幕間 100年前「終戦の日」
――約100年前 ガストリス帝国王都ラウム宮殿
国政の中心である優美なるラウム宮殿は朝から物々しい雰囲気に包まれ、多くの人が忙しなく行き交う。
特に宮殿の奥にある重鎮達が招集された会議室は軍服をきた魔族たちが居並び咳払い一つ聞こえない異様な空気で満たされていた。
やがて軋む音と共に扉が開かれ、数名の近衛と共に漆黒の軍服と煌びやかな装飾品を身につけた一際威厳のある初老の男が入室してきた。
その姿を確認すると共に待たされていた軍人達が一斉に立ち上がる。
男が一段高いところに設えられた豪奢な装飾の椅子に座ると軍人たちは野太い声を上げた。
「我らが偉大なる魔王様であり大総統に敬礼‼︎」
男達が立ち上がり、統率のとれた敬礼が終わると暫くして重々しく響くような声が静寂を破った。
「着席。報告を始めよ」
この国の絶対的な意思決定者である魔王。
彼が国民の声に押されてやむなく隣国のエルフの国ズィーゲンに宣戦布告してから5年。
魔族とエルフによる泥沼のような戦争が各地で止むことなく繰り広げられていた。
「現在ハバルーク方面軍はズィーゲン王立陸軍とアリデエン平原で56日目の戦闘に突入。死傷者16,527名、重傷者25,741名。その他行方不明者は……」
「ゲルニスト方面軍より人員と物資の支援要請が出ており、現在予算を組んでおります。また、病死者の数も無視できない数で……」
「アンダルア方面軍、相次ぐ将軍の戦死により戦線が崩壊するところでしたが新型の戦車をいち早く前線に送ったことによりなんとか戦況は持ち直しました。
しかし死傷者の数が多く今すぐ補給しないとエルフに勢力を盛り返されてしまいます……」
地獄のような戦果と戦死報告がもたらされ幕僚たちがある者は冷然と、またある者は憤然と隣の者と意見を述べ合う。
これがこの国の日常の光景であった。
暫く意見が出揃うと、魔王はじっと資料を見つめ部下達を見回し厳かに述べた。
「開戦からもう5年が経とうとしている……
何か戦況が好転する策はないのか」
魔王の言葉に幕僚たちはしんと静まりかえる。
内心で焦れながら魔王は何か物言いたげな1人の男に目を向けた。
「どうした、デモンズゼッド。何か言いたいことがあるのか?」
名指しされた男が立ち上がる。
頭に白く綺麗な角をはやし背の高くやや黒褐色の肌をしたデモンズゼッドと呼ばれた青年は恭しく口を開いた。
「畏れながら申し上げます」
魔族の男の名はヴァレド・デモンズゼッド。
アグレアイオスの祖父に当たるこの時までは王の忠臣の1人であった。
「エルフの国ズィーゲンより、先ほど使者が参りました。和平の申し出です。こちらにエルフの王直筆の手紙と書類がございます。是非陛下と幕僚の皆々様にはご検討願いたく……」
ヴァレドが説明を続けながら王の近習に親書や書類を手渡すと会議室が小さく騒めき始める。
この国の中心となり、王の元で会議を開くのは今や戦争を続けたい継戦派と呼ばれる連中ばかりだった。
王が和平派を遠ざけてきたからである。
忠臣と言われる彼がこのような建議を持ってくること自体が異例であり、場合によっては血が降る可能性すらあった。
近習から受け取った手紙を読み終えた魔王は無造作に机の端にそれを投げ捨てると、感情の籠らない目でヴァレドを見つめた。
「話にならぬな、これでは領土も貿易取引の内容も戦前と変わらぬではないか。貴様はこの和平内容を死んでいった英霊たちの墓前で読み上げられるのか?
この戦争の幕引きは我が方の勝利しか有り得ん!
……不服なら我が軍を打ち倒し我が首を刎ねるまで抗ってみせよ、と使者には伝えておけ!」
しかし尚もヴァレドは王の前に進み出て膝を突き、胸に手を当て必死に懇願する。
近衛たちが立ち塞がり、それ以上の彼の進入を阻んだがそのまま王の目を見つめながら続けた。
「陛下! 開戦以来の戦死者が昨日で1,000万名を超えました…… 経済統制のために王都からは娯楽や灯りは消え失せ、食料すらも配給制になり民は疲弊しきっています……! どうか! ……どうか民のためにご再考を‼︎」
しかし、青年の切実な願いはその顔に向かって投げつけられた手紙によって遮られる。
「和平など有り得ん‼︎ もう良い‼︎ 使者は斬り捨てよ‼︎ デモンズゼッドよ、失望したぞ。貴様の処遇も考えねばなるまいな」
ヴァレドは膝を地に着きながらじっと眼前の王の顔を見つめる。
開戦前は穏やかな王であったがいつからこうなってしまったのか……
やがて背後の幕僚たちから怒声が飛び交う。
「引っ込め! デモンズゼッド‼︎ この敗北主義者め!」
「名門武家も落ちたものだな!」
「臆病者め! エルフに買収されたか?」
王が静まれ、と一言発すると幕僚たちの罵声がピタリと止んだ。
力なく項垂れたように動かないヴァレドを無視するかのように魔王は幕僚達に方策を告げる。
「よし、まずはアンダルアに補給を回せ。王都の配給を切り詰めればいい。エルフどもの墓をもっと増やすのだ!」
「ありがとうございます、陛下! エルフどもに死を‼︎」
その王の言葉に幕僚の1人が跪き高笑いと共に応えた。
……イカれている
人口の半分を減らしながらこいつらは微塵も停戦を考えようともしないのか……
配給を切り詰めるだと?
徴兵により父親や兄を取られた者達の困窮ぶりを目にしたことがないのか……?
王都に残っている女子ども、老人たちをこれ以上苦しめる気か……?
ヴァレドは絶望を感じながらじっと目を閉じ、凄惨な戦場の様子を思い返した。
王の皺がれた声に同調する幕僚たちの声がヴァレドの耳朶を打つ。
「この戦争では何名もの民の生命を奪われた…… もはや、後戻りは出来ぬ。勝利か滅亡か、我が国にはその二つの選択肢しかあり得ぬ」
「仰る通りでございます‼︎ 必ず英霊たちの犠牲に答えねばなりません! 和平などもっての他‼︎」
……もはや、もはやこれまでか
ギリリと唇を噛み締めながらヴァレドは目を開き、震える声で絞り出すように口を開いた。
「陛下にはどうしてもお聞き届け頂けぬのですね…… 残念です……」
「下がれ、デモンズゼッド。お前にもう用は無い」
その瞬間、幕僚達が喉元を押さえ呻きながら倒れ始めた。
王の近習たちも同様に顔面を蒼白に染めながらバタバタと倒れる。
「「「グァァァァァ‼︎」」」
「「「ぐ、グェェ‼︎」」」
魔王は驚愕し立ち上がると近習や幕僚達に駆け寄った。
生存を確認するが幕僚の全員が青ざめた顔で虚空を見つめ息を引き取っている。
魔王はこの部屋でただ1人生き残っているヴァレドを睨みつけた。
「何だ……! 何が起こっている!
呪毒か……! デモンズゼッド‼︎ 貴様の仕業か⁉︎」
魔王は死体の所見から何らかの術式により体内に入れられた毒素が有効化し、一斉に即死させられたものと判断した。
ヴァレドは立ち上がり表情の消えた顔で魔王を見据えた。
「はい、そうとっていただいて結構です。もっともこの計画を練ったのは3名ですが……
ザンジバルが無味無臭の呪毒を作成、ドゴスギアが彼らの食事に毒を混ぜ、この会議を招集する手続きをしました。
これで貴方さまのお味方は誰一人無くなりました…… お分かりですか? 陛下、この者たちだけなのです、継戦を唱える者は」
ザンジバルとドゴスギアにこの計画を持ちかけられた時は一度は断った。
若い彼には苦渋の決断だった……
しかしやるしかなかった。
ヴァレド・デモンズゼッドは腰の剣を抜刀すると魔王へと突きつける。
その刀身は赤く光り轟と火花を上げた。
それはまるで溶岩のように燃え盛る炎のようであった。
魔王は憤怒の表情で外套を脱ぎ捨て、同じく抜刀する。
黒い魔力が彼の周りの空間を歪めていくようであった。
老いたりといえど一騎当千の魔王である。
「貴様……‼︎ 裏切り者め……‼︎ ヴァレド・デモンズゼッドォォォォ‼︎」
そして漆黒の一閃が紅蓮の刀身によって受け止められ魔王とヴァレドが刃越しに睨み合う。
鍔迫り合いが続き、ヴァレドの剣の刀身が轟々と音を立ててその赤い魔力を増大させていった。
……この闘いが終われば自分は「王殺し」の汚名を負うことになるだろう
ヴァレドは苦悩を心の底に押し隠し、薄く自虐に似た笑みを浮かべながら刀身の先にいる憤怒の表情を浮かべた老いた王に最後の言葉を告げた。
赤い刀身が黒い刃を押し返す。
「そして最後に貴方のお命を頂くのは私です。
さようなら、陛下。
……ズィーゲンとの開戦はやむを得なかったことだと思います
でも戦争を終わらせるにはこれしか無かった……
偉大なる王よ、どうか安らかにお眠りください」




