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第六十四話 荒れるフランクス

 マリアの公務復帰はガストリス議会での演説と決まった。

 書類を纏めるマサヒデの背後から声をかけてくる者がある。


「おい、スケベジジイ」


 その聞き慣れた声の主を振り返り、苛立ったマサヒデはギロリと睨み返す。

 マサヒデの頰と額には青あざがあり、絆創膏が貼られていた。


「あ? なんじゃ! ババア! 喧嘩うっとんのか?」


 振り返るとゾーラが笑みを浮かべながらマサヒデを見つめていた。

 その笑みは、自分を揶揄う時のものであることを熟知しているマサヒデは、苛立ちながらゾーラを睨むが、尚も揶揄う気配を止めない。


「女子風呂を覗いたらしいな。全く、いい歳をして何をしとるんじゃ」


 ゾーラは昨夜の「マサヒデ女子浴場乱入事件」のことを揶揄っているようだ。

 マサヒデは顔を紅潮させながら、身振り手振りで怒ったように弁明する。


「あれは事故じゃ! マリア殿下が大声をあげよるから…… 心配して見に行っただけじゃ‼︎ 決してそれ以外の意図は何もなかったわ!」


 ゾーラはため息を吐きながら、昔から変わらぬマサヒデの様子に呆れたように首を振った。


「はあ…… 必死に弁明するあたりが怪しいのお。先にあの世に逝った際には、奥さんにこのことは報告しておくからの」


 マサヒデは亡き妻の名を出され、たじろぐが、その間にゾーラは笑いながら背を向け何処かへいく。


 本当に風呂場でのことを妻に報告されては堪らぬ、とマサヒデは歯噛みしながら、悪戯好きの元教官の背へと必死で声をかける。

 が、その声は届いているかどうかは分からない。


「やめんかい!!! ババア!!! くそっ! ワシはもうお前の生徒ではないんじゃぞ⁉︎ いつまでもガキ扱いしよって……!」


 マサヒデはゾーラの背を忌々しそうに睨む。が、本気で怒っている訳ではなく、生徒と教師であったその数十年前から変わらぬ関係は、腐れ縁とも言えるものであった。






 ◇






 白いドレスを纏ったマリアは、侍従と自分自身で全身のチェックを終えると、また気を引き締め直すように深呼吸する。

 待合室のドアが開き、カリンが対応する。

 そろそろマリアの出番のようだ。


 カリンが椅子から立ち上がるマリアに声をかける。


「マリア殿下。いつも通りに……」


 微笑みを作ってマリアを労い励ましているが、やはりカリンの表情にも緊張が垣間見える。

 無理もない。

 エルフの国ツィーゲンと魔族の国ガストリス。

 100年前の戦争以来、元敵国であるガストリスの議場に立つ王族はマリアが初となるのだから。

 ……何かがあれば、両国の微妙な関係にひびが入ることさえあり得る


 身の内のプレッシャーを押し隠し、マリアは微笑みながら侍従たちを見回し、議場へと向かう。


「大丈夫。行ってくるわね、カリン、みんな」




 司会役の議員がマイクを手に、出入り口の方を指差し、議場の議員達が全員立ち上がり、拍手で国賓を迎える準備に入る。


『では、皆さま! 隣国ズィーゲンからの素晴らしいお客様であり、第一王女であらせられるマリア・ジュペール・ドゥ・シュマ・ガル殿下の御登壇です!』


 侍従たちに続いて、白いドレスのマリアが現れるとますます議場の熱はヒートアップする。

 マリアは恭しく楚々とした立ち回りで登壇すると、花のような笑みを浮かべた。


 壇上に立ち、マイクを手にすると微笑んだまま、朗々とした声を議場へと響かせる。


「ガストリスの皆さま。私はマリア・ジュペール・ドゥ・シュマ・ガルです。この度はこのような素晴らしい機会をいただいて有り難く思っております。貴国ガストリスに到着してから、私は温かい歓迎を受け、手厚いもてなしを受けてきました。この数日のことは私にとって形容し難い、ガストリスとの友情を感じるものであり、その恩義に対して祖国ズィーゲンからも親愛をもって応えることは当然だと私は思っております」


 議員たちは、ある者はマリアの美しい立ち振る舞いに見惚れ、またある者はその美しい声と理知的な演説に聞き惚れる。

 原稿に目を落とす事なく、マリアの演説は10分ほど続き、こう締め括られる。


「未知の疫病や、不穏な宗教集団の蔓延る今、過去の悲しみを振り払って私たちは手を取り合って難局を乗り越えましょう!」


 議員たちは一斉に立ち上がり、万雷の拍手を送る。

 彼らの心からの笑顔は、ズィーゲンとガストリスの恒久的な平和を約束するものであった。






 ◇






 テレビ中継を見つめながら、手元でグラスを転がし、フランクスは腫れた頬を押さえる。


「くそっ! 叔父上…… こんなに殴りやがって……!」


 そして、不機嫌そうに酒を飲み干すと、ダンと音がするほど乱暴にテーブルに置く。


 フランクスの視線の先、テレビに映っているのは悠然と壇上から降りてくる純白のマリアである。

 その周りを固めているだろう騎士たちに怨嗟の感情を募らせながら、フランクスは管を巻く。


「マリアの後ろを固めて、護国の騎士の栄誉を受けているのは今頃この私のはずだったのに……!」


 彼の婚約者であるドロテナは、しばらくそんな彼の荒れた様子を静観していたが、堪らず嗜めるように口を挟んだ。


「フランクス…… 話は聞きました。ねえ、もうレオと張り合うのは辞めて? 色々あったけど私たちとデモンズゼッドはお友達じゃない。ねえ?」


 そんなドロテナを振り返るとソファに腰掛けたまま、フランクスはクックっと笑った。


「お友達? だと? 笑わせるな」


 ドロテナは唖然としながら、酔った表情のフランクスを見つめる。

 悪びれることもなく、フランクスは酔いに任せて口を開く。


「ドロテナ、私はな。アグレアイオスの事を対等だと思ったことはないよ」


「何ですって……!」


 フンと鼻を鳴らし、フランクスは手酌でグラスに酒を注ぎ足すと、笑いながらチビチビと飲み始める。


「勉強も、武術も、魔導も…… 何一つアイツに敵わないことは認める……! だがな、アイツは裏切り者の子孫だ! その欠点だけでお前をアイツから奪い取ってやった! これからも私はあいつと宿敵であり続けてやる! これが私の! ドゴスギア家の意地だ!」


「フランクス!」


 ドロテナは顔を真っ赤にして、思わず声を荒げる。


「見損なったわ! 貴方がそんなみっともない人だったなんて!」


 しかし、そんな憤るドロテナをフランクスは嘲笑う。


「見損なった? みっともないだって? ハハッ! また笑わせてくれる! お前こそちょっと口説いたら、レオを捨てて、この私に飛びついてきたみっともない女ではないか! あの夜、お前がデモンズゼッドの歴史が怖いと宣ったことは覚えているぞ! 貴様こそ血統や権威に縛られているではないか! この浅ましい女め! レオに1番謝るべきは貴様なのだ! 忘れたか⁉︎」


 ますます肩を震わせながら、ドロテナは顔を赤らめ、気づくと涙を流していた。

 そして、目の前の男の本性というものに初めて気づいた気がした。

 ……いや、今まで気づかないふりをしていただけかもしれない


「フランクス……! あなたという人は……!」


 目の前の男とアグレアイオスを比べながら、ドロテナは絶望的な気分に陥った。

 しかし、彼を捨てて、フランクスを選んだのは自分自身なのだ。


 情けなさと後悔に身を震わせ、居た堪れなくなったドロテナは背を向け、部屋を出て行く。


 フランクスは舌打ちしながら、そんな婚約者を気にかける事なく怒りのまま立ち上がると、執事の一人に声をかける。


「フン! 不愉快だ! 今日は外泊する! 探すなよ!」


「……かしこまりました」



 昼間からやっている酒場を見つけるとフランクスはまた酒を呑み始める。

 どこもかしこも、マリアの話題で持ちきりでますますフランクスは不機嫌になった。


「チッ……! どいつもこいつも! 何を呑んでも不味いではないか!」


 しばらく酒を呑んでいると、隣に腰掛け声を掛けてくる者があった。


「失礼、フランクス様。随分と荒れておられると聞きました」


 フランクスが声の方を向くと、何処かで見た男であった。


「……なんだ貴様は 確か……」


 慇懃に頭を下げながら、黒シャツを着たその男は微笑む。


「レドモンドと申します。フランクス様。少しお話しましょうか」


 整った顔立ちのその男は、最近勢力をつけてきた大司教レドモンドであった。

 聖職者のお堅いイメージとは違い、レドモンドは街中の悪所にでも足を運ぶラフな一面があると聞いたことがある。


 フランクスはレドモンドを一瞥すると、グラスをテーブルに乱雑に置く。


「フン! 生臭め。どうせ暇なのだ。注げ。そして呑め」


「おお、かの名門貴族フランクス様と、会食できるなど勿体なき事です。では御相伴に与らせて頂きます」


 スマートな語り口で、レドモンドは笑顔でフランクスのグラスに酒を注ぎ始めた。

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