第三十七話 葬儀のあと
アグレアイオスたちがグノルシア過激派による国立病院襲撃を鎮圧してから、3日目の夕刻、冷たい小雨がしとしとと降る薄灰の空には雲の隙間から一筋の光が漏れ出る。
天が泣いているのか、それとも……
それは幻想的な光景であった。
喪主であるアグレアイオスとしては、身内のみでしめやかな葬儀を行いたかったが、政府や熱狂的なブラディエルのファンの声を無視できず、郊外の廃城を借りてブラディエルの盛大な葬儀を執り行うことになった。
父の葬儀を終え、アグレアイオスはしばらく1人になりじっと遠くの山々を見つめる。
ガストリスの英雄であるブラディエル・デモンズゼッドの葬儀には多くの人が訪れ、その死を悼んだ。
彼の人となりと作品群は世界中の人々から愛され、誰からも尊敬された。
その突然の訃報による悲しみは世界を覆い、大陸を超えて他国の政府要人まで訪れる盛大なものとなった。
死因の公式発表は詳細を知らせることを憚られ、病死と発表されることとなる。
……経緯や当事者たちの細かな機微はどうあれ、詳細を発表すればマリア王女への非難は免れないからである
多くの客人に挨拶をすることとなったアグレアイオスは漸く1人の時間を得て、父の墓を見つめる。
だだっ広い草原が広がる墓場に冷たい風が吹き野花がふわと揺れる。
夕刻となり、薄紫の空からはしとしとと降り始めた。
……アグレアイオスは父を喪った実感をここへ来てひしひしと感じ始める
「……アグレアイオスどの、どうか、屋根のあるところへ…… お風邪を召してしまいます」
不意に背後から聞こえる鈴の鳴るような可憐な声に振り返ると、黒い喪服を着たマリアが心配そうな顔で彼を見上げていた。
そして、持っていたもう一つの傘をそっと手渡す。
アグレアイオスは深く頭を下げると傘を受け取り、平伏する様に礼を述べる。
「……殿下 葬儀に御臨席賜り、誠にありがとうございました。父も喜んでいると思います」
ブラディエルの死により、マリアの公務はしばらく中止となっている。
マリアは悲哀と苦悶に満ちた表情で感情を押し隠しながらアグレアイオスを見つめた。
「……いいえ 私なぞに出来ることは何もありませんでした……」
震える手を握り締めながら、マリアは悲しみと後悔を心の内で押し潰そうとするが、若干18のこの少女には耐え難きことだった。
此度の事件では自分の軽率のせいで、最も尊敬する人物であり、この国の重要人物を死なせてしまったと言ってもいい。
そして、何より最も世話になっている目の前の黒騎士の父親の命を奪ってしまったとも解釈できる……
自己嫌悪と後悔に震えながら、マリアはこの場に立っていた。
マリアは考える。
……こうなったのは全て自分の責任である
しかし心がバラバラになろうと逃げ出すことなどできない。
マリアはドレスの裾を掴み唇を噛み締めて、アグレアイオスの目を見ると口を開く。
「アグレアイオスさま、この度は申し訳ありませんでした……! 私の…… 私のせいで……」
「殿下、不躾ながら1つだけお願いがございます」
静かな声がその先を言わせなかった。
アグレアイオスの赤い瞳とマリアの碧眼が合わさる。
その表情からは何も読み取れない。
マリアはふと目を逸らし、小さく頷く。
「……何でも伺いましょう」
厳かな口調でアグレアイオスはまるで言い聞かせるようにマリアの瞳を見つめる。
「父の死は貴女にも、他の誰にも責任の無きことです。父の遺言は貴女も聞いた通りでしょう。2度とこの事で一国の王女が私に謝るなどと軽々なことはしないで頂きたい」
静かながら厳しいその言葉がマリアの心に染みるように響く。
……そう、王族である自分はどんな失敗を負おうと謝ることなど許されないのだ
「……わかりました 心に留めておきます」
唇を噛み締めながら、押しつぶされるような心を整理するとマリアは墓石に目をやりながら呟くように尋ねる。
「ねえ、アグレアイオス殿。少しでいい。ブラディエル様のお話が聞きたいわ」
アグレアイオスはしばらく目を閉じると、いつも通りの静かな口調で淡々と述べる。
「立派な父でした…… 若き頃は苦労したと聞きます。父は貴女に会える日を心待ちにしていました。両国の平和のため、という実務的な理由だけではありません。父は貴女の人となりを尊敬しておりました。王女自ら看取ってやってくださってありがとうございます。父も感謝していることと思います」
自己嫌悪に焼かれそうになりながらマリアは目を閉じ、言葉を噛み締める。
アグレアイオスは遂に葬儀中一滴の涙も見せなかった。
その心中を思うとマリアは自分が情けなく、今すぐ国に帰りたい衝動に駆られる。
「……アグレアイオスさま」
しかし、マリアは王女であり、次期女王である。
悲しみも失敗も乗り越え、これからのことを考えなければならない。
「せめて、私がいつまでも貴方の隣に立つことを…… お許しください……」
小雨に濡れた頬を緩ませ、アグレアイオスはマリアに微笑みかけた。
「ありがとうございます。勿体なきお言葉です」
その柔らかい笑みは父が死んで以来、またマリアに対して初めて見せるアグレアイオスの深奥であった。
墓地の大きな木に隠れて2人の様子を見守る影があった。
一つの大きな影は咽び泣きながら地面を拳で叩きつける。
「……クソッ! 情けねえ! オラはなんて無力なんだ……! 恩人1人守れねえとは……」
細雨に濡れながら泣くシェルドンを見遣りながらラッセルは、冷静な表情でじっと遠くのアグレアイオスとマリアを見つめる。
ラッセルの表情は分かりにくいが、知る者が見れば落胆の色は見て取れるほどに珍しく彼もメンタルを落としていた。
「私も残念だ…… ブラディエル様には幼き頃より世話になったものだ…… だが泣くな、シェルドン。1番辛いのはあの方なのだ。気丈にも涙一つお見せになられないが、我々が影からレオ様を支えなければならぬ。泣いてる暇はないのだ」
「……わかってる 分かってるけどよお……!」
蒼き鰐の魔物の腕を取り、鷹の魔物は友を引き起こした。
墓場から続く人気のない道端で三つの影の一つがクスクスと笑いながら灰色の空を見上げた。
その笑顔はとても巨大な悪事を為した後の者が浮かべるものとは思えない。
「……あーあ 面白かったわね。見たかしら? 泣きそうな顔のマリアちゃん可愛かったわねえ……! 今度は私の手で虐めて泣かせてあげたいな♡」
そう言ってフードを跳ね上げながら後ろを歩く男を、振り返った。
ネスは黒い葬儀用の服に身を包み、臆面もなくブラディエルの葬儀に参列していた。
マリアの表情を見ることが目的である。
ネスの後についていた男の1人は青ざめた顔でそんなネスを見つめ返す。
男はそんなネスの無邪気な様子が恐ろしくて仕方がなかった。
「……ネスさま もういいでしょう⁈ 私の母と恋人を返してください……! 私はもうこれ以上は総長を裏切れません!」
懇願するように叫び震えるその男を嘲るようにネスは嗤う。
「あらあら、そんなつれないこと言わないでよ? もっと遊びましょうよ! 私はあなたのこと気に入ってるのよ♡ ねえ、ユダソンくん? あの馬鹿のペッパーくんよりいい働きをしてくれたわね。何しろあなたのおかげでマリアちゃんの警備計画や隠密行動も筒抜けなんですから♡」
「……くっ!」
魔都防衛騎士第八部隊長ユダソン。
それが彼の肩書きであるが、彼は己の実母と恋人をネスに人質に取られ、行事の予定や防衛計画の概要といった機密を彼女へと売り渡していた。
もちろん、責務と肉親や恋人への情の板挟みになりながらの苦渋の決断であったが、この裏切りは彼の心を著しく病ませていた。
何しろ己の裏切りにより、世界から愛される大作家であり、尊敬する総長であるアグレアイオスの実父を死に追いやったとも言えるかりだ。
冷や汗を流しながら青い顔で震えるユダソンを見つめネスは無邪気に笑う。
「ああ、そうそう自害なんてしたら、私、悲しみのあまり、あなたのお母さんも恋人さんも殺しちゃうかも? だから勝手に死なないでね?」
その言葉に絶望感を味わいながら、ユダソンは息を切らせ何とか崩れ落ちそうな身体を堪える。
そして息を切らしながら声を絞り出した。
「……あんたたちは総長に勝てない! アンタらの教義は随分とイカれてるようだが、もう今回の襲撃で弾を使い果たしてグノルシアには兵隊もいないはずだろう⁉︎」
そう、グノルシアも此度の襲撃で殆どの過激派と言われる武闘派の教徒を殺害され、囚われた数名も情報を吐けば恐らく処刑を待つ身である。
それまでの辛抱とユダソンはネスを震えながら睨め付ける。
そんな彼に横に並んで歩いていた黒い修道服の男が肩に手をやり穏やかに語りかけた。
「大丈夫、大丈夫。我々を気にしてくれているのかな? 勘違いしているようだが、ネス様も我々も殺戮主義者じゃあない。偏見だよ、ユダソンくん」
30半ばほどのその神父らしき者は、この国の主流宗教の中枢を担っているはずの男であった。
「……レドモンド大司教」
整った顔立ちのその神父は、名門貴族の出身であり、幼い頃より神童と謳われた将来の教皇候補とまで呼ばれている男であった。
唇を噛み締めながらユダソンはレドモンドを見つめる。
どういう関係か詳細はわからないが、時折、ネスと密会を重ねているらしい彼は既にこの国を裏切っているらしかった。
ネスは信じられないほどに晴れやかな顔で、残酷な言葉を紡ぐ。
「あなたが私の言う通りに動けば、黒鬼くんも死ななくて済むし、お母さんも恋人も返してあげるわよ?」
「……卑怯な!」
激昂し震えるユダソンを、レドモンドは嘲笑う。
「肉親と恋人可愛さに恩人を売った君が今さら何も言える事などないのだよ? ……まだ君は自分が裏切り者だと思っていないのか? もう引き返せないのだよ」
「じゃあ、またね。これからも私の知りたい情報の横流し頼んだわよ♡」
そうして彼らは唖然とするユダソンを取り残し、道を別れて先へと行く。
雨にそぼ濡れる地面に手をつきながらユダソンは悔しさと後悔に涙を流した。
「……う、うう お許しください…… アグレアイオス様…… みんな…… 私は…… 私は最低です……!」
小さく慟哭しながらユダソンは地面を叩き、人知れず叫んだ。




