第四十六話 ペッパーの過去③
2人の奇妙な共同生活が始まり、数日が経った。
今日も朝からウゼールの怒号がアトリエに鳴り響く。
「違う‼︎ 何度言ったらわかる‼︎ そこのタッチが粗い! 染料も濃いぞ‼︎」
頭を叩かれ、ペッパーは不服そうに床に寝転び始めた。
「いてぇ‼︎ ああ!もう! クソ親爺! ふざけんなよ! いつまでこんな道楽続けやがる⁉︎」
ウゼールは恨みがましく見つめるペッパーを冷たく睨み据える。
「言ったはずだ。絵を覚えろと。さもなくばぶち殺すぞクソガキ」
息を吐き出しながら、ペッパーは渋々立ち上がった。
「……チッ! このおっさんイカれてやがんぜ」
「何か言ったか?」
ギロリ、と睨まれペッパーは再びキャンバスの前に立った。
「グッ……! 何も!」
それから数ヶ月が過ぎ、春が来た。
相変わらずウゼールの怒鳴り声がアトリエに鳴り響く。
「デッサン! 何を置いてもデッサンだ! 続けろクソガキ!」
ペッパーは出来たばかりの自分の絵をウゼールに見せる。
「クゥ…….! ほら! どうだ⁈ 親爺!」
その瞬間、拳骨がペッパーの頭へと落ちた。
「タッチが甘い! 対象をよくみよ‼︎」
「グハァッ‼︎」
床に転びながらペッパーは歯噛みする。
(……クッソ親爺め‼︎ いつか隙を見て逃げ出してやる‼︎)
ペッパーは心の内で毒づくが、しかし、既に拘束用の電流ブレスレットはこの頃、除去されている。
その意味を己でも今一よくわかっていないようであった。
そして夏が来て、アトリエは相変わらずの様相で……
「ホラっ! ボヤボヤするなっ!」
「いてぇっ!」
秋が来てもウゼールの厳しいレッスンは続いた。
「こんな骨格があるかっ!」
「グエエッ⁉︎」
「遠近をよく見よ!」
「ぐうううう! ……クッソ親爺めぇ!」
漸く、一年が過ぎた頃ウゼールは初めてペッパーの作品を褒めた。
キャンバスに完成したのは、1年前とは比べ物にならないほどの技量の絵画だった。
「フン、漸くマシな絵を描くようになってきたな」
舌打ちをしながら、ペッパーは不満そうに足を組む。
「ほざいてろ、クソ親爺」
そして、新しい方から並ぶアトリエの作品群を見つめ、ある事に気づく。
そしてウゼールの方を怪訝そうに見上げた。
「そう言うテメェは絵を描かなくなったなあ⁈ あぁ? 怠けてやがんのかぁ?」
ウゼールは表情を変えないまま、髭を弄るばかりであった。
「……そんなところだな」
ペッパーは呆れたように腕を組む。
「ケッ! 貴族さまはお気楽なこった!」
その時、来客を知らせるベルが鳴り、ウゼールはため息を吐いた。
この屋敷への客といえば大抵奴らしか居ない。
「やれやれ、招かれざる客が来たわ」
「師匠、オイラが追い出そうか?」
腰を上げようとしたペッパーをウゼールは手で制する。
「構わん。いつもの件だろう。通せ。そしてお前はしばらく座を外していろ」
「わかったよ! ケッ!」
そうしてペッパーは窓から外へと飛び出していく。
客間に通されたウゼールの息子サブレと弟子たちは、揉み手をしながら恭しく挨拶をした。
「父上! お久しぶりです! ご健勝のようで何より!」
「先生! ご尊顔を拝したく……」
最後まで言わせず、ウゼールは忌々しそうに息子たちを見つめる。
「用件をとっとと言え」
ため息を吐きながらサブレは不満そうに肩をすくめた。
「父上、相変わらず手厳しいですな…… 実の息子に冷たくありません?」
ウゼールは冷たい目で息子や弟子たちを睨め据える。
ドラクレフ家は由緒ある侯爵家であり、サブレには領国の経営を任せてあるのだが、些かその経営が怠慢で上手くいって居ないどころか赤字を出しているらしい。
……その負債をウゼールの絵画の売却代金で補填しようという腹は見え見えであった
静かに怒りながらウゼールはサブレを叱責する。
「サブレよ。それなりの教育は受けさせたはずだな? だというのにお前は貴族としての職責を果たさず、結婚もせず、毎日毎日違う女と飲み歩いているばかりではないか! 私が何も知らんと思ったか? 何もかも知っておるわ! 領国と当主の座はくれてやると言っておる! 後のことは自分の力でなんとかせよ!」
説教はしかし、その心に響かず、20も後半を回った男が薄く涙を流しながら父親に擦り寄る。
「父上ぇぇ……! 酷いですよ…… 父上の作品を誰よりも理解しているのは息子であるこの私とここにいる貴方の弟子たちではないですか⁈ 貴方の作品は我々に継承されるべきです!」
……口から出てくる出まかせにますますウゼールは激昂する
「黙れ‼︎ 愚か者どもが!」
その怒声にサブレも弟子たちもぴくり、と肩を震わせた。
「サブレ! 貴様は絵の事など小指の先ほども興味がないではないか! 知っておるぞ! お前の作った借金はお前でなんとかせよ‼︎」
サブレは唇をかみながら下を向き肩を震わせる。
そして、ウゼールは弟子たちを睨め据えた。
彼らもまた、師匠であるウゼールの作品群のお零れに預かりたいと考える者たちである。
いずれも貴族の子弟たちであり、己でどうにかするというハングリー精神が足りない者たちであった。
それが、ウゼールにとっては歯がゆい。
「そしてそこの厚顔無恥な馬鹿弟子ども! 私の作品など受け継がずともお前らは己の作風を拵え、己の道を歩め!お前たちがいまいちパッとしないのはその腐った性根のためだ! 作家なら自分の足で歩かんか!」
弟子たち3名は並んで震えながら下を向く。
ウゼールはふう、と息を吐き扉を指さした。
「と、言うわけでお帰り願おうか。このような別れは残念だよ、サブレ、我が弟子たちよ」
「父上……!」
「先生……」
落胆しながらサブレたちは渋々その腰を上げる。
スラム街の整地されていない小道を歩きながら、サブレは真っ赤な顔で小石を蹴り上げる。
「どうするんだ⁉︎ くそっ! 父上の作品群の所有権を継承出来なければ私はお終いだ‼︎」
サブレの負債はもはや無視出来ない額にまで膨れ上がっていた。
弟子の1人はにっと笑いながらその肩を叩く。
「坊っちゃん、案ずることはありませんよ」
「何?」
振り向いたサブレに怪しい笑みを浮かべながら、弟子はヒソヒソと耳打ちする。
「あんな貧民街の小僧1人に先生の作品は勿体ない。なに、先生がお亡くなりになった後ならばなんとでもなりますよ。……見たでしょう? 先生のご様子を……」
確かに、数ヶ月前に来た時に比べウゼールはますます痩せており顔色も良くなかった。
しばらく考えた後、にい、と笑いながらサブレは冷たい笑みで来た方を見つめ返した。
「ふん、それもそうだな。なら親父のご機嫌など伺わなくていいわけだ」




