上へと迫る。
そして、ネスは発生させた魔法陣から黒い刃を射出する。
「はい残念♡」
「ぐうっ!!!」
黒い刃はゾーラの杖先を破壊し、右腕の先を切り落とした。
傷口から赤い鮮血が吹きあがり、歪む視界の先には人智を越えた悪魔が嗤う。
「あらあら、もうおしまいかしら? おばあちゃん♡ そろそろ死ぬ?」
右腕を失いながら、ゾーラはネスを睨みつけた。
「ネス……! この人外め……!」




