第一話 マリア・ジュペール・ドゥ・シュマ・ガル
天に届くかのような青々と輝く巨大樹木や、地獄のような赤黒い岩盤が聳える砂漠、光り輝く深い深い大海。
地球から見て異世界といえるここジェラザードには我々の世界ではお目にかかれない違う生態系の自然物や絶景が広がっている。
聖魔世界ジェラザードには地球と同じように幾つかの大陸があり、エルフや魔族やフェアリー、魔獣など様々な種族が生活を営み、或いは共存し、或いは争いながらそれぞれの国家や縄張りでそれぞれの文明を築いていた。
10大陸のうちの一つ、ゴドフリー大陸はエルフと呼ばれる美しく魔力と魔導科学に優れる種族と、魔族と呼ばれる屈強な身体と強大な戦闘力を持つ種族が主に在住しており東をエルフの統治するズィーゲン王国、西を魔族の統治するガストリス公国と東西に分かれる文化圏に分かれていた。
容姿も考え方も違う彼らは有史以来度々戦争を繰り返していたが、1世紀前の大戦を最後に国際条約を結び今は小規模の貿易を行う程度にまでは国家間の仲は回復していた。
しかしいつの時代もそんな安寧を良しとせず因縁を忘れられない輩は存在するものである。
◇
黒塗りの魔導列車内のとある一席。
2人の女性が向かい合って着座しており、一方の少女が手にした箱の包みを開封する。
黒いキャップを被りラフな服を着た少女が薄い笑みを浮かべ駅弁を今まさに食べようしていた。
時折、キャップからはみ出した豊かな銀髪がふわりと揺れ甘い香りを辺りへと振りまくようであった。
「ふわぁ……なかなか美味しいですよ、この駅弁!やはり西だと味付けも違うのですね。
カリン、貴女も遠慮せずお食べなさいな」
一口弁当を口にした少女が向かいの女性に嬉しそうに語りかける。
キャップに目元が隠れていてもその少女の笑顔は眩しくとても整った容貌であることが窺えた。
語り掛けられた方の貴婦人用の白い帽子を被った女性は呆れたようにため息を吐く。
こちらの方はやや軽装ではあるがきちんとした令嬢のものだと見るものが見れば分かるような身なりであった。
「いえ、結構です……
それよりお嬢様、今後はこんな無茶はお控え下さい……
そこら辺の駅弁を買って食べるなど……
私の胃が壊れてしまいます」
貴婦人帽の女性はさりげなく辺りを見回す。
ここはもうガストリス公国の領内でありエルフである自分たちの正体が露見すれば何が起こるか分からない。
気が気ではなかった。
しかしそんな彼女の心配を余所にお嬢様はフォークを片手にへへん、と笑い胸を張る。
「カリン、大丈夫ですよ。貴女は心配性なのです。
我々と魔族が争ったのはもう100年も前のことと言います。
それに私が無作為に選んだこのお弁当に誰が毒を入れるというのです」
お嬢様と呼ばれた少女の名はマリア・ジュペール・ドゥ・シュマ・ガル。
エルフの国であるズィーゲン王国の第一王女であり次期国王であった。
本来ならこのようなラフな格好や軽挙が許される立場ではない。
ましてこのようにたった2人での旅行など……
王女である彼女は隣国であるガストリス公国に国賓として入国することになっていたが、彼女の我儘により御忍びでこうしてたった2人で民草と同じルートを用いて入国したのである。
たった1人の従者であり護衛であるカリンは気が気ではない。
カリンと呼ばれた女性はますます不安の色を強めじっとマリアの顔を見つめる。
「万一ということもあります……
それにガストリスと我が国は決して友好国というわけでではないのですよ。どうかご自重下さい
……ああ、もうまたそんなものまで買われて」
マリアが懐から取り出した飴の包装を開こうとしたので慌てて取り上げようとするも、さっとかわされそのままマリアは飴玉を口の中へと放りこんだ。
憮然とするカリンの顔を見つめながらマリアは花のような微笑みを浮かべる。
「私たちは平和のための使者です。それをいちいちその辺に売っていたお弁当に怯えていてはかえってこの国に失礼とは思いませんか? カリン」
カリン・ノア。
彼女はマリア親衛隊随一の実力者であり、マリアの親友でもある忠実な女騎士である。
同時に鷹揚で奔放なマリアに最も振り回される苦労人でもある。
慣れていることとはいえカリンはますます憮然とし、眉間に皺を寄せた。
「屁理屈を捏ねてご自分の奔放さを正当化しないでください
……そろそろ次の駅に着くようですね」
カリンは速度を落とし始めた窓の外を眺め、迫ってくる大きな駅を目の端に見つける。
マリアは腕時計を見ながらざっと頭の中でこの国の地理と時刻表を思い浮かべ呟いた。
「魔都ドミニエルまであと5時間といったところですかね」
「到着は夕刻になります。
仮眠をとられるのがよろしいかと」
「もう少ししたらそうさせてもらうわ。ありがとうカリン」
そう言ってマリアは棚に置いた荷物の中から一冊の本を取り出し開き始めた。
「相変わらずその御本がお好きですね、お嬢様」
その本は漫画であった。
この世界には漫画という文化はまだまだ浸透しておらず彼女のように愛好する者は少数派であった。
この世界の漫画はガストリスのとある魔族が初めて描いたものが始めだとされている。
彼女は本当に嬉しそうに綻ぶ笑顔で答える。
「ええ、美麗な絵柄と素晴らしい筋立てのお話なのよ。この作家さんにサインを頂くのも今回の旅の目的なのです」
「お嬢様……」
カリンは呆れたようにマリアを見つめる。
マリアは舌を出して眉を下げ済まなさそうに笑った。
「冗談です、でも半分は本当ですよ」
列車が駅に停車し数分が過ぎた。
アナウンスによるとメンテナンスのために15分は待機するとの事であったが何やら外が騒がしくなってきた。
やがて騒ぎに怒号が混じり始め何かあったのだろうか、とカリンが訝しく思い始めたその時だった。
轟くような銃声が列車の厚い窓越しからでも聴こえてきた。
微睡んでいたマリアが目を覚まして外を見遣る。
カリンが辺りを見回しマリアと共に窓の外を見つめた。
「マリアさま」
「何事かしら」
銃声が2度3度と響き渡った。
見ると銃を構えた数十名の男たちが駅員を押し退け列車へと乗り込もうとしているところであった。
よく見ると構内に赤い血を流しながら倒れる2、3名の駅員の姿があった。
マリアは怒りに声を震わせた。
「なんてことを……!」
「まずいです……こちらへ姫さま」
この襲撃は王女を狙ったものだろう。
急いでこの列車から撤退しなければならない。
とはいえ今、窓から降りれば目立つことは間違いない。カリンはマリアの手を引いて列車内の通路を移動し始めた。
しかし、逃走を図る2人の耳に駅員に乱暴を働く賊たちの荒々しい怒号が入ってくる。
思わずマリアはその足を止めてしまった。
※マリア・ジュペール・ドゥ・シュマ・ガル
エルフの国ズィーゲンの第一王女。次期国王。
この時点で18歳。
ソニアの姉。
妹と違い奔放な性格である。
日本には御忍びで旅行したことがあり東京ガイアンツのファン。