第六十五話 パンドラの匣
マリアによる演説が終わり、本日の国会が閉幕すると、応接室ではマリアとメフィラス議長、バルザック出納長が向かい合い、その後ろをアグレアイオスとカリンが固めていた。
外部に漏らすのは好ましくない話である。
「殿下、お疲れ様でした。我々の為にあのように尊きお言葉を賜り、有り難く存じます」
「皆、喜んでおります。御臨席賜り、本当にありがとうございます」
マリアの演説は、ほぼ全ての議員を魅了した。
何より国民受けがいい。
彼女の言うことならば、多少無茶な提案や法案でも通るだろう。
メフィラスとバルザックの礼に、マリアは頷きながら答える。
「いえ、そのように恐縮しないでください。私などが平和の一助になるなら……」
「貴女の言葉と心が、両国の平和を約束しているのです。本当に有り難い事です」
一通りの挨拶を終えると、マリアは本日の議題を切り出す。
「……さて 約定のお話ですが」
訝りながらバルザックはマリアの表情を見つめる。
「ええ、それもまた、我が国にとって有り難いお話ですが、よろしいので……?」
「ええ、もちろんです。父王陛下からの許可は頂いております。この案件は全て私に託されているのです」
「殿下……」
マリアが鞄から書類を取り出すと、心なしかカリンの表情に緊張が走った。
無理もない。
これから話し合われるのは、どんな病気や怪我でさえたちどころに治癒する霊薬、「聖水」の扱いについてなのだ。
これまで1000年間もの間、その存在を平民からはひた隠しにされてきたパンドラの箱を開こうと提案したのはマリアであった。
取り出した書類には約定や聖杯の研究論文などが纏められていた。
書類を机の上に並べ、マリアは聖杯や聖水の研究経過を見せながら、概要を説明する。
「万能の霊薬、聖水を創り出す聖杯。我が国の王族しか目にすることが出来ない奇跡の聖遺物の由来は未だに不明です。誰もが聖杯を、神の賜る奇跡だと言い、実際に多くの命を救ってきました。だからこそ、私の祖先も代々聖杯を守ってきたのです……」
1000年前、エルフの国を建てたガル王家は神から聖杯を授かったと伝わる。
それが作り話が否かはともかく、聖杯は確かに存在し、王家の管理下で、ごく僅かに摂れる聖水を創り続けている。
100年前のズィーゲンとガストリスの戦争は、密かに聖杯の存在を察知した当時の魔王の怒りから起因するものであったのだ。
いつにない硬い表情でマリアは資料を広げながら説明を続けた。
「世界を救う尊きものとして、私の祖先は千年前から誰もが代々聖杯を守り、崇拝してきました。しかし、私はあの聖杯を尊き物だとは思えません。年に取れる量はごく僅かで、5人救えるかどうか…… 今でこそ情報を統制して、万物の霊薬たる聖水を生み出す聖杯の存在を秘密にしておりますが、もし聖杯の存在が世界中に知られれば、僅かな聖水を巡って戦争が起きる事は必至です」
マリアはどこか重い表情を浮かべる。
聖水は摂取すれば、確実に病や怪我を癒やし、人の命を救う。
しかし、聖杯についた露から摂れる量はごく僅かであり、誰も彼もを救える程の量は取れない。
また、人工による聖水の製造や精製は試みられているが、一度も成功した例はない。
ズィーゲンでも戦々恐々としながらその存在を隠しながら、少ない聖水の存在を隠し、守りながら、厳密にその使い所を選択してきた。
ガル王家にとっては、目下の頭痛のタネともいえる代物であったのだ。
マリアは2人の目を見つめながら、真剣に向き合う。
「私は…… 両国の関係が良好な今、このタイミングで聖杯の存在を明らかにして、各国でこの聖遺物の構造を研究すべきだと思うのです。成功すれば、今この世界を苦しめているパルプフィズを駆逐することすら可能と私は考えています」
「殿下…… 御英断は素晴らしいです。しかし、少し舵取りを誤れば世界中からの批難は免れないことは、お覚悟の上ですな?」
メフィラスの質問に迷うことなく、マリアは答えた。
「もちろんです。ズィーゲンは聖杯の存在を隠し、独占してきたことをまずは謝罪しなければなりません…… 私は全ての責任をとるつもりです」
若き王女の決断に2人は目を見合わせ頷いた。
「素晴らしいご決断です。殿下、我々にもその重荷、背負わせていただきたい」
「我々も同意見です、殿下。我々は、聖杯の存在の公表後、疫病以外にも世間の悪意とも戦わねばなりません。共に立ち向かいたいと存じます」
そして、両国の首脳たちは硬く握手を結ぶ。
極秘の会談、と言えば聞こえは悪いが、病魔や悪意という脅威に立ち向かおうという、マリアの清廉かつ勇気ある意志の篭った会議であった。
「ありがとうございます、メフィラス議長、ドゴスギア出納長。心強いですわ」
「アグレアイオス君、マリア殿下の御身は必ず守ってくれ。頼んだぞ」
「数日内に世界は変わる。殿下と我々ならそれが出来るはずだ」
「当然、心得ております」
アグレアイオスは慇懃に傅き、硬く口を結んだ。
◇
琥珀色のウィスキーが揺れるグラスを回しながら、あから顔のフランクスは恨めしそうに管を巻く。
「アイツのムカつく所は、潔白を全ての者に求めるところだ。誰もが奴のように強く正しくは生きられん! それを分かっていないから、凡夫からは疎まれるのだ。学生時代、奴とはみ出しものとの仲介は、私がよく取りなしてやったものだよ。それなのに……」
相席するレドモンドは、ぐちぐちと零すフランクスに頷きながら、相槌を打った。
「分かりますよ。フランクス様。さぞお悔しかったことでしょうな。叔父殿もやり過ぎです」
「そう思うだろう⁉︎ 私の扱いは不当だ!叔父は私を信頼し、国家の中枢に据えるべきなのだ!」
ますます悪酔いするフランクスは真っ赤になりながら手を振り上げ、憤った。
レドモンドは微笑みながら、酌をするとそろそろ、と切り出す。
「フランクス様、叔父上や議長を見返してやりたいとは思いませんか?」
「……どういう事だ? 詳しく聞かせろ」
訝る様子でフランクスは顔を上げ、訊ね返してくるが、レドモンドは笑顔で答える。
「金獅子騎士団は貴方の配下ですよね? 動かせますか?」
「当然だ。彼らは私の級友であるが、指一つで動く」
フンと胸を逸らすフランクスに、レドモンドは小さく手を叩きながら満足そうに口角を上げた。
「素晴らしい。流石はフランクス様です。なあに、悪事ではありません。私がこれからする提案はむしろ、治安を守る行為です」
そう言ってレドモンドは人好きのする笑顔を見せた。




