03:その手は熱かった
「ヨリちゃんさあ、伯方さんに会ってみたい?」
唐突に絋季が言った。
デビュー戦からすでに一か月。あれから何回も傭兵になってクエスト消化に燃えている千縁は、きょとんとして弟を振り返る。
「そりゃあ会えたら素敵だけど」
伯方さんの動画は、サバワー以外のものを相変わらず見ている。
どういう生活をなさっているのかわからないが、彼は一週間に何本か動画を上げるし、その内容も数種類のゲームを同時進行していたり、単発だったり、気まぐれに生放送だったりする。
最近はオバケのパズルゲームを携帯機でやっているらしく、その動画を朝見ながら支度をするのが千縁の日課になりつつあった。
「ゲームイベントがあって。ゲストが伯方さんなんだけど」
「え!」
「ペアチケット、なんと」
「な、なんと?」
ごくり、と千縁の喉が鳴る。
絋季がたっぷり溜めをつくってから、封筒を取り出した。
「当たっちゃったので」
「えええええええ!」
そんなこんなで、二か月後。
二人してイベント会場にやってきたのである。
ゲーム会社が企画したこのイベント、新作が発売したばかりでもちろん伯方さんもプレイしている。その伯方さんがプロデューサーさんたちの解説を受けながら生で実況プレイするというものだった。
しかも終わった後に握手会もしてくれるらしい。
チケットの倍率は数100倍だったのではないかとの噂もあるらしいが、握手会もあるため人数が少ないからだろうと絋季は言っている。それを当てる運がすごいけれども。
たくさんの人が集まるホールには、男の人が多かったが、それでも女性が珍しいわけではなく、ゲーム実況とはいえ伯方さんの人気ってすごいんだなあと千縁は勝手にドキドキした。
大きな大きなスクリーンに、ゲーム画面が映ってる。
司会者が挨拶して、企画者が挨拶して、そこで紹介されて舞台に出てきた姿に大歓声が上がった。顔はどうなるんだろうと思っていたら、鼻近くまでゴーグルで覆われているヘルメットをかぶっていた。
すらっとした身長に、白シャツ、黒スキニー。
伯方さんがそこにいた。
ゲーム実況は怒涛だった。
目の前で行われていることについていくだけで必死だったし、伯方が話すたびにいろんなものが脳内から吹っ飛んで行ってしまうような気さえしてくる。工作員である主人公がミッションをこなしながら敵対組織の核心に迫っていくゲームなのだと思うが、アクロバットな動きをさせている伯方さんがすごくて、すごいのに声は穏やかで、会場の歓声と笑い声の渦に千縁はもみくちゃにされた。
楽しかった。情報量と勢いのよさでよくわからなくなっているが、とにかく楽しかった。
ミッションコンプリート! の画面に伯方さんがガッツポーズして、大歓声と拍手が沸き起こったあとには、休憩を挟んで握手会である。
「こ、コウちゃんどうしよう。手汗とかどうしよう」
三十分後には1番の人から順に握手という説明がアナウンスされ、まだ当分先なのに千縁は緊張で死にそうだ。
隣で絋季がため息をついた。
「ハンカチで拭いたらどう」
「拭いても湧いてくる……困る……」
ごしごししても、じわっと浮かんでくる水分。
カサカサに悩まされる身としてはうるおいは歓迎したいが、今だけは鳴りを潜めてもらいたいものである。
「……もうハンカチ挟んで握手したら?」
「握手会なのに!? ハンカチ越しにするの!?」
「ベッタベタよりいいじゃん」
自分は緊張も何もないからって、まったくもってひどい。
周りで会話が聞こえていただろう人からくすりと笑われて、千縁は顔が真っ赤になる。もう! コウちゃんのせいだからね! ヨリちゃん人のせいにしちゃだめだよ。なんて言い合っていたら三十分なんてあっという間だった。
そうなると、言うまでもないが握手会が始まり列形成され、待っている時間もあっという間だった。手汗は引くことを知らなかった。
「こんにちは」
「ひゃい!」
目の前に、伯方さんがいた。
いかついヘルメットとゴーグルをしているけど、薄い唇から紡がれる声はまぎれもなくあの穏やかな声である。
差し出された手に、おずおずと自分の手を伸ばす。
スモークがかったガラス越しにうっすら目の輪郭が映っているが、背をかがんでくれているところとか、びっくりするくらいしっかり手を握ってくれたとか、いろんなことで千縁の頭はいっぱいだった。
見かねたのだろう。少し離れたところから、聞きなれた冷静な声が飛んでくる。
「……ヨリちゃん、言いたいこと伝えないと終わっちゃうよ」
「わわわわわかってるよぅ。――あのあの、」
ようやく千縁が口を開くことを思い出すと、伯方さんはさらに耳を近づけてくれる。
「はい」
「あの、あのぅ……とっても応援してます、風邪、ひかないでください」
「ありがとう」
「ああああありがとうございましゅ!」
噛んだ!!!!!
ぽんぽんと背後に控えたスタッフに肩を叩かれ、握手タイムの終わりを告げられる。
ほかほかの手には、ぎゅっと握られた感覚がまだ残っていて、千縁はふらふらと出口に向かった。頭がパンパンだった。
ありがとうだって! あの優しい声が、千縁に向けられていた。たった一言だったとしても、手も、体も、胸も、熱くて熱くてたまらなかった。はあ、と大きなため息がこぼれた。
絋季は何を言ったのだろう。
出口でそわそわ待っていると、絋季はなんだか変な顔をして出てきた。
「どうかしたの?」
「いや、うーん……いやよくわかんないけど。そんなことより、ヨリちゃん最後噛んでたでしょ」
「ううううるさいな。忘れたいんだから言わないでよぅ」
やさしい声が響いたあの一時をいい思い出にすべく胸をいっぱいにしていたのに。
冷静な弟はいつだって現実に引っ張り上げてくれるのだ。