第8話:貴方は誰なんですか?
――フィネッサ。貴方は私の可愛い娘よ。
母の教えは母が全てだと思う事だった。些細な好みの違いも認められない。全ては母に合わせて、私という人格は第二の母であれと塗り潰された。
それでも私は母とは違う人間で。どれだけ母に容姿を似せた所で、その魂まで母と同じになる事はなかった。
それでも、私も母のようになる事を夢見ていた時期が無かった訳じゃない。それは甘くも懐かしい、そして私の胸に突き刺さる罪の証。
幼く母の教えが絶対だった私は、傲慢で我が儘な王女だった。気に入らなければ侍女をクビにし、逆らえばどんな貴族の子供でも鞭を打った。
母は笑った。それでいいと。私も笑った。これでいいのね、と。
――フィネッサ、貴方は可愛い子。どうかそのままでいて頂戴。
愚かで、浅ましくて、我が儘で。世界一可愛い女の子が私。我が儘を言う事こそが王族としての権利で、当然の姿だと思っていた。
そんな私の目を覚ましてくれたのは、私と同い年で遊び相手の貴族の令嬢だった。毎日、同じドレスを纏っていた彼女に無邪気で愚かな私は言った。
――ねぇ、なんで貴方は毎日同じドレスなの? 見飽きたわ。
彼女はただ、私の言葉を静かに受け止めていた。怒る訳でもなく、嘆く訳でもなく。ただ一心に私を見つめて。
――これは母の形見なのです。
――形見ってなぁに?
――最後にお母様が私にくださったドレス。そして、これが最後の一着なのです。
もうお母様がいないという彼女に、純粋に可哀想という思いが芽生えた。もうお母様がいないなんて、ドレスが貰えないなんて可哀想。
――貴方ってとっても可哀想なのね。
あぁ、愚かな私は無邪気に毒を振りまく。それでも彼女は怒らず、淡々と語ってくれた。
――フィネッサ様。私を可哀想と思う気持ちを、その憐れみを忘れないでください。
――? 何で?
――いつか、きっと。覚えておかないと後悔してしまいますから。
彼女の言う事は何故か、すとんと私の胸に落ちた。怒る訳でもない、否定される訳でもない。こうしなさいと言われた訳じゃない。ただ、知っておきなさいと。
彼女は私の知らない物語を知っていた。私の知らない景色を知っていた。もうお母さんから何も聞けないのに、たくさんの事を知っていた。
凄い、と。素直にそう思った。姉という存在を知った時、彼女が姉であれば良かったのにと強く願った。
――ダメじゃない、フィネッサ。
そして、彼女は。
――娘が勝手に動いちゃ。
母が、彼女は死んだと言った。死に目にも会えなかった。幼い私には理解出来なかった。どうして彼女が死ななければならないのかわからなかった。
可哀想なあの子、可哀想なんだから幸せにしてあげなくちゃ。お母様の言いつけを破るのは怖い。だけど、知りたくて、どうしても会いたくて。
――馬鹿ね、あの子も。姫様に余計な知識を吹き込むから。
――シッ、どこで誰が聞いてるかわからないわよ?
――王妃様も恐ろしい。姫様を無知でいさせようと友達を選ばれる。
――意に沿わねば塵芥のように殺すのだわ。
――逆らえない貴族の子供を選んで、まるで人質だわ。
“呪縛”が解けたのは、囁き合う侍女達の会話を盗み聞いてしまったから。
私は無知でなければいけない? 私は人形だから? でも、私は人間よ。どうして、どうして?
彼女は母の死を嘆いていた。形見のドレスだって大事にして、もうこれ以上ドレスを贈られる事はないのだと悲しそうにしていた。
それに胸を痛めてはいけないの? 相手の気持ちも知らずに、ただ好きなままに振る舞う事が私に望まれたものなの?
私は結局、姉のように思っていた彼女の“名前”を知る事はなかった。そんなの異常だとは思わなかった。そんな私が、それが人形だと言うのなら。
――私は、貴方を“母”だなんて思わない。
* * *
――酷く懐かしい、反吐が出そうな夢を見た。
「……朝ですか」
身を起こして、そっと息を吐く。眠っている間に見ていたのは、もう何度も繰り返してきた悪夢だ。ここ最近は夢を見るような暇もなかったのか、夢そのものを見ていなかったけれども。
あの日以来、私は母に逆らうようになった。“お友達”はいなくなり、従者や護衛も監視のようだった。そんな中で私が出来たのは耳を澄ます事だった。
誰が利用出来て、誰が私の敵なのか。まるで一本のロープの上を歩き続けるような人生を送ってきた。人の振る舞いを見て、覚え、人の反応を窺い、何が最善なのかを探す。
かつて無邪気に母の教えに従っていた。だが知れば知る程、彼女は“人でなし”だった。聖女と言われているのはなんだったのか、民相手にはともかく貴族相手には母はまるで怪物のようだった。弱者は見下し、力あるものを抱き込む。
あの媚びたような瞳には怖気が走る。なまじ、同じ顔だからあれが私の辿っていた可能性かと思えば恐ろしい限りだ。けれど、それが母の力だという事も知っている。あの保たれ続ける若さはそれだけ人の心を奪う魔性そのものだ。
(表向き、お父様が政治を担っていますが……その裏にはあの母がいる)
この国は病んでしまっている。本来あるべき王権の形は失われ、少しずつ歪んでしまっている。その原因を担っているのは間違いなくあの母だ。
けれど、自分にあの母をどうにかするだけの力はない。ささやかな抵抗で知識を集め、自分を磨き、生き残る術を身につけてきた。
そして今、王都から放逐されたこの瞬間が私にとって最大の好機だと思っている。ここで私が何かを為せねば、この国を病ませる結果になってしまう。
(……でも、どうすれば良いのか私にはわからなかった)
とにかくあの牢獄から抜け出す事が重要だった。母は私の命まで奪うつもりはないのか、私から目や耳を奪う事はしていても直接的な手は出して来ない。それは私が王女だからなのだろうと思う。
アルレオお兄様が次の王となり、世継ぎを産んで安定させるのを待っているのか。それはわからないけれど、完全に動けなくなる前に自由が欲しかった。
そして自由は手に入れた。だけど、思ったよりも世界は広くて大変みたいだ。机上や本の中だけの知識では役に立たない。
『あら、起きたのね。フィネッサ』
「……イードゥラ」
私に声をかけてきたのは、しゅるりと腕に絡みつくようにその体を巻き付けて来た私の守護聖獣、イードゥラだった。
私はイードゥラの頭を撫でながら思う。この子との出会いは私の人生で一番幸運だったと。
ハッキリ言って私の守護聖獣は“普通”じゃない。他の人の守護聖獣と比べてみても違う。まず何が違うのかと言えば意思表明をしっかりとし、まるで喋りかけてくる事が違う。
守護聖獣は、私達が住む世界とは異なる別世界に住まう者達だとされている。彼等は私達、人間に力は貸してくれるけれど代価として魔力を求める。
そして、その多くが獣よりも少し知恵がついていると言われるのが普通だと言われる。意志や感情などを感じ取れても、明確に言葉を喋りかけてくる守護聖獣なんて御伽話の中の存在でしかない。
(確かにイードゥラは変だ)
だけど、信じたいと思う。そして信じて欲しいと思う。
この国が失ってしまった治水の象徴である白蛇。その力を貸して貰う事が出来たら、少しでもこの国を癒す事が出来るでしょうから。
あの日、無知で愚かだった私から遠ざかる事が……出来るのだろうか。その答えはまだ見えそうにはない。
『さぁ、起きるのよ! 今日から魔法の特訓をしていくのだからね!』
「……お手柔らかにお願いします」
何とも“人間み”を感じる守護聖獣だと思いながら、私は口元を緩めて微笑を浮かべました。今日も充実した一日が送れますようにと祈りながら。
* * *
成人の儀式の際にアルマーティア王国の人間は守護聖獣を顕現させ、契約を結ぶ。魔力を糧にする彼等はその力を契約主の為に役立ててくれる。
しかし、彼等とて万能な存在ではない。魔力を消費するという点においては燃費が悪いとさえ言われる。イードゥラも普段は子蛇ぐらいの姿でしか姿を現さない。
そして、守護聖獣と契約した恩恵がもう一つある。それが“魔法”だ。守護聖獣の加護を受ける事で、守護聖獣の属性に合わせた魔法を身につける事が出来る。
『魔法を使うって言う感覚は正直、説明しても難しいわね。魔力を感じる事、その変化を認識する事が大事なのよ』
「なるほど。魔力の感知と想像力が大事だという事ですね」
パスラインの町の外、人目を避けるような場所で私はイードゥラと向き合って魔法について学んでいた。
今後、自分の力で身を守っていかなければならない事も増えると思う。その時に戦う事が出来る術が身につくのは正直言ってありがたい。
だから私はイードゥラの話を真剣に聞いている。その内容を一つも取りこぼさないようにする為に。
「魔力はどう感じ取れば良いですか?」
『守護聖獣との契約が終われば魔力に加護が宿って、色がついたように感じ取れるようになると思うわ』
「……魔力を感じる、ですか」
言いたい事はわかるような、しかしはっきりと感覚を掴むまでには至らないもどかしさ。私が眉を寄せているのを見て、イードゥラも悩むかのように体をくねらせて小首を傾げているようだった。
『手っ取り早いのはフィネッサが私から魔力を吸い上げる事だけど。いつもと逆ね。魔力もまだ契約したばかりだし、染まりきってないのかもしれないし』
「なるほど、それも確かにそうですね。良ければ試しても良いですか?」
『なら直接譲渡した方が早いかしら? 私に触れて貰える?』
「わかりました」
私はイードゥラに言われるままに、そっとイードゥラの頭を撫でるように触れます。イードゥラが瞳を閉じると、自分の体の中に染みこむように魔力が入ってくるのがわかりました。
その感覚に私は思わず目を閉じてしまいます。ゆっくりと水の中に沈んで、底へと引き摺られていくようなイメージ。私が触れているイードゥラとの繋がりだけが世界を象る感覚へと置き換わっていく。
すると、私の脳裏に不可解なイメージが広がっていく。私の手に触れている“誰か”の気配を感じた。その誰かは少女で、揺らめくように広がるのは水面に映した月のような銀色の髪、それが波を打つようにウェーブがかかっており広がっている。
瞳は金色の瞳。しかし、瞳孔は縦に裂けた蛇のような瞳。すらりとした体型は女性として見惚れてしまう程に細く、だけどしなやかな強さを感じさせる。どこか蛇めいた印象も受けた所で、その少女と私の目が合って――。
『――フィネッサ?』
「……ぇ? ぁ、はい?」
『どうしたのよ、呆けちゃって』
目の前にいたのは、白蛇のイードゥラだった。まるで白昼夢を見たかのようだった。それでも脳裏に焼き付いたあの少女の姿が消えない。
(……今のは、一体……?)
あの美しい、人の姿をしているのに蛇めいた少女は誰だったんだろう。
『ほら、魔法の練習を始めるわよ。何か感覚は掴めたかしら?』
「はい、大丈夫です。ちょっと待ってくださいね」
まずは魔力を感じて、それを魔法にする為には自分の中の想像を明確にしなければならない。集中を取り戻すように瞳を閉じて、魔力を操作するイメージを想像しようとする。
すると、また閉じた瞼の裏で既視感に襲われる。それは先程、垣間見た少女が指揮者のように腕を振るい、何か言葉を紡いで、水を従える光景――。
「――〝ウォーターランス〟」
そのイメージに自分を重ねるように、動きをなぞり、脳裏に浮かんだ詠唱を紡いで魔法を完成させる。宙に浮かんだのは水の槍が二本。それが射出され、少し離れた地面へと突き刺さった。
目的を果たした魔法は形を崩してただの水へと戻ってしまった。私はただその光景を呆然と見つめていた。
『……へ、へぇ? なかなかやるんじゃないの?』
呆然としていた私の意識を戻したのはイードゥラの震えた声だった。もしイードゥラが人であれは頬をぴくぴくとさせているような、そんなイメージが過る。
「……どう、でしたか?」
『もうこれだけ出来るなら天才ってレベルでしょ。凄いんじゃない?』
「……そう、なんですか?」
『そうよ! ……私だってあそこまで出来るようになるのに時間がかかったのに、何? 才能って奴なの? 狡い……』
後半のイードゥラの呟きは思念が小さすぎて、まるでノイズが走ったように聞き取れない。そんな違和感を感じながらも、私は自分の手に視線を下ろして見た。その手の中には魔法を使った余韻が残っているような気がする。
(――垣間見た、蛇のような少女。……これは偶然なんでしょうか?)
私は脳裏に浮かんだ少女の“真似”をしただけ。あれは自分の力ではないような気がする。
だとするなら。そこまで考えて私が視線を向けたのはイードゥラだ。“どこか”おかしい守護聖獣。この子には、何かがあるんだろうか?
そんな不安から私はイードゥラを見続ける事しか出来なかった。ただの白い蛇であるイードゥラに、脳裏に浮かんだ少女の姿を見出そうとするかのように。
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