第五十五話 ペッパーの過去⑫
夢と現の狭間の中で、ペッパーは過去の幻影を見ていた。
ウゼールが真っ赤な顔でキャンバスに描き上げたペッパーの絵を指差す。
「まだまだダメだ‼︎ しっかり骨格を理解せよといっとるだろう!」
「ええい! うるせえジジイ! 教え方が下手なんだよ‼︎」
「何だと⁉︎ クソガキィィ……!」
それはペッパーがウゼールに弟子入りしてからの日常の出来事だった。
ヒートアップしやすい2人を程よいところで止めに入るのは、いつも家政婦であるイネの役割だった。
「はいはい、そこまで。お二人とも根を詰めすぎですよ。お食事になさってくださいな」
イネの笑顔を見ながら、ウゼールとペッパーは漸くトーンを弱め、アトリエを出て食卓へと向かう。
「……ううむ メシが終わったらシゴキ再開だからな! クソガキ‼︎」
「上等だあ! ジジイ‼︎」
そんな2人のいつもの光景を見て掃除夫であるトッドは苦笑する。
「……やれやれ 強情なお二人だ」
イネはトッドにも食事を勧める。
「さあさあ、トッドさんもご一緒にお食事なさってくださいな」
「おお、悪いなイネさん」
そうして4人は同じテーブルに着く。
ペッパーにとって唯一にして初めて、家族というものを持った期間。
それはウゼールたちと共に過ごした一年間だったのかもしれない……
◇
ペッパーは肩を揺すられ、夢の狭間から引き戻される。
「ベンパーさん……! ベンパーさん! 起きてください! 終点ですよ」
顔を上げるとイネの娘が不安そうな顔で辺りをチラチラ見ている。
孫娘は座席で眠っているようだ。
「……ああ 寝ちまってたか 悪いな」
ペッパーたちはバスや電車を乗り継ぎ、半日ほどかけて漸く港のある街へと逃げてきていた。
追っ手たちの影は見えない。
電車から降りるとイネの娘は悲しそうな顔でペッパーに尋ねる。
「母さんの遺体は取りに帰れないのですか?」
残念ながら、即死だったイネの遺体は道端に置いていくしかなく、野花を摘んで名前を書いていくしか手立てが無かったのだった。
運が良ければ、どこかの僧侶に埋葬されることだろう。
ペッパーは悔しそうに答える。
「見ただろう? サブレってのはヤクザ紛いの汚い手を使いやがる……! 婆さん殺害の目撃者であるアンタもその子も見つけたら生かしてはおかねえだろうよ」
「……そんな」
孫娘は涙を流す母親を見上げながら手をぎゅっと握りしめる。
ペッパーは夕陽の赤に染まる海を見つめながら、停泊している船を指さした。
「オイラも残念だよ…… 巻き込んじまって悪かったな。ほら、船が見えるだろう? あれで別の国に行きな」
そう言って、ありったけの貨幣を詰め込んだ皮袋をイネの娘に手渡した。
涙を拭いながら、イネの娘はペッパーに問いかける。
「ありがとうございます。 ……ここまで逃がして頂いたことには感謝しますが あなたはこれからどうされるのですか?」
「さあな。アンタらはほとぼりが冷めるまで帰ってくんなよ。じゃあな」
そう言って戸惑う母親と孫娘に背を向け、ペッパーは1人歩き出す。
そして沈みゆく夕陽を見つめ、トッドとイネの死に顔を忘れないように脳に刻みつける。
「……サブレぇぇぇぇぇぇぇ‼︎ 絶対に許さねえからな……! ヒャハハハハハハ‼︎」
ペッパーの高笑いが真っ赤な空に木霊する。
それはすれ違う人々が慄くほどの、恐ろしく凄惨な笑みであった。




