第3話:絆されたりなんかしないんですけど!?
フィネッサの肩に乗りながら、窓の外の景色を見てみる。そこには記憶とそう変わらない王都の景色が広がっている。
しかし、活気がないように見える。建物は年月が過ぎただけと言うには色褪せているし、奥まった所には打ち捨てられたような建物すらも見える気がする。
水害の影響というのは水が氾濫するだけに留まらない。氾濫した後の始末というのもまた大変なのだ。そして何より打撃を受けるのが農作物、つまり国民の食料事情に大きく響いてくる。
幼い頃、父は口を酸っぱくして言っていた。水を恐れなさい。水は何よりの恵みだが、その水の変化を感じ取れなければならない。それがこの国を守る事に繋がるのだと何度も繰り返していた。
水の番人と呼ばれたヒュードラ公爵家でも全ての水害の被害をゼロに抑える事は出来ない。人が生きていればやり直せる、そういった意味で人命を優先して村一つを見捨てた事もある。人の命は助かったけれども、流されてしまった農作物や財産は取り戻せない。
それでも父は懸命に働いたし、領民は父を慕っていたように思えた。そんな父の娘である私が王子の婚約者に選ばれたのだから、相応しい振る舞いをしなければならないと胸に刻んだものだった。
(それがこんな結末か……)
私は死に、ヒュードラ公爵家は国を去った。治水の番人を失ったアルマーティア王国は水害に見舞われ、国は荒れているという。
陛下、今は先王陛下か。先王陛下に仕えていた忠臣達はどうしたのだろう。その多くが王都から離れた領地を賜り、領地の経営に専念して王家とは距離を取っているとフィネッサは言ってたけど。
(それって他の国に取り入れられてしまったら防げるのかしら? 内乱の手引きをされたりするって考えたりしないの……?)
あくまでフィネッサから聞いた状況でしかない以上、推測する事しか出来ない。
(……それに今更知ってどうするって言うのよ)
民が犠牲になるのは今でも心を痛めてしまう。しかし、私は既にもう人じゃない。言葉もフィネッサ以外には届けられないようだし、この国の為になる事をすれば私を裏切った王家に利益を齎す事になってしまう。
そんなのは嫌だ。苦しんでいる民には申し訳ないと思う。けれど、もう私は公爵令嬢として振る舞う事は出来ない。この胸の奥に滾る怒りと憎しみの炎を絶やす事は出来そうにもない。
ふと、外の景色が段々変わってきた。どこか寂れた城下町から一転して、そこは未だに煌びやかな建物が残っている。ここは貴族達が住まう区画である貴族街だ。
ここだけは記憶にある通り、いや、記憶にある以上に栄えているように見える。あまりの落差に私は目を丸くしてしまう。
『……こっちの建物は随分と綺麗なのね』
「さきほどまでいたのが城下町で、ここからが貴族達が住まう区画となります』
『ふぅん。なんでこんなに差がついてるの?』
フィネッサはどう答えたものかと口を閉ざしてしまっている。苦悩に揺れる彼女の表情が答えを示していた。
『同じ人間なのに差をつけるのね』
「違います! ……いえ、そうですね。今、この国の中枢を占める貴族は自らの富を増やすのに腐心しています。それが貴族の権威に繋がると。何せ、元々権威があった家は領地に引っ込んでしまいました。度重なる災害が人災によるものだと、民からの不信も大きくなりました。その差を埋める為に贅を求めたのです、自分達の権威を示す為に」
『それは虚飾というのではないの?』
またフィネッサは黙り込んでしまった。贅沢をする事こそが貴族だと言うのなら、随分とこの国の中枢は変わり果ててしまったのだと思う。
貴族を貴族たらしめる理由は、その血と魂、そして契約している守護聖獣に恥じぬ振る舞いを為すからこそだ。国を護り、育み、発展させる。その使命に心血を注ぐからこそ、貴族というのは豊かな暮らしを許されている。
(この国はもう誇りを忘れたのかしらね……)
レオニスタ様は一体何を考えているのか。平民上がりのあの女もこの状況を見て何も思わないものなんだろうか。
そんな疑問を抱いている内に王城へと辿り着く。その外観は記憶の中にある景色と比べても何も変わっていない。
護衛の騎士のエスコートで下車したフィネッサは王城の中へと進んでいく。その廊下を歩いていると、一人の男がフィネッサに向かって早足に歩いてきた。
(レオニスタ様――!?)
その青年が、あまりにもレオニスタ様にそっくりで私は身を固くしてしまった。しかし、すぐにおかしいと気付く。
確かに青年はレオニスタ様にそっくりだ。獅子のたてがみのような金色の髪、見目麗しい美顔はそのまま、しかしその瞳の色はピンクであの忌々しい女の瞳の色を思い出す。
あぁ、つまり彼は、そういう事なのだろう。
「帰ってきたのか、フィネッサ!」
「アルレオお兄様」
「まずは成人おめでとう。それで? お前の守護聖獣はなんだったんだ?」
どこか無邪気な様子で語るフィネッサの兄、アルレオは尋ねてくる。レオニスタ様にはそっくりだけれども、どこかお調子者といった彼とはやはり印象が重ならない。
そんな彼がフィネッサの腕に巻き付いて肩に頭を置いている私に視線を向けた。ようやく気付いたらしい、すると彼はギョッとした様子で私を凝視する。
「ふ、不吉の白蛇! フィネッサ、お前、その白蛇!」
「アルレオお兄様、不吉だと仰るのはお止めください。失礼です」
「だって! 白蛇だぞ、あの魔女ラーナリアスの守護聖獣じゃないか! あぁ、母上が知ったらお嘆きになるぞ!」
心底、自分は心配していると言うようにアルレオは大袈裟に嘆いてしまった。しかし、まぁ本人は知らないのだから好き勝手言ってるのだろうけど、目の前に本人がいるんですけど!? 誰が魔女よ、むしろ魔女は貴方の母親よ!
「いいえ、お兄様。この白蛇様は吉兆の使者なのです。今、この国の頭を悩ませている水害の対策の一手となるでしょう」
「水害って言ったってなぁ……水害が多かった元ヒュードラ公爵領なんてもう罪人の流刑地だぞ? そんな場所に赴いたりするつもりかよ? やめておけよ、病気が移るぞ?」
……ヒュードラ公爵領が、罪人の流刑地ですって……? しかも水害の被害が多い場所で、罪人を送り込んで、何も対策をしていないと……?
沸き立つ怒りによって私の体の力が強くなる。それがフィネッサにはすぐわかったのか、慌てたように咳払いをしてアルレオを睨んだ。
「……私は儀式で疲れたのでお休みを頂きたく思います。それでは、失礼します」
「あぁ、そっか。悪かったな。……なんか悪い事が起きる前にその蛇、取っ替えた方がいいぜ。お前ならきっと鳳凰だって呼べる筈さ。実りを豊かにするなら鳳凰だって。なんだったら俺とお揃いの獅子だって!」
「……失礼します」
言葉数少なく、フィネッサはアルレオの横を通り過ぎて歩いて行く。早足気味のフィネッサを心配しつつも、ちらり、と振り返ってみればアルレオが私を睨み付けるように睨んでいた。
私も威嚇するように牙を剥いてみれば、慌てたように背を向けて去っていく。……何なのよ、アイツ。
フィネッサは無言で歩き続け、ある部屋の前で足を止めた。……ここ、レオニスタ様が使っていた私室ね。今はフィネッサが使っていると。
「……暫く一人にしてください」
「畏まりました」
護衛についていた騎士が一礼をして去っていくのを見届けて、フィネッサは扉を閉めた。 後ろ手に扉を閉めたフィネッサは大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐き出す。その視線を肩に乗っかっていた私へと向けると、申し訳なさそうに顔を歪めた。
「……イードゥラ、兄が大変失礼な物言いを。申し訳ございませんでした……」
『不吉の白蛇ね。言わんとする事はわかるわよ?』
「ッ、それは、決してそのような事はございません!」
『フィネッサ、私に畏まる必要はないわよ。私はただの貴方の守護聖獣。まぁ、仮だけどね。家族にも疎まれそうなら、さっさと解約してしまえば?』
突き放すように言って、しゅるりとフィネッサの体に巻いていた己の体を外して、床へと降り立つ。フィネッサが使っている為か、部屋の内装はかなり変わっている。
それでも記憶を刺激するような名残は残っている。それに吊られてつい、そっちに向かって進んで行こうとするとフィネッサに胴体を掴まれた。
『ぐぇっ』
「あっ、ご、ごめんなさいっ!」
『……何すんのよ』
「……イードゥラ、ごめんなさい。本当に、本当にごめんなさい……お願いです、だから、どうか、私を見捨てないでください……」
『……ちょっ!? な、何泣いてるのよ! こら、泣くんじゃないの!!』
私の胴体を両手で掴んでいるフィネッサはぽろぽろと涙を零しながら、身を縮めるように背を丸めてしまう。流石に泣かれるなんて思ってなかった私は大いに慌てる事となる。
しかし泣いてる姿を見ると、なんだかあのフレイアを思い出してしまって苛々するわね。あぁ、もうっ。
頭を伸ばしてフィネッサの涙を拭うように擦りつける。私の頭が伸びてきた事に驚いたみたいだけど、フィネッサは私を抱き締めるように胸に抱え込む。
「……ごめんなさい、取り乱しました」
『まったく、いきなり掴まれる身にもなりなさいよね。誰も見捨てたなんて言ってないでしょ? 私がこの国で良い目で見られないって言うのはわかりきってたもの。……それも全部ラーナリアスが悪いのでしょう?』
「……私はそう思いません。その件に関しては私はお父様にも疑問を持っていますから」
『あら、意外。貴方のお兄様は私が悪いって言ってたみたいだけど?』
「……兄は母が率先して教育を施しましたから」
あぁ、なるほど。それは私が悪いって認識になるわね。でも、それならフィネッサはそういった教育は受けなかったのかしら?
『貴方はどう考えてるの?』
「当時、ヒュードラ公爵家が爵位を返上してから起きた様々な事を考えれば、お父様は迂闊の一言に過ぎます。お母様を正妃として迎え入れられたのも運と周囲の思惑があったからに過ぎません」
『……随分と辛辣ね』
「辛辣にもなります。国が荒れたのは間違いなく、その当時のお父様とお母様の迂闊な行動に原因があるのですから。有力な貴族達がこぞってお父様を見限って領地から出て来なくなりました。それは王家と領土の断絶に繋がりかねません。当時の最善を考えるのであればお父様は正妃としてラーナリアス様を、お母様を側妃として迎える為にラーナリアス様を説得するべきだったと私は考えています」
『……吃驚するぐらい真っ当ね』
本当にこの子、フレイアの娘なのかしら? 私の知るフレイアはいつも泣いてるか、男に媚を振りまいてた印象しかないのだけど、フィネッサは随分と地に足がついた考えをしていると思う。
それにしてもフレイアを側妃にねぇ。それだったら私も妥協したかもしれないわね。レオニスタ様への愛は冷め切っていたでしょうから、世継ぎが産まれれば後は好きにしてくれと思えたかもしれないわね。
それはそれで面倒な未来だ。ここまで面倒な事になってる以上、フレイアは意地でも私の足を引っ張ってきた事だろう。なにせ私を暗殺しに来る程だ。それならいっそ死んだ方が楽に思えた。残される人達には悪いけれどね。
『それ、誰かに言ったりしてないでしょうね?』
「……言えませんよ。今、お父様やお母様に逆らえばそれだけ不遇の扱いを受けるのです。今や罪人の流刑地となりつつある水害の多い土地の領主にさせられたりするのです」
……地に堕ちたわね、レオニスタ様。一度崩れかけた王権を維持する為にはそれぐらい強硬な政策を選ばなければならないのかもしれないけれど。
『貴方はそれでよく白蛇を呼ぼうなんて思えたわね? そう簡単な話ではないというか、そもそもどうやって狙って守護聖獣を呼びよせようと思ったのよ?』
「白蛇様と縁がある地を巡ったり、心身を清める為に滝に打たれたりとか……」
『滝行って……そういった行事はあるけれど、王女様がやるような事ではないでしょう?』
滝行は辛いのよね、私もヒュードラ公爵家に産まれた以上は通過儀礼であったけれど。水も冷たいし、痛いし、その中で心を静かに保たなければならない。ある意味、そこで培った経験が王太子の婚約者である苦痛に耐えさせてくれたのだと思うけど。
でも、やっぱりどう考えても王家がやるような事じゃない。別にフィネッサは白蛇を受け継ぐ一族という訳でもないのだから。
「知識も断絶されていたので、作法なども文献を読み解いたりしてなんとか……次の日は流石に体調を崩しました」
『無茶をするわね、貴方も……』
「……私は、この国の王女ですから」
遠くを見据えながら呟くフィネッサの横顔は、王族として相応しい品格を持ち得ているように見えた。それを認めるのが癪に感じた私は、無言で視線を逸らす事しか出来なかった。
「私のように考える者は少ないです。思っていても口に出せない、そんな人ばかりです。だから私は味方を作れなかった。……だから、本当に貴方を呼べてホッとしたんです。何も解決してないのに、貴方が私の守護聖獣になってくれて心からの味方が出来たと、そう思ってしまって……」
『……』
「でも、それって勝手な押し付けでしたね。……だから見ていてください、イードゥラ。私が力を貸すのに値すると思ったら、その時はどうか……」
『……その時が来たら、ね』
「はい、ありがとうございます。イードゥラ、今は貴方が傍にいてくれるだけで私はものすごく幸福な気持ちになるんです」
……ほ、絆されてなんかやらないんだからね!! あぁ、恨めしや、恨めしやー!!
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