第五話 聖夜の歌声
マリア・ジュペール・ドゥ・シュマ・ガルはエルフの国の次期女王である。
それは彼女が8歳の時に実の母親である王妃が亡くなった時にすでに決定していた。
その時何を思い、感じたのか幼かった彼女自身は言語化出来なかったし、もうはっきりとは覚えていない。
ただ傍で訳もわからず手を握り笑顔すら見せるまだ5歳のソニアを見てさらに胸を締め付けられたことだけは覚えている。
彼女は本心では女王になどなりたくなかった。
しかし王族として生まれた事の意味は理解していた。
──宿命から逃げ出すことは許されない
目深にキャップを被ったラフな格好の少女とフードを目深く被った女性が寄り添うように人波に呑まれながら月明かりの繁華街を歩いていた。
小柄なキャップの少女は興味深そうに魔都ドミニエルの街並みを見回す。
すでに両者の手元は買い込んだ荷物を提げる鞄でいっぱいである。
「あっ! なにこれ⁈ これはなんですの?」
にも関わらず一方の少女の方は気になる店を覗いては物色をやめない。
そんな様子を見た隣の女性がため息を吐いて嗜めるような口調で片割れの少女に語りかけた。
「……いつものことなのでもう何も言いませんが帰ったらしっかりとアグレアイオス殿に謝罪せねばなりませんよ」
白いパーカーに青いジーンズ、そして以前にもこうして人間界を御忍びで旅した時に手に入れた東京ガイアンツのキャップを被りマリアは嬉しそうな笑みを浮かべカリンを振り返る。
「わかってますよ、カリン。私も悪いとは思っているのですよ。
しかし、どうしても今日はお散歩をしてみたかったのです。前に人間界のトウキョウをこうして旅したときは良いことがあったじゃないですか」
……それにこうして街を出歩けるのは今のうちだけですし
という言葉は呑み込む。
この第一王女は勉学に優れ聡明ではあったが、こうして姿を忍んで下々の街を見て歩くという側近泣かせの奔放な癖があった。
以前も異世界の日本国へ旅行した時に向こうの有名な歌手らしき人物にサインを貰ったことがあったし、トウキョウドウムとやらにヤキウの試合を観に行った時はガイアンツのモトサカ選手のホームランボールをキャッチしたこともある。(※宝くじ一等が当たるくらいの確率です)
マリアという少女は変なところで妙な運を持っていた。
カリンは気が気でないとばかりにさり気なく辺りを見回す。
「大概にしてください。ここはニホンほど安全な国ではないのです」
構わずマリアは先へ先へと歩みを進めていく。
「私は貴女がいるから何も心配しておりませんよ。
おや、何やら軽快な音楽と子どもの声が聞こえてきますね」
角を曲がったところで管弦楽器らしき演奏と子どもの歌声が2人の耳へと入ってきた。
音の方を見ると古びた建物の中の影で子どもたちが歌い踊っている様子が見てとれる。
この国ではこの時期お馴染みの音楽であり光景であった。
「この国の主要宗教の行事である『復活祭』の準備のようですね。……ちょっと、お嬢様!」
マリアはその音楽の方へとずんずん歩みを進める。
小さな建物が薄い灯りに照らされ中では数人の子どもたちが小さなお祭りを開いているようだった。
門の表札を見るとそこは孤児院のようだ。
子どもたちが用意したのであろう門に掲げられた色とりどりの看板をみる。
流石に門を閉ざしていればマリアも無断で入っていったりはしないが、興味に取り付かれた彼女は誰でも歓迎するのであろう祭りであると判断しその建物へと入っていった。
「ふむふむ、楽しそうですねー!」
「マリ……お嬢様!もう!いい加減にしてください!」
嬉しそうに屋敷の扉を開け先へ先へと行くマリアの後ろをカリンは慌ててついて行く。
建物の中に入ると長方形のテーブルを囲み10人余りの子どもたちと数名の大人の職員らしき男女が座っていた。
全員が何やらパーティー用の煌びやかな衣装を身につけている。
造形からして、おそらくは手作りだろう。
突然の訪問者にきょとんと見上げる視線に構わずマリアはまるでそれが当然であるかのように部屋の奥の段差へと上り、その華やかな笑顔で挨拶する。
仕方なく付き従ったカリンは落ち着かない様子だ。
「はい、こんにちは! かしこい子どもさんたち!」
その人懐こい笑みと美女2人に不審を抱く者はおらず、一拍遅れて子どもたちから返事が返る。
「「「おねえちゃんたち、だれ〜?」」」
マリアはその可愛らしいソプラノの声に微笑みながら後ろのピアノを指差す。
「私たちは通りすがりの者ですが僭越ながらお祭りのお手伝いに来させていただきました。
ほら、カリンあなたはあちらのピアノへ」
指名されたカリンはもうこんなことには手慣れているというように頭を振りながら近くの職員に密やかに了解を取りつつピアノ前の椅子へと腰を下ろす。
「突然驚かせてしまってすみません……
悪いようには致しませんのでどうか暫しの間お付き合いください……」
「はあ……」
職員たちは目を瞬かせながら状況を見守るばかりであった。
マリアは構わずパーティー用に設えてあったマイクを手に取り手早くチェックを済ませると聴衆たちへと微笑みかける。
「はい、それじゃあカリンはそこのオルガンで伴奏お願いしますね。
曲目は私たちの国が誇る大音楽家エルトゥール・バルハムの新作『よき友へ』」
「……はい、お嬢様
ですがそれは本来こんなところで披露するものでは……」
マリアはカリンの伴奏でこの国の聖夜である今夜、孤児たちに今から歌を披露するつもりらしかった。
カリンの言う通り、その歌は本来外交相手であるこの国の貴族相手に用意されたものであったが……
「ほら、カリン。はやく。子どもたちが今か今かと待ち遠しそうじゃないですか」
カリンは諦めて肩を落とすと鍵盤を叩き始める。
「……はい、では1、2、3」
やがて鈴の音のような伸びやかで凛とした歌声がその小さな屋敷に響き渡った。
マリアは両親無しで聖夜を迎える目の前の子どもたちの心を汲むように想い歌う。
歌姫の姿はまるで聖母のように尊く、驚く暇もない子どもたちも職員たちもその歌声の虜になった。
薄い月明かりに照らされながら孤児院の物陰から2人の男たちがマリアの歌声を見守りため息を吐く。
「……やれやれ、困った方だ」
小さな屋敷の和気藹々とした様子を確認すると、やがて黒い外套を羽織ったアグレアイオスは傍の鷹の魔族に目で合図を送った。
「お疲れ様です、レオ様」
幼き頃より親しんできた友人や家族は彼のことを愛称である「レオ」と呼んだ。
アグレアイオスは物陰から歩き出しながら横顔で振り返る。
「お前こそご苦労だったな。
しかし、やれやれ子どものような御方だ……
お前のような優秀な友がいるから私の胃はまだ辛うじて正常を保っていられるよ」
鷹の魔族であるラッセルは五感が発達しており探索能力に優れ、それは彼自身の訓練により夜であっても関係ない。
元来の鋭い眼を緩やかに細めラッセルは会釈する。
「……身に余るお言葉、有り難く受け取らせていただきます。
我が眼は貴方様の眼であります、レオ様。存分にご活用ください」
「うむ、頼りにしている。
……しかしなかなかの美声ではないか」
「はい」
アグレアイオスはマリアの歌声を夜空に聴きながらどこか懐かしい感覚を覚える。
一見伸びやかで楽しげなマリアの歌声ではあるがアグレアイオスはそこに隠れている相克のようなものを感じ取り呟くように尋ねた。
「けれどどことなく陰も含んでいるな。分かるか? ラッセル」
「いえ、私などには……」
ラッセルは主人の言葉に首を傾げる。
それは五感だけでは感じ取れないものなのかもしれない。
アグレアイオスはうむ、と頷くと歩みを少し早める。
「不敬な物言いだったな、忘れてくれ」
マリアには少し厳しくお小言を言おうと考えていたアグレアイオスだったが、明るいだけではないらしい彼女の心の琴線の一部に気付いた彼は気勢を削がれていた。
演奏が終わり、観衆からはささやかながら万雷の拍手が起こった。
2人の気まぐれなそのライブは詫びしい孤児院の夜に嬉しいサプライズだった。
更に2人は先ほどの買い物のほとんどを子どもたちに配り始めた。
職員の1人が2人に頭を下げ礼を言う。
大方は流しの歌手による気まぐれ、もしくは慈善事業と思っているようであった。
「……素晴らしい音楽でした
ありがとうございます。どなたか存じませんが子どもたちも大喜びです」
嬉しそうな子どもたちの表情に満足しマリアは笑みを浮かべる。
「うふふ。そう言って頂けると光栄ですわ。お邪魔しましたね、皆さん。また寄らせて頂きますね」
「そうして頂くと子どもたちも喜びます」
2人は子どもと職員に挨拶するとその場を後にした。
伸びをしながらマリアは門の外の明かりをちらと見る。
もう7時を回った頃だろうか。
「さて、次はどこへ行きましょうか?
カリン、わたしマオドナルドなるジャンクフードを食べてみたいわ」
「……それは」
カリンが難色を示しながら口を開こうとすると2人の背後から低い、しかし聞き覚えのある男の声がした。
「いいえ、そのようなものを食されて体調を崩されては困ります。貴女の晩餐は我が家でとって頂きます」
さほど驚かず2人は振り返る。
2人揃ってお叱りを受けることには慣れている。
「あー……もう見つかっちゃいましたか……」
そこには見上げるような背丈の黒い外套を羽織った騎士、アグレアイオスが立っていた。
しかし予想に反してその言葉は柔らかく、怒りの色も感じられない。
アグレアイオスは2人に歩み寄るとしかし釘を刺すようにしっかりと言う。
「殿下、このようなところを出歩かれては困ります。
お願いですから今後このような軽率な行動はお控えください」
「善処するわ」
月明かりに煌めく銀髪を揺らし、マリアは薄く笑みを称えながら偉丈夫を見上げながら殊勝に返答した。
それは見る者に不安を抱かせるような赤みに近い金の髪と左右非対称の両眼だった。
双眼鏡を持ち、白い法衣と特殊な刺繍を編み込んだ外套を羽織った少女が、とあるビルの屋上からマリア一行の様子を笑みを浮かべながら見つめていた。
何より不気味なのは左右非対称である両眼で、右眼は血のように深く赤く、左眼は胡蝶の様に妖しく紫色に光る。
傍に座る薄灰色のコートを羽織った男は床に足をどっかと投げ出し欠伸をしながらひと伸びすると怠そうに少女に語りかけた。
「聖女の姐御ぉ、そろそろ帰りましょうよお。何がそんなに面白いんですかね?」
怠そうなその声に少女は笑い声で答える。
くすくすと笑う声は年相応の少女らしくはあったが、しかしそれも同年代のものと何かが違う。
何処か不安を煽るような底深いものであった。
「ペッパー、あなたは爆発以外には本当に興味ないのねえ……
面白いわよ。仲の良い奴らを見てるとワクワクするわ」
聖女と呼ばれた少女は笑みを浮かべながら双眼鏡をじっと覗き続ける。
呆れながら傍らの男はその場で大の字に寝転がった。
「くだらねぇ…… 教徒のみんなメシ作って待ってますぜ、俺もう腹減りましたや」
少女はそのままの姿勢で観察を続けながらペッパーの反応に構わず独り言のように話を続ける。
「私、ずっとこの光景を覚えとくの。異種属同士が壁を乗り越え友情を築くのってとっても尊いことですもの。それが愛に変わるとますます素敵よね」
夜風が吹き月夜に赤と紫の眼が妖しく光り、揺れた。
少女は双眼鏡の奥のマリアを見つめながらますますその笑みを深める。
「楽しみだわ…… 破滅のその時が。
生物ってね、争わずには済まない性を持ってこの世に存在してるの。
……こいつらが憎しみあってグッチャグッチャの殺し合いをするのが今から楽しみで楽しみでしょうがないわ」
傍らの男は茫洋とそのささやかな演説を聞きながら背筋に寒気を覚え腰を上げる。
確かに子どもの声であるのに内容がその声に相応しくない。
月明かりに照らされた少女は姿形こそ整っているが、数年行動を共にした彼にも何処から来た何者なのか得体が知れなかった。
「ふへぇ…… 相変わらず性格悪いですねえ、姐さん」
全く不運な奴らだな、と思いながらペッパーは鼻をほじりながら去りゆくマリア一行を見つめた。