02:オフライン始めました
千縁のデビュー戦は、仕事が休みの週末になる。
それまでにゲームソフトを購入し、アカウントを作り、伯方さんの最新作サバイバルワールドの動画を見ることを禁じた。見たいけれど、新鮮にゲームそのものを楽しむためである。
体験版先行プレイ動画だけは見てしまったが、そこに千縁は初めてコメントを書き添えて名残惜しさを断ち切ったりなんかもした。
一方の絋季は週末に合わせてバイトを調整し、食料も買い込んで千縁を籠城させる気まんまんだった。付きっ切りでデビュー戦を観戦するつもりには呆れたが、それでも千縁にとって頼りがいがあることには違いないので気にしないことにする。
そして迎えた土曜日。
居間にしている共有スペースのテレビは、絋季がゲーム機やらマイクやらをつなげていつもより賑やかになっている。けれども千縁が思っていたほど仰々しいものではなかったので、内心で拍子抜けした。動画撮影とはいっても、これならあんまり気にならなそうだ。
動画にもいろんな撮りかたがあるが、絋季がやろうとしているのは伯方さんと同じスタイルで顔出しはせず、プレイ画面のみとのこと。
なにか変なこと言っちゃっても編集するから大丈夫などと言う。
そういうものかと思い、千縁は手元の円盤を、おそるおそる、黒い機械に吸い込ませた。
絋季が挨拶みたいなことをなにか言っていたが、何度も動画で聞いたオープニングの音楽が流れ、恐ろしくきれいなグラフィックが映し出されると千縁は言葉がどこかに行ってしまったんじゃないかと思うくらい、目の前のものに圧倒されてしまう。
ゲームは数あるミッションをこなしていくことでストーリーが進んでいくものだ。
前作にも登場したおなじみのモンスターや新しいものを討伐したり、町の人の困りごとを解決する手伝いをしたりしながら、スキルを身につけ、装備を揃え、自分好みにキャラクターを育てていくのである。
今作の舞台は、火山のある島。
ドラゴンとコンドルを足して割ったような、真っ赤なモンスターが王者として君臨している世界らしい。
「難易度は?」
絋季が画面に並ぶ五択を前に、千縁を振り返った。
千縁は持ち慣れぬコントローラーにぐっと力を籠める。
「ノーマルで」
「……強気だね」
「え、なんで? 標準て意味でしょ、標準て難しいの??」
「いや、うん、まあいいんじゃない」
な、なんだろう、初めから不安にさせないでほしい。
「あと、ヨリちゃん。僕きっとたくさん笑うけど、馬鹿にしてるわけじゃないから。どちらかというと微笑ましい感じだから」
「まだ始めてないでしょっ」
もう! わかったような顔して生意気! ぷりぷりすると絋季がニヤニヤしたので千縁は無視して画面に目を戻した。
まごつきながら自分のキャラクターの見た目を整えて、えいっとボタンを押すと、目の前には小さな町の一角と、今自分が作った背中。
わあ、と無意識に声がこぼれた。
始まった! 始まったぞ~サバイバルワールドだ!
ポコンというかわいい音と一緒に、毛皮をまとったお姉さんが千縁に声をかける。このへんじゃ見ない顔だね、新しい傭兵さんかな? なんて言いながら、この町のことを話しだし、至極丁寧にこの世界について教えてくれる。
『武器は、持ってるね。地図は……よぉし準備万端じゃないか』
「わーい」
『自分のことを確認したいときは△を押すんだ、覚えておきな』
「わ~! 丁寧だねえ、やさしいねえ。ありがとうございます」
『ちょうどいいや。入り江にならず者がいて困ってるんだ、どうにかしてくれよ』
「ひゃい」
ぶふっと隣で絋季が吹き出した。
けれども千縁は入り江に行くことに精いっぱいだから気にしていられない。お姉さんが言うには北に少し行ったところらしいので、気合を入れて駆けだした。
「ま、ままって! R3? ど、どこ???」
ならず者とはすぐに対面することになった。
戦闘になるのは当然の流れだったようで、画面の端にボタン操作の指示が出て、持っていた短剣を抜刀し、大きく振りかぶって飛び込む。
「あわわわわわわ、わっ! まってまって二対一なんてずるいよう!」
一人に向かえば、横からもう一人くる。
動きはそんなに早いわけでもなさそうなのに、千縁のほうがもっと遅かった。
「痛い痛い痛い! やめてやめてかわいそう……ぎゃあ!」
もがいてわちゃわちゃ動いていたけれど、千縁のキャラクターが血を流して地面に転がった。画面が暗転するのを唖然と眺める千縁の横で、絋季が腹を抱えてソファーに倒れる。
チュートリアルで死亡!! マジかよ!! げらげら笑っている弟を恨めし気に見つめるも、元気100倍なならず者との出会いを繰り返し始めた画面に、千縁は慌ててコントローラーを構えた。
そのあとにさらにもう一回同じことを経験した千縁は、なんとかお姉さんの依頼をこなして傭兵生活のスタートをさせることができた。大変だった。
町には自分の拠点になるギルドがあり、その裏手にある畑や物置などは千縁が自由に使ってよいとお姉さんに言われる。サバワーは他のプレイヤーとオンラインで遊ぶことができるが、それはクエストに限られるためこのスペースは千縁専用のものになるらしい。
また、畑の管理などはこの世界の住人である二足歩行の動物たちが手伝ってくれるというので、千縁はうきうきと裏手に回った。
「ええと、【話しかけると収穫させてもらえます】……収穫かあ」
畑のところには服を着た猫が横になって寝ていた。これがきっとお手伝いさんなのだろう。
「……起こすの? かわいそう」
千縁はたわわに実るトマトっぽいものたちと、すやすや寝ている猫っぽいもののまえで立ち止まる。
「話しかけていいのかな、きもちよさそう」
操作が下手でごつんとぶつかっても、猫が起きる様子はない。すやすやと聞こえる寝息、ぽかぽかした日当たりのよさ。これはきっと千縁がそこにいても同じようにまどろんでしまうかもしれない。
「うん。起きてるときにしよう」
畑は諦めて、反対側にあった大きな箱の横にいるウサギのお手伝いさんに近づく。背丈は千縁のキャラクターの腰にも届かないほど。そのサイズで服を着て耳をぴくぴく動かして話してくれるのが大変かわいらしかった。
『持ちきれないアイテムや装備は、ここに入れて管理できるよ~』
「わあ~ありがとう~」
まだほとんど何も持っていない千縁は預けるものがなかったけれど。
そこでまた畑を振り返ったがまだ猫はまるまっていた。
「まだ寝てるねえ。よく寝るねえ」
それならば、次だ。
ちょろちょろと水が湧き出ている小さな池にいくと、キツネのお手伝いさんがくるりと回って池を覗くように言う。
「なになに?」
『回復薬がたま~にできるから、こまめに覗きに来るといいよ』
「すごい! でもそんな貴重なのにわたしが独り占めしてて大丈夫かな……」
この世界で回復薬は売っているし、欲しい人はたくさんいるだろうに。親切すぎやしないだろうか。他の傭兵にばれたら袋叩きにあいそうだ。千縁の腕だと一瞬で負けてしまう。
内緒にしておかないと、なんて呟きながらそこでまた畑を振り返った。
「まだ寝てる」
猫はすやすやしている。
「お、起きなくて大丈夫なのかな。お腹空かないのかな」
また猫のすぐ横に立ってみたが、やはり彼もしくは彼女はうんともすんともいわない。夜行性なのだろうか。
うろうろする千縁に、わざと黙っていただろう絋季が耐えかねて口を開いた。
「ヨリちゃん、それたぶんデフォルトで寝てるから話しかけないと永遠に起きないよ」
果たして。猫はうにゃあ~と欠伸をしながら起きた。話しかけたらすんなりと。
ぐぬぬぬ、と変な唸り声を上げた千縁に弟はずっと大喜びである。こんなにテンションの高い絋季は滅多にお目にかかったことがないのに。千縁はむくれるが、それもつかの間。お姉さんがおーい! と呼ぶので慌てて駆ける。
無事に自分基地の使い方を覚えたはずの千縁に、それじゃあ初仕事だね! とお姉さんは溌溂と笑った。彼女から紹介されるクエストを前にすると、先ほどの拗ねたい気持ちなどどこかにいってしまう。
千縁は張り切って傭兵稼業にいそしむことにした。
「むり! むりむりむり!! こ、こんなの死んじゃうよ!」
竜の牙5個納品のクエストは、おそらく初心者向けで難易度も一番低いものだった。町からほど近い岩場によく生息しているモンスターからはぎ取れるもので、千縁は今、そのモンスターを前に剣を振り回している。
「死なないように頑張って」
「ぎゃあ! 吹っ飛んだ!」
「早く起きて立て直さないと」
ひとしきり笑っていた絋季も、ようやく助言をくれるようになったのだけれど。
簡単に言ってくれるが、千縁の指は動かしているのにうまく動いていないらしい。愛着がわいてきている自分のキャラクターが尻尾で弾かれ岩に叩きつけられた。
「あああああああ! な、なんで大丈夫なの?? 息の根とまるよ??」
「ヨリちゃんならね~でもこれゲームだからね~」
「お、おかしいな。他のプレイヤーさんこんな無様じゃなかったよ??」
「無様て」
なんとかかんとか、5体倒して牙を手に入れ、一目散に町へと戻る。
汗だくだった。キャラクターがではなく、コントローラーを握る千縁がである。
お姉さんに戦利品を納品し、クエスト完了の文字が出て、そこで大きな大きなため息がこぼれた。
「どうだった、初プレイは」
「指が足りなかった……」
手も痛いし、頭もくらくらする。ゲームってすごい。
ぶふっと吹き出した絋季の笑い声で、千縁のデビュー戦の幕は閉じられてしまった。