05:塩と砂糖
SNSのアカウントは、フォローしていた。それは一介のファンであるし、ゲーム情報も動画配信も知りたいし、なんら特別なことはなく、気軽に行われることだ。
まして相手はフォロワー数が数十万。有名人のアカウントを一般人がフォローすることなんてよくあることである。
絋季は趣味で動画配信もしているが、どちらかといえば他人の動画を見るほうが頻度は高く、SNSで配信報告はしていても彼らのように常に活発でもなければ、もちろんファンがついているわけでもない。同じ趣味を持つ人たちとつながって楽しくやり取りをしている場なのだった。
そこに届いた、一通のメッセージ。
通常のメンションではなく、一対一でやりとりするほうの機能だ。
【初めまして、突然のDMですみません。ゲーム実況をしている伯方と申します】
そんな出だしで、文字が連なっていた。
このときの絋季の心拍数はひどいものだった。
いつも千縁のことを窘めたりする立場なのに、手汗でスマートフォンは滑るし、何度もアプリを閉じたり開いたりしてしまうし、千縁が乗り移ったのではないかと思うくらい動揺してしまった。
先週開催されたゲームイベントのことが頭に浮かんで、絋季は考え込む。
握手ができるところは絋季にしてみたらさほど魅力ではなかったが、当たったわけだし、辞退するほど嫌なものでもないし、と千縁の後に続いたのだけれど。
「こんにちは」
たぶん朗らかな笑顔。スモークガラスのせいではっきりわからないが、本人が言うように日本人らしい顔立ちなのだろう。たぶん。
差し出された手をぎゅっと握ったら、思いのほか強い力で握り返された。
「伯方です」
いや、知ってるけど。思いながらそう言われたら絋季は反射的に口を開いていた。
「KOです。VR動画の羊めっちゃ笑いました」
先月アップロードされた動画を持ち出すと、相手は手はそのままにしてふはっと笑う。
「ああ、あれかぁ。目が回って大変だったんですよ。ぜひやってみて」
「ウッス。応援してます」
「ありがとう。――そしてすみません、動画コラボしたいです」
「は」
ぽかん、と目の前のゴーグル越しの目を凝視する。
伯方は絋季をまっすぐ見たまま薄い唇で微笑んだ。
「あとで連絡するのでよろしくお願いします」
たしかに、そう言っていた。そう言ったのだあの伯方さんが。
からの。このメッセージである。
ということは、どういうわけかあの握手会で自分が姉の動画を配信しているKOだとバレていて、伯方さんがその動画も見ていて、あのポンコツな傭兵と一緒にクエストを受注したがっているらしい。信じられないが、そういうことだ。
なにかおかしいな、と思ったことはあった。
握手会前後から姉のゲーム実況の再生回数が妙に伸びたのである。
インターネットは誰の目にも留まるから、何がきっかけで人の目に触れるかわからない。だから、こんなこともあるのだろう。実際、あの動画は身内の贔屓目を差し引ても笑えるものになっている。笑えるし、千縁が楽しそうだし、仲間内にも好評でなかなかよいできなのだった。
なにがあってもいいように、千縁とは当初から決まり事を設けて個人情報が特定されないよう気を配っていたし、危うい発言があったとしても編集でどうにでもできた。
千縁のことを周りはちーちゃん、ちよちゃんと呼び、ヨリと呼ぶのは絋季だけ。歳も3つ離れているから地元の友人たちが姉に会ったことはなく、そう呼んでいることを知っているのは親くらいだ。これは運がよかった。
それに、おっとりしている姉でもネットリテラシーの理解があったことも幸いだ。
見る人数が増えればコメントも増え、中には心無いことが書き込まれることもあるが、千縁は自分のプレイ動画は恥ずかしくて見たくないらしく、絶対に見ないと宣言もしていたからそのまま見ないように言っておいた。
聞いて喜びそうなコメントや、千縁の意に沿いそうなリクエストくらいなら伝えたが、動画配信と千縁は切り離しておいたほうが、きっと楽しくゲームができるのではないかと思ったのである。
まさか、と思い絋季はとっぷり夜が更けたことも気にせず、伯方の動画を漁った。
サバワーの動画の中でなにか言ったのだろうか。見てみたがそれらしいことはなく、千縁とは雲泥の差の軽やかな動きでクエストをこなしている姿しかない。
ならばとSNSで思いつくワードで検索しまくり、ネット掲示板にたどり着き、どうやら他の実況者との生放送中に、最近見ている動画の話題が出たらしい。その情報を頼りにまた動画を漁ると、一言だけ。一言だけ、ヨリの名前が出ていた。これだ。
千縁がゲームを始めるきっかけになった人が、一緒にゲームをしたいと言っている。
これは奇跡のようなことで、そして、なんだか胸が熱くなった。
こんなことがあるのかと、現実主義の絋季でも深い深いため息がこぼれる。
動画やSNSでしか人柄はわからないが、今まで数々のゲームを楽しそうにクリアしていっている伯方さんなら、初心者でおぼつかない千縁がゲームをすることを馬鹿にすることは、ないだろうと絋季は希望的憶測を持った。
実際に会ってなにかをするわけではない。今後の発言に気を付けて、距離を間違えなければ、きっと千縁も自分もまた、楽しくゲームができるのではないか。
そして素直に、伯方さんとゲームをすることが楽しそうだ。
一晩と一日考えて、絋季は伯方さんへメッセージを返した。
【KOと申します。突然のことに驚いておりますが、お声掛けありがとうございます】
こんなありきたりな書き出しをして、了承の内容を送ると返事はまたすぐ届いた。
何度か言葉を往復させると、あの声が話してくれているかのように思えてくる。こちらのほうが年下であることも知っているだろうに、伯方さんは終始丁寧だった。
千縁には内緒にしよう。
伯方さんがフレンド申請をしてくれることになったので、姉のIDも添付してよろしくお願いしますと締めくくった。
伯方さんはさすがだった。
あの千縁の、相手の攻撃に自ら当たってしまうようなうっかりさをうまく手助けし、やさしくアドバイスし、装備やスキルについても教えてくれて歩くお手本みたいな存在である。
明らかに下手である千縁のことを馬鹿にすることなどなく、こんなころもあったなあなんてこぼしながらあたたかく見守ってくれていた。
一緒にプレイするようになって、千縁もだんだん様になってきたのがすごい。
人数がいて、なおかつ手練れが混ざっているから今までとは比べものにならないくらい戦利品が集められる。装備が整うとさらに戦いやすくなる。スキルポイントもたまって、ますます戦いやすくなる。好循環だ。
伯方さんが一緒にできないときでも、千縁は自分でストーリーを進めていて、交流が始まって三か月たったころには一丁前の装いになっていた。
もちろん、お粗末な操作であることはマシになったがまだまだだけど。
「はあぁ……最後だあ」
このゲームのメインモンスターと言われている焔の龍獣を倒すことが、ストーリーモードの最終とされている。
クエスト自体は日替わりもあるし、サイドストーリーもあるからやりこむとなると果てしないが、本編を終わらせることを目標としている千縁にとっては、最後が目前であった。
『大変だけど、楽しいからね。頑張りましょうか』
『は、はい』
そろそろ慣れてもいいだろうに、まだ逐一緊張している千縁に苦笑して、絋季もステータス画面を開きながら声をかける。
「ヨリちゃん忘れ物しないようにね」
『わ、わかってるよぅ」
「毒消しと回復薬間違えないでね」
『わかってるってばっ』
しばらく前に、そんな初歩的なミスをして伯方さんに慰められていたはずだが。
そんな千縁がもうラスボスとご対面かあ。絋季は妙に感心してしまった。
チュートリアルで死んでいた姿を思えば、感慨深くもなる。自分だけだったらここまで千縁の面倒はみれなかったかもしれない。伯方さんさまさまである。
『それじゃあ、行きましょうか』
『ひゃい』
ひゃいて。
相変わらずあわあわしている千縁と、それを受けて穏やかに笑っている伯方に、傍観者である絋季はひっそりニヤつく頬を隠す。
間違いなく、あと一時間もしたらクエスト完了の軽快な音楽が鳴り響くだろう。
そのときのうれしそうな顔を思い浮かべて、絋季は招待コードの承認ボタンを押した。