第9話:苦い再会なんですけど
フィネッサが予想以上の、というか想定外の魔法の才能を見せ付けた事で取れる選択肢が増えた。それは商人達の護衛として目的地に向かう方法だった。
あれから少しの手ほどきをしただけで生前の私と遜色のない力を手に入れたフィネッサ。思う所はあるわよ。私だって魔法は特訓して得た力なのに。才能というのは理不尽なものね……。
「いや、助かりましたよ。貴方様のような立派な魔法使い様に護衛を務めて頂けるなんて」
「いえ、構いません。私も目的の場所へと向かう為ですので」
今回、フィネッサを護衛として雇ったこの商人は昔から領主、つまりは先王陛下と契約して領地に食料など必要な物資を届けているそうだ。
護衛を雇うだけのお金は渡されているそうなのだけども、それでも危険な旅路になる。好んで護衛をしたい者も少なく、値段をふっかけられる事も多かったという。
それで指定額のまま受けてくれたフィネッサを見て、最初は懐疑的な顔をしていた。それもフィネッサの魔法の腕前を見て、あっさりと掌を返したけれど。
「水の魔法は良いですね、水の節約も出来ますから」
「旅において飲み水は大事ですからね」
「えぇ。こればかりは縁が無かったと思うしかないのですが。ところでフィーさん、貴方様はやはり身分の高い御方なのでは……?」
「そこは秘密でお願いします」
「いえ、不躾でしたね。もしフィーさんさえ良ければ倅の嫁になんてどうかとも思ったんですが」
「まだお会いしたばかりですし、商人になりたいとは思っておりませんので……」
「いやいや! それは失敬しました!」
商人とフィネッサは良好な関係を築けてるみたいね。商人もあわよくば、という事で本気という訳ではなさそうだし。あくまで社交辞令、談笑の空気は非常に穏やかなものだった。
けれど、その一方で悪くなっていくものがある。それは周囲の景色だ。交易の中心とも言えるパスラインから離れていくとどんどんと荒廃した景色が目に飛び込んでくる。
打ち捨てられ、風雨に晒された建物の残骸。野盗にでも襲われたのか、破壊された荷車が道の端にそのまま捨てられていたりと、見ていればだんだん胸が苦しくなってくる光景ばかりになってくる。
(……こんな状況が罷り通っているのが今の国なのね)
なんて醜い。景色ではなく、その向こうに透けてみえる治政者達の浅ましさが。
己の力を有効活用する為に支持してくれる民を選び優遇しなければならないのはわかる。けれど、だからといってそれを免罪符にして民を切り捨て続けるのは許されない。
その為の選択肢をかつてアルマーティア王国は持っていたのだから。それを手放してしまったのは現国王であるレオニスタの愚策に他ならない。そして、その隣にいるフレイアの思惑のままに。
(……私のせいなのかしらね)
この景色が、私が死んでしまった事で生まれてしまったのなら。これは私が背負うべき罪なんじゃないかしら?
一人、内心で呟いた問いに返って来る答えなどない。当然の話だ、それでも私は自分に問い続ける事を止める事が出来なかった。
そうして商人の護衛として旅を始めて数日後の事、私達は目的地である先王陛下達が治めている領地へとやってきた。
「ここからがヒドゥルス領ですさぁ、昔は観光地として栄えた地だったんですがねぇ。今はご覧の有様ですさ」
「……観光地だったと言うには、随分と畑が多いですね」
「えぇ。元々はお隣のヒュードラ公爵家の領地から食料をたんまりと貰って、相互関係にあったもんですさ。それがヒュードラ公爵家が爵位を返上してしまってから、あそこは罪人の流刑地になったでしょう? 観光資源で食ってたヒドゥルス領も大打撃ですさぁ」
かつて美しい景観が売りだった思い出の土地は、すっかりその景観を畑によって埋め尽くされた地へと変貌を遂げていた。
思い出の景色、豊かな自然が織り成す緑の美しさが失われていた事に私は少なからずショックを受けていた。また一つ、過去の良き思い出が私から剥ぎ取られてしまったかのような痛みが胸に走る。
「ここで食料を生産しないと罪人達が流刑地から出て悪さしないとも限りませんからねぇ。そうはさせまいと、先王陛下……ライオネス様が尽力してくださいますがねぇ」
「……やはり国からの支援は?」
「雀の涙でさ。今の国王様は自分が抱える農地の手入れに熱心ですからねぇ。自分達の意に沿わない奴にはとことん冷たいお人ですよ。王妃様だって、昔は平民から聖女に、そのまま王妃になった時は人気が高かったんですがねぇ。国王様の暴挙を止めないんじゃ同類ですよ。地方に行けば行くほど、最早あの方を聖女だなんて呼ぶ人はいませんよ」
「……そうですか」
地方に行けば行く程、やっぱり民の心は現政権からは離れてしまっているのね。
先王陛下達は、今のレオニスタとフレイアの事をどう思ってるのかしら。それがちょっと気になるわね……。
フィネッサが遠ざけられていたって事は、良好な関係ではないんでしょうけど。この状況を招いてしまったのが、私のせいでもあるからどうしても気になってしまう。
(生前は……娘のように扱って貰ったわね。将来的に娘になるのだから、それも自然な話だったんでしょうけども)
私が死んでから、先王陛下はどんな気持ちで時間を過ごしたのか。そう思えば気になってしまって仕方ない。せめて、どうかご健勝であらせられる事を祈るしかないのだけど。
そんな私の願いが、裏切られてしまう事をこの時の私はまだ知らなかった。
* * *
ヒドゥルスの領地、その領主館に今、先王陛下は住んでいる。商人と別れた後、フィネッサは真っ直ぐ領主館へと向かった。
門番である兵士が門の前で待っており、近づいて来たフィネッサに対してその手の武器を向ける。
「何者だ。この領主館に何用か?」
「事前の前触れも無く、突然の訪問を誠に申し訳なく思っております。私はフィネッサ・アルマーティア。お祖父様……ライオネス先王陛下にご面会させて頂きたく、参上致しました」
顔を隠すように被っていたフードを下ろして、素顔を晒しながらフィネッサは自分の名前を告げる。
フィネッサの顔を見た門番は、その表情を驚愕へと変えてフィネッサの顔を凝視している。まるで信じられないと言った様子でだ。
「まさか、本当に姫様でございますか?」
「はい。証となるものならばこちらに」
フィネッサは懐から王家の家紋が入ったペンダントを見せる。ペンダントが本物かどうか確認するように門番が確認し、ほぅ、と息を吐いた。
「……本物のようですな。少々お待ちを、館の者にお伝えして参ります」
「ありがとうございます。突然の訪問につきましては謝罪の一言もお添えください」
門番は一礼をし、詰めていた他の門番に何やら指示をしているようだった。一気に慌ただしく動き始めた門番達を見ながらフィネッサは大人しく待機している。
「申し訳ありません、館の者から指示を受けるまではこちらでお待ちください」
「はい。構いません、どうかお気遣いなさらずに」
門番達の詰め所に待つ事になったフィネッサはやはり注目を集めているようだ。忌避されてるといった様子はないけれども、それでも警戒と疑問は抱かれているのか友好的な空気ではない。
話しかけてくるような者達もいなかったので、フィネッサはただ静かに次の指示が来るまで待ち続けていた。
「フィネッサ王女、大変お待たせ致しました。ライオネス様がお会いになられます。どうかお部屋までどうぞ」
状況が動いたのは、身なりの良い老執事が姿を見せてから。その老執事に私は見覚えがあった。時の経過ですっかり老けてしまっているけれど、王城の給仕長を務めていた王族専属の執事だ。
名前はイグル。元々、平民の出身らしく先王陛下がお忍びの時に友情を育み、そのまま自分の専属の執事兼護衛として雇ったのだと先王陛下からお伺いした事がある。
私のお父様と面識があって、私も少し面倒を見て貰った記憶がある。そんな記憶の中の彼に比べて、すっかりとイグルは草臥れてしまったように見える。
「突然のご訪問に対応して頂き、感謝致します」
「いえ。ライオネス様もお喜びになっておられます」
「……スノトラお祖母様はご健勝でしょうか?」
ぴくり、とイグルが肩を僅かに跳ねさせた。私はその僅かな仕草に嫌な予感を感じてしまった。
スノトラ・アルマーティア王妃。私が憧れていた女性で、ライオネス先王陛下と一緒に私を可愛がってくれていたあの人。
「――スノトラ様は、すでにお亡くなりになられました。もう十年ほど前の事でございます」
今の私にとって変化とは残酷な事だ。私がいなかった空白の時間は、嫌でも私から大事なものを次々と剥ぎ取っていくのだから。
* * *
「良く来たな……フィネッサ。儂の顔を覚えているだろうか……?」
「ライオネスお祖父様……」
イグルによって案内されたのは先王陛下、ライオネス・グラン・アルマーティアの私室。そのベッドの上で上半身だけを起こした状態で先王陛下はフィネッサを迎え入れた。
まるで枯れ木だった。手足はすっかりと細くなり、頬も痩せこけている。かつて王としての威厳を見せ付けていたお顔はすっかり覇気を失ってしまっていた。
あるのは積み重ねた疲労の色のみ。お体の具合も決して良いとは言えないように見える。私はフィネッサの後ろで呆然とする事しか出来なかった。
「申し訳ありません、やはり覚えてはいません。物心がつく前とは聞いていたのですが」
「良い。儂とお前は会う事を憚られていたからな。まさか、お前から訪ねてくるとはな……大きくなったな」
「ありがとうございます。……スノトラお祖母様の事は、先程聞きました。遅れながら祈りを捧げさせて頂きたく思います」
「うむ……儂は最後の最後まであやつに苦労をかけてしまった。それが心残りだが、お前が祈ってくれれば少しは報われるだろう」
「……お祖母様は何故、お亡くなりに?」
理由を問いかけたフィネッサに先王陛下は後悔が滲みきった苦笑を浮かべた。布団の上で握り合わされた拳が静かに震えている。
「……過労が祟った所に流行病にやられたのだ。悔やんでも悔やみきれぬよ」
「……父上と母上のせいですね」
「そんな事を言うでない。このヒュドルス領を預かろうと言ったのは我々なのだ。それしか儂には罪滅ぼしが思い浮かばなかった。付き合わせてしまった事には後悔ばかりが募るがな……」
自分の両親を、先王陛下にとって息子とその妻を責めるように口にしたフィネッサを咎めるように先王陛下は静かに首を横に振った。
過労が祟った所に流行病。不幸だったとしか言えないのかもしれない。でも、そもそも原因を招いたのは……レオニスタであり、フレイアであり、そして私だ。
もしも拳があるのだとしたら、私は血が滲むまで拳を握り締めていた事でしょう。それ程に悔しかった。
「それで……フィネッサよ、お前はどうして儂の下へ? よくレオニスタが許したな」
「はい。お祖父様、私は失伝してしまったヒュードラ公爵家の偉業を取り戻したく思っております。もう一度、この国を水害から守り、救う為に。その術をここに学びに来たのです」
フィネッサの宣言に先王陛下は驚愕に目を見開き、僅かに口を開いて呆けながらフィネッサの顔を見つめる。
すぐに気を取り戻した先王陛下はフィネッサから目を逸らし、視線を俯かせてしまった。その姿に力はなく、疲れ切った老人の姿があるだけだった。
まだ老人と言うには先王陛下はお若い。それでも、もうその姿が晩年が迫る老人のようにしか見えなくなっている。それが酷く……私には悲しかった。
「……その心意気は見事と褒め称えたいがな、フィネッサよ。それは難しいのだ。ヒュードラ公爵家が無き今、以前ほどの治水を施すのは難しい」
「はい、それは私もまだ不勉強ながら感じています。ですが、私はそれでも座して待つ事は出来ませんでした。その祈りに応えてくれたものがいます。ですから私はかつての偉業を蘇らせたいと思うのです。――イードゥラ」
名を呼ばれた。姿を現せ、という事なんだと察した私は少しだけ躊躇った後、実体化をしてフィネッサの腕にその身を絡みつかせる。
姿を現した私を見て、先王陛下が今日一番の驚きの表情を見せた。そして忘我したように私を見つめている。
「……白蛇……あぁ……! まさか……そんな……!」
「久しくこの国より失われていた守護聖獣を私は賜りました。かつての栄光を取り戻せと、それが私に託された使命なのだと思っております」
フィネッサが引き締めた面持ちで言うけれど、どうにも先王陛下は忘我しすぎて話を聞いていないように思える。それだけ私、白蛇がここにいるという事実に驚かされているのか。
すると先王陛下が握り合わせていた手を解いて、震える手で私へと手を伸ばしてきた。
「……〝ラーナ〟」
そして、私は名前を呼ばれてしまった事で身を竦めてしまった。
え? まさか、私だと気付いた? 驚きのあまり、私は言葉を失ってしまったけれど、それは誤解なのだと次の先王陛下の姿を見て理解した。
「……お、おぉ、ラーナ……すまない……すまない……! 儂はお前を……お前を守ってやれなかった……! お前を失い、友は去り……白蛇の加護は失われた……! 全ては儂の不徳だった……! 全ては、儂が……儂が悪いのだ……すまぬ……すまぬ、ラーナリアス……! 儂は……儂は……!」
フィネッサどころか、もう私すらも見えていないようだった。ただ譫言のように謝罪を繰り返し、己の顔を両手で覆ってしまっている。
すっかりと気が動転してしまっている先王陛下を気遣うようにイグルが支えて、無言で視線をフィネッサへと向ける。今は落ち着かせた方が良いと、そう言っているかのように。
フィネッサもそれを感じたのか、静かに一礼だけして部屋を後にする。私は部屋を去るその間際まで先王陛下の姿を見つめ続けていた。
慟哭するように謝罪を繰り返しながら、涙ながらに許しを請い続ける先王陛下の姿を扉が閉まる事で遮られるまでずっと、ずっと。
私にはただ、見ている事しか許されていなかった。