第三十九話 束の間の休暇①
その日の朝、いつになく緊張と期待の入り混じった高揚した表情でマリアは大きな鏡の前に立ち、自分の服装をチェックする。
淡い水色のシャツにベージュのコートを羽織り、紺色のロングスカートを履いた姿は庶民のようなカジュアルなスタイルだった。
マリアは髪を整えながら、いつもとは違う自分の心音に戸惑う。
(そういえば…… 侍従以外の男の方とお出かけなんて初めてね)
そう考えると自然と頬が赤く染まる自分に気づき、マリアはふるふると頭を横に振り、鏡の中の自分を睨みつける。
(……これは 公務なのよ! この都のことを知ることも…… アグレアイオス様と親交を深めることもお仕事なのだから)
マリアは気分を取り直すと椅子から立ち上がり、部屋の隅に立つカリンに微笑みかけた。
「では、行ってまいります」
今日は以前よりガストリス側が計画してくれていた街中のショッピングや散策に出かける予定だ。
束の間の公務休暇の今しか出来ないことなので、マリアは悩みながらもアグレアイオスの申し出を受け入れた。
見るからに気落ちして塞ぎ込んでいるマリアを気遣った魔都防衛騎士団からの提案でもあったからだ。
カリンは内心で心配しながらも少しは元気が戻ってきたマリアを見つめた。
「……もう、貴女のお決めになられたことですから何もいいませんが、どうかお気をつけくださいね」
わかっているわ、と苦笑しながらマリアは返事しながら部屋を出てカリンと連れ立って歩き出す。
途中の廊下で合流したマサヒデは眉を顰めながら小声でカリンに愚痴をこぼした。
「まったく…… あのワガママ姫には振り回されっぱなしじゃ。帰国したら今度こそ引退させてもらうぞ……! あとは頼んだからな、カリン」
カリンはマリアの後ろ姿を見守りながら、マサヒデの言葉に首を横に振る。
「……勘弁してくださいよ お爺さま。まだまだ私にはあの方のお守りは荷が重いです」
マサヒデは肩を回しながらため息を吐く。
今日は影から街を歩くマリアの護衛をしなければならない。
「お前なら大丈夫じゃ。ああ、ニホンから輸入したボンサイ弄り今から楽しみじゃわ」
「そうは言っても身体が動く限りは辞める気なんてないでしょうに……」
「ん? なんか言ったか? カリン」
とぼけたようにカリンは祖父から視線を逸らした。
「いえ、何も」
デモンズゼッド邸を出て、マリアとアグレアイオスは改めて朝の挨拶を述べる。
「アグレアイオス殿…… 本日は私の我儘を聞いてくださり、ありがとうございます」
アグレアイオスは慇懃に頭を下げながら、マリアの正面に向き合う。
彼の服装も白いシャツに淡い色のアウター、それに黒いズボンといったカジュアルな出立ちだった。
いつもの制服やスーツ姿ではないアグレアイオスの装いに、マリアは心中で今までにないときめきを覚えるが王女らしく表には出さず恭しく振る舞う。
そんな彼女の心中を知ることもなく、アグレアイオスは淡々と応える。
「いえ、我儘などと…… 私などをエスコートの相手にお選びいただき光栄の極みです。前からドミニエルの街を歩いてみたいと仰っておられましたよね」
「ええ、エルフの国では『こんくりーととてっきん』を使った高い建物はまだまだ珍しいので、見ているだけでも楽しいです……」
そして、2人はドミニエルの街を歩き始める。
もちろん、万全を期して彼らの背後や行く先には人知れず護衛の兵が市民に混じっている。
アグレアイオスは隣を歩くマリアを振り返る。
「殿下を狙っている賊はまだ殲滅されていないことは覚えておいて頂きたい。ですが、何があろうと私と私の部下が全力で貴女をお守りします」
マリアは高く聳えるビルや行き交う人々を見ながら楽しそうに歩く。
「貴方の隣にいれば大丈夫。ですが、今日は何も起こらないことを願っているわ」
そして、幾分か緊張が解れたのか、とりわけ綺麗な装いの小さな店を指さした。
「ほら、まずはスイーツを食べたいわ! お願いね、頼りにしてるわよアグレアイオス!」
その天真爛漫な笑みにアグレアイオスは自然といつにない微笑みを浮かべた。
屈指の使い手であるアグレアイオスが横にいればもちろん何より安全であるが、今日は万全を期して計画通りに騎士団とマリアの護衛隊は邪魔にならぬよう2人の後をつけて護衛をすることになっている。
柱に隠れながらカリンは隣のラッセルに謝辞を述べる。
「すみませんね、殿下はああいったお方ですので……」
ラッセルは首を振りながら、周囲の監視を怠らない。
騎士団の名誉にかけて安全は二重三重に張り巡らせている。
それにしても……
内心で驚きと、そして嬉しさを覚えながらラッセルは主の表情を遠目に見る。
他の人からはわからないだろうが、あのようなリラックスした主の顔はいつ以来だろうか。
「いえ、ああ見えて総長も楽しんでいると思います。殿下のような方に微笑みかけられると誰でも楽しくなります」
「……であれば良いのですが」
カリンは心配そうにマリアの後ろ姿を見つめた。




