第四十七話 ペッパーの過去④
キャンバスに筆を走らせ、ペッパーはウゼールを振り返る。
「師匠…… こんな感じか?」
ウゼールは髭を撫でながら頷いた。
「……うむ、ここの色使いが甘いがまあいいだろう」
舌打ちしながらペッパーは絵の具を溶いたパレットに筆をつける。
「ちっ…….! 相変わらずうるせー奴だぜ……」
「何か言ったか?」
「なんもねーよ!」
今日はウゼールの下書きにペッパーが線画で描いたものに色を塗り、仕上げに入っていた。
そうして、色塗りが終わるとテーブルに腰を落ち着け、家政婦が持ってきた紅茶に口をつける。
この屋敷には定期的に家政婦と掃除屋が週に数度づつやってくることになっており、それで漸く家事のできない2人は生活が成り立っているのだ。
ウゼールは紅茶を啜りながら、感慨深げに完成したばかりの合作を見つめると徐に口を開く。
「ベンパーよ、これが私の最後の作品となる。いや、お前の作品でもあるが。今までよくついてきたな。礼を言う」
ペッパーは常に頓狂なことを言い出すのはこの師の悪い癖だ、と思いながらもまるで遺言のようなその言葉に思わず苛立ちと戸惑いを見せる。
「……はあ? いきなり何言ってんだ⁈ ほんと変なやつだなあ! てめえは!」
ウゼールは微笑みながら菓子を齧った。
「ふふふふ…… まあ聞け。我が最後の弟子ベンパーよ」
そんな落ち着いた様子もペッパーをますます苛立たせる。
ウゼールの顔は今日は特に青白く、体温も明らかに低かった。
「気づいておるだろう? ここ二ヶ月、私が自分一人で筆を握ったことがあったか?」
ペッパーは少し考えて首を横に振る。
「……いいや」
ウゼールは頷き、何ともいえない表情でまた出来上がったばかりの合作を見つめた。
「この絵もお前と共作で漸く仕上がられた…… 私の身体はな、力が抜け震えがくる病いに冒されているのだ」
ウゼールは1年前、謎の病に罹患して以来徐々に体力が衰えてきていた。
走り書き程度なら出来るが、もう本格的に絵を描くことはできない状態であった。
ペッパーは舌を鳴らし睨むように師の顔を見つめる。
青白い顔にここ数日食事量も落ち、ますます痩せ細った身体。
どうやら冗談でもないらしい。
「……あんた、貴族で名のある画家なんだろ? なんとか治せねえのかよ?」
「……もちろん何件も医者に当たったよ だが無理だった。名医と言われる者にも匙を投げられたのだよ。未知の病らしい。発現したのが一年前。それでこのスラム街に越してきた」
ペッパーはふう、とため息を吐き疑問を投げかける。
「師匠はなんでこんな所に越してきたんだ? 貴族なんだから大きな自宅があるだろうに」
遠い目をしながらウゼールは自身を語り始めた。
「私の家はそこそこの格式の家でな。客が次々と訪れ、あそこに居ると気が休まらん。ここに居てもバカ息子や弟子どもが遺産を狙いにやってくるだろう」
「ヒャハハハハ! なるほどな」
膝を叩き笑うペッパーに、ウゼールはいつにない笑みを浮かべた。
「元々、貧しい者たちの生活というのをこの目で見てみたかったのだよ。だがこういった考えもさぞ傲慢に映ったことだろう。しかしまあ許せ。ここに来てからいい絵が描けた」
ペッパーはウゼールと出会った頃のことを思い出し、思わず懐かしむ。
「……変な野郎が住み着いてやがんな、と思ったよ。気に食わねえからテメエの絵を盗んで売っ払ってやった」
笑い声を上げながらウゼールはいつにない笑みを見せる。
「病のため、あの頃の私の絵はスランプを極めていた。破こうとすら思っていたのだが、バカガキが盗んでいってくれたものだよ」
盗んでいった代わりに自分の絵を置いていったことを思い出しペッパーは笑った。
「はっは! オイラの落書きと等価だなんてウゼール•ドラクレフも落ちたもんだな!」
「……お前の残していった落書き あれはよかったぞ」
ペッパーは冗談かと思い、師の顔を見つめるがどうやらそうでもないらしい。
「はあ? マジで言ってんのかあ? 本気で病院にいけよ」
「本当だ。技量のことを言っておるのではない。……独創性と力に満ち溢れていた あの絵を見て私はスランプを脱したのだ」
紅茶を飲み干し、ペッパーは両手を上げ笑う。
「……ヒャハハハハハハ‼︎ なら何か欲しいもんだなあ! ウゼール•ドラクレフさまを蘇らせた天才のオイラに!」
「ああ、くれてやろう。お前にくれてやるのは私の絵の所有権だ」
「……はあ⁉︎」
また、頓狂なことを言い出した、とペッパーは目を見張る。
が、これも冗談ではないらしい。
「もちろん全てくれてやるわけではないが。ここで描いた最高傑作と私のお気に入り数点はお前のものだ。数日後、弁護士がくる。細かい所は理解できなくてもいいから話を聞いてサインをするように」
一方的に話を進めていくウゼールにペッパーは戸惑い、立ち上がる。
ペッパーにはいまいち意味がわかっていないが、この内容を弁護士が公報に発表すれば、彼はウゼール•ドラクレフの正式な弟子として芸術界に否応なく認められることとなる。
「おい‼︎ ちょっと待てよ! 本気かよ! ジジイ⁉︎」
「わかるだろう? 冗談に聞こえるか?」
その目は真剣そのものだった。
ペッパーは最初は何も持たなかった。
大人と言えば、彼を罵る者か、暴力を振るう者しかおらず、いずれ自分は何処かで野垂れ死ぬものだと思っていた。
しかし、師は己の技術を彼に授け、歩いていく道まで照らしてくれたのだ。
そっと目の端を拭いながらペッパーはウゼールを見上げる。
「師匠……!」
本当の息子を見るようにウゼールは微笑みを見せた。
「私の弟子も…… 息子も誰も私の意思と技術を受け継ぐことがなかった。やはり天才というものは独りで朽ちていくものだ、と思っていたところにお前が現れた。私は幸せだよ、クソガキ」
ふん、と横を向きながらペッパーはぶっきらぼうに答える。
「……黙れよクソジジイ」
「あの世で楽しみに見守っておるぞ。私を超える作品を描く天才の活躍を」
立ち上がり、手を広げてペッパーは元気よく師に答えた。
「ヒャハハハハハハ‼︎ てめえが悔しくて化けて出るくらいの作品を描いてやるぜ‼︎」




